第7話 噂は王都へ駆け巡る
ここは、この世界の中心地である王立魔法都市、王都ルミナス。
幾重にも重なる巨大な石造りの城壁、天を突く大聖堂の尖塔、そして街のあちこちから四六時中響き渡る 「叫び声」と「爆発音」。
この街では、挨拶代わりに魔法使いや騎士たちが朗々とした大声を張り上げ、日夜その声量を競い合っていた。
「聞いたか!? 昨日の近衛騎士団の演練、第三隊長の『爆風唱』は125デシベルを記録したそうだぞ!」
「ハッ、まだまだだな! 魔導院の第一賢者様なら、お口直しの一声で130デシベルを超えてみせるわ!」
大声こそが強さ。声量こそが正義。
それがこの世界の、そして王都の絶対的な常識だった。
だが、そんな超・大騒音都市の片隅にある酒場『黄金の咆哮亭』に、一風変わった噂話が舞い込んできたのは、数日前のことだった。
「おい……知ってるか? 辺境のシグマ村ってところで、とんでもない『悪魔』が出たらしいぞ」
冒険者風の男が、酒をあおる手を止めて声を潜めた。
……と言っても、声量が取り柄の男たちの「ヒソヒソ話」だ。店内の半分くらいには筒抜けになっている。
「悪魔だと? どんなバケモノだ。大声を張り上げて山を吹き飛ばすようなドラゴンでも出たのか?」
向かいに座る男が鼻で笑う。
だが、言い出した冒険者は青ざめた顔で首を振った。
「違う……真逆だ。その男はな……まったく声をださねぇんだよ」
「は? 声を出さない? 魔法使いが声をださねぇで何ができるってんだ。呪文を噛んだだけで魔法が暴走するってのに」
「それがな……噂によれば、盗賊団の頭目が放った130デシベルの詠唱を、その男はただ黙って手を差し伸べただけで、一瞬で『無』にしたらしい」
「……はぁ? 無にした?」
「ドカンとも言わねぇ、風も吹かねぇ! 目の前で魔法が『フッ』と煙みたいに消えたんだとよ! それだけじゃねぇ……その男が指を『パチン』と鳴らした瞬間、盗賊たちが持ってた特注の超音波武器や強固な魔導甲冑が、手を触れてもいねぇのに一瞬でミクロの粉末になって弾け飛んだそうだ!」
「ば、バカバカしい! 声を出さずに魔法を消して、指を鳴らして鉄を砕くだと!? どんなインチキだ!」
聞き耳を立てていた周囲の冒険者たちからも、失笑が漏れる。
「お前、相当強い酒でも飲んだのか?」
「そんな奴がいるなら、今ごろ王都の『声楽騎士団』も商売あがったりだぜ!」
だが、噂を話していた男は、真剣な目で力強く卓を叩いた。
「嘘じゃねぇ! 敗走してきた盗賊の生き残りが、涙と鼻水で顔をグチャグチャにしながら街の自警団に自首してきたんだぞ!? 『頼むから牢屋に入れてくれ! あの無音の悪魔が追いかけてくる!』ってな!」
店内が、一瞬だけ妙な静寂に包まれた。
「しかもな……その悪魔は、相手を全滅させた後、こう言い放ったらしい」
男はゴクリと唾を呑み込み、店内を見回しながら、その「悪魔の捨て台詞」を口にした。
『近所迷惑だから、静かにしてくれないか?』
「「「………………」」」
酒場の冒険者たちが、揃って顔を見合わせた。
「な……なんだその余裕は……!?」
「130デシベルの魔法を『近所迷惑』の一言で片付けただと!?」
「何者なんだ……? 国王直属の隠密か? それとも古代の禁忌を操る亡霊か……!?」
尾ひれには尾ひれがつき、背ひれまで生えた噂は、瞬く間に王都の闇市から路地裏、そして騎士団の詰所へと駆け巡っていった。
『声を一切発しない謎の魔法使い』
『あらゆる詠唱を無力化し、指一本で全物質を粉砕する男』
『絶対的な静寂を纏う、無音の覇者』
大声を競い合うことが全てだったこの世界において、「声を出さずに全てを蹂躙する男」の存在は、まさに未知の恐怖そのものだった。
王立魔法都市・城塞エリア。
重厚な石造りの執務室で、その噂が書かれた報告書をじっと見つめる人物がいた。
銀髪をたなびかせ、豪華な聖職者の法衣に身を包んだ少女、王立声楽騎士団・第一隊長、エルナ・ヴォイス・ルシルである。
「……声を出さずに詠唱を無効化し、一瞬で武器を粉砕する、無音の術者……」
エルナは、可憐な指先で報告書を撫でた。
現在、彼女率いる『王立声楽騎士団』は、かつてない絶望的な危機に瀕していた。
魔王軍の幹部が放つ「悪魔の耳鳴り(デス・ノイズ)」と呼ばれる奇妙な広域騒音のせいで、部隊の騎士たちが次々と喉を痛め、自慢の大声詠唱を封じられていたのだ。
声を出せなければ、騎士団はただの鎧を着た的に過ぎない。
「敵の騒音を前に、声を出すことすらできず倒れていく部下たち……。もし、この噂が本当であるならば……」
エルナの澄んだ瞳に、強い決意の光が宿る。
「その『無音の術式』こそが、我が騎士団を救う唯一の希望……!」
彼女はバッと法衣を翻すと、控えていた近衛騎士たちに向かって凛とした声を響かせた。
「これより、第一部隊を率いて辺境のシグマ村へ向かいます! その『無音の覇者』を……我が騎士団へお迎えするのですわ!」
「「「ハッ!!」」」
騎士たちの腹底からの返事が、執務室の重厚な窓ガラスをビンビンと振動させた。
その頃。
当の「無音の覇者」こと鳴海晃人は、辺境のシグマ村の自宅(完全防音オーディオルーム)で、静かに淹れたてのコーヒーを一口すすっていた。
「ふぅ……静かで最高だな」
心から満たされた笑みを浮かべるアキト。
まさか、王都全体を巻き込む大騒動の渦中に自分が放り込まれようとしているとは、夢にも思っていなかった。




