努力は大嫌い、でも楽して力が欲しい派です
「ようやく起きたかい」
暗闇から引っ張り上げられるようにして、俺の意識が覚醒した。
視界がクリアになると同時に鼓膜に飛び込んできたのは、そんなドスの利いた、しかしどこか呆れたような婆さんの声だった。
どうやら俺は、あの広間の床にぶっ倒れたままだったらしい。
「……目覚めに聞く一言が婆さんとか最悪すぎる」
「もういっぺん気絶させてやろうかね、この穀潰しは」
頭を押さえながらボヤいた俺に、婆さんからピキリと軽い怒気を孕んだ言葉が返ってくる。
うっかりまた地雷を踏んだかと俺は条件反射で身構えたが、婆さんはフンと鼻を鳴らして腕を組んだ。
「安心おし。もう意念を込めたもんはやらないよ」
「イネン?」
またあの熱くて寒い地獄を味わわされるのかと怯えていた脳細胞が、聞き慣れない単語の登場によって、一瞬で純粋な好奇心へと早変わりしていく。
イネン。漢字で書くなら、意識の「意」に、念じるの「念」だろうか。
あの規格外の威力を誇る正拳突き、そして人を気絶させるほどの悍ましいオーラ。それらのパズルが、俺の脳内で一つの答えとしてカチリと噛み合った。
「そ、それって……もしかして、魔法みたいな……!?」
期待に胸を膨らませ、前のめりになって尋ねる。
「巷じゃ、そう言われるね。もっとも、あたしらの間じゃ、心の力を意識でもって操るから『意念』。そう呼んでるよ」
心の力を、意識でもって、操る。
設定だ。完全に異世界ファンタジーの能力設定が今、俺の目の前で開示された!
ということは、あの時俺が婆さんの体から漏れ出る光を見たのも、その『意念』とやらが関係しているに違いない。
ついに、ついに来た!
パンツ一枚でこの世界に放り出され、水汲みと薪割りで全身筋肉痛になり、挙句の果てに穀潰しと罵られ続けた俺の暗黒異世界生活に、ようやく一筋の光明が差したのだ!
俺はバッと飛び起きると、天に向かって両拳を突き上げ、全力のガッツポーズを取った。そして、救護院の裏手に響き渡るような大声で叫んでいた。
「うぉおおおおおっ! きた! チート能力を得るときが気ぃぃたぁぁああああッ!!」
三十五歳無職、ここにきてついに大覚醒の予感である。
「ば、婆さん! その『意念』って奴はどうすれば使える!? 心か!? 意志か!? それとも右手に宿る何かっ!? は・や・く教えろ!」
鼻息を荒くして詰め寄る俺に、婆さんは冷ややかな視線を向けたまま、ピシャリと言い放つ。
「人にモノを教わる態度じゃないね、それは」
「すいません。この愚かな穀潰しに、その高尚なるお力を教えてもらえないでしょうか。──お姉さま」
ズサーッ! と凄まじい勢いで地面を滑り、俺は完璧な美しいフォームで土下座を決めた。
異世界チート能力が手に入るのだ。一時の土下座やプライドなんてものは、ドブにでも犬にでも喜んで投げ捨てて食わせてやる。三十五歳、ネットの荒波で揉まれてきたニートの処世術を舐めるな。
床に額をこすりつける俺を、婆さんは信じられないものを見るような目で引いていたが、やがて呆れたように息を吐いた。
「……あんたに使えるかは知らないよ。あたしはね、あんたがさっき『意念』の力を感じることが出来たみたいだから、ちょっと試してみただけさね」
「嘘をついたのかぁあああ!? 俺にチート能力をくれるって話じゃないのかよ!?」
ガバッと跳ね起き、俺は裏切られたショックで絶叫した。
「チートだかはなんだか知らないけどね。人から与えられただけの力で威張り散らすような奴にはろくなのが居ないよ、結局いつか自分にその行いが悪い形で返ってくるもんさ。努力しな。力ってぇのは、そうやって泥をすすりながら掴み取るもんだよ」
なんか凄そうな年寄りが言う人生訓らしく、妙に重みだけはあった。
だが、そんな真面目な正論は、俺の十年間凝縮された欲望の結晶の前には1ミリも通用しなかった。
「知るかぁああ! 俺は努力なんか大嫌いだ! 楽して力が欲しい派なんだよ! 巨万の富を右から左へ横流しして、かわいい姉ちゃん達とイチャイチャしながら、寝て起きて飯食って余生を暮らしたいんや!!」
「……それをそんなに堂々と力説することかい……」
地平線の彼方まで届きそうな俺の熱い魂の叫びに、さすがのクソ婆さんも、最早怒る気すら失せたという顔で額を押さえていた。
「……どうして男って生き物は、どいつもこいつもこうもバカが多いんだろうね。そんな甘ったれた性根だから、あんたは今や三十五歳にもなって穀潰しに成り下がってんだろう」
「……う、うるせいやい」
婆さんの痛烈な正論の刃に、俺は子供のように唇を尖らせて虚勢を張る。だが、その声には全くといっていいほど力がこもっていなかった。引きこもり十年の実績をノータイムで突かれるのは、さすがに精神的ダメージがデカい。
しかし、婆さんはそんな俺を見下ろしたまま、ふっと声音を和らげた。
「──まあ、あんたが本気で働く気でいるなら、意念の使い方くらいは教えてやらないでもないよ」
「教えてください。お婆様」
ズサーッ!!(二回目)
電光石火の早業で、俺は再び地面に額を擦りつけていた。
名付けて『土下座リターンズ』。チート能力のためなら、俺は何度だってこの頭を畳でも土でも擦りつけてやる。
本日二度目となる目の前の人体の神秘(最速土下座)に対し、婆さんは「本当にどうしようもないねぇ……」と言いたげに、やれやれと深い、深い溜め息を漏らしていた。
「言っとくけどね、実際に使えるようになるかどうかは、すべてあんたのセンスと努力次第だよ。あたしはそのきっかけと、やり方を教えてあげるだけだからね」
「……努力ぁ」
努力、今や俺の中ではワーストワードな言葉だ。
「?」
婆さんは不思議そうな顔をして俺を見る。
「まあ、使える可能性があるなら十分でさあ!!」
俺は立ち上がり。
「さあ、早よう! ハリー! ハリー!! カモン、意念!!」
土下座の姿勢のまま、俺は顔だけを上げて婆さんを急かした。完全に狂犬ならぬ、餌を待つ狂ニートの目である。
「……とりあえずあんた、いい加減に落ち着きな。見ていて気味が悪くてしょうがないよ」
婆さんは心底から嫌そうな顔で、俺から一歩距離を取るのだった。




