世界の名前
あえて言おう! 世界には名などないのだと!
第一に浮かび上がるであろう名詞「地球」は、名前ではありません。
天体として球状になっている大地を指す語なので、私たちのような人類が居住する環境や構造を備えた天体は、他に存在するとしても本質的に全て「地球」なのです。
そして、地球という概念は、既に前提となる世界観を含んでいます。単純に世界を地球と称するのにも、実は注意を要します。
前提1 世界は球であるという認識が常識である
前提2 別の世界を想定している
前提1は、一定水準以上の技術の存在につながります。
地平線、水平線を観測しうる高所へ移動する技術、もしくは更に上、大気圏外へ移動し世界を外から直接観測する技術が当たり前のものとして存在しなければ、誰にでも共通の言葉として「地球」が使われることはありません。
前提2は、前提1の補足のようなものです。
天文学の発展により、地球はさほど珍しい種類の天体ではないと認識されるようになりました。どこかにも「地球」つまり世界があるのです。
1にしても2にしても、現代日本においては常識です。しかし常識は、それを支える前提ありきのものであることを忘れないようにしましょう。
古代の世界に「地球」などという概念はそもそも生まれようがないのです。
世界は世界です。しかし、別の世界があるのなら、境界が要ります。
それが名前です。
山奥の村に生まれ育った人にとって、世界は村だけです。村に住んでいる限り、村は「村」と呼べばいいし、村の外壁を基準にした「内」「外」で世界は十分に説明できます。
村の外へ出るか、村の外からの知識がもたらされるかするとき、その人は村以外の「世界」を知ることになります。
ここで初めて、村の名前が必要になるのです。いくつもの「世界」の中から故郷を示す語、それが村の名前です。
ファンタジーを主題にした物語が描かれる際にありがちな落とし穴が「こんな名前の世界なんだよ!」。
ちょっと想像してみましょう。
街中を歩いているスーツのおじさんに「この世界の名前は何ですか?」と訊いたとして、答えは何でしょうか。
恐らく、答えてもくれないことでしょう。仮に認識していても訊かれること自体が正気を疑うレベルの常識であり、世界の名前など日常には必要のないことだからです。
だから、登場人物がいきなり世界の名前を語り出すのは不自然極まりない。そんな場面があれば読み手は「作者にそう言えって言われたんだね」と一気にテンションが下がります。
マンション住まいの人間がマンション名を意識するのは、来客や郵便物といった「外からの来訪者」を意識するときのはずです。
異界からの来訪者が存在するからこそ世界の名前が用意されているとしたら、それはそれで、なぜそのような名前の世界なのか。神の名か、大陸の名か。大陸の名の由来は、民族なのか、過去の大国なのか。
用意したものを突き詰めて考えてみると、世界観を広げる一助になることでしょう。




