虹の理由
空に七色。
あるところでは凶兆、あるところでは偉大な蛇、またあるところでは根元に秘宝が眠るとされます。
虹に限らず、綺麗なものには逸話がつきものですね。科学的な理由はさておき、なぜそれがあるのか、なぜ生じたのか、それを何かしらの物語として説明する伝承は枚挙に暇がありません。
全ては理由。
物語の登場人物にもそれはあるはずなのです。
物語として成立するドラマである必要はありませんが、人物である以上は人生があり、人格を形作るには、相応の経験が理由として伴うものです。
その人物の、考えること、できること、体つき、境遇、全てをひっくるめて、一人分です。
逆に言えば、能力と人格がかけ離れているのは、人としておかしいことになります。
◇例1 ためらう殺し屋
職業的な殺人者は、人体の構造はもちろん、急所や人の何気ない仕草なども熟知しているものだと思われます。
人を殺すこと自体に慣れすぎて、感情はほとんど動かないでしょう。
でもそれが、鮮やかなまでの手際で仕事をひとつこなすたびに苦痛を感じていたら? 人を殺すことへの覚悟を、理屈を並べて誰かに説いていたら?
日常的に人を殺す存在が、人を殺すことへの抵抗を強く感じるものでしょうか。
日常的に歩き回っている人間が、歩くことの大変さなど感じもしないはずです。
そんなことを考えつくのは、歩けない人が空想した「歩ける人」くらいでしょう。
登場人物は、作者とは別の存在です。作者の考えつくことを、その登場人物も考えつくとは限らないのです。
◇例2 幸福なミダス王
ギリシャ神話に「触るもの全てを黄金に変える手」を得た王の逸話があります。
王の手に触れる何もかもが、黄金に変わります。王は巨万の富を得て、長く幸せに――暮らせませんでした。
食べ物も飲み物も、果ては自らの娘すらも、黄金に変わってしまったのです。
何事にも因果関係はあります。
特別な力があったとして、それがどんな結果をもたらすか。その力の持ち主にどんな境遇をもたらすか。
普通の人が、いくらでも悪用が利き、しかも誰にも罰せられない力を得たら、悪いことをせずにいられるものでしょうか? 正しい心を保てる理由は持っているでしょうか?
何ができて、何ができないか、そしてそれに対し、何を思うか。それが人の思考であり、人物であるということです。




