第4話 【サブ】うるさい宿屋と「魔法の防音耳当て」
盗賊を追い払ってから数日。
村に平和が戻った……かと思いきや、俺の睡眠環境は過去最悪の危機に瀕していた。
「うおぉぉぉぉん! 『炎よ立ち上がれ』ぇぇぇぇぇ!!」
「足りん! まだ声量が足りんぞ! 腹から声を出せぇぇぇ!!」
ドゴォン! バババババッ!!
深夜2時。
俺が寝泊まりしている実家の宿屋『木漏れ日亭』の壁越しに、怒号と魔法の破裂音が容赦なく響き渡っていた。
原因は、壁の薄さだ。
この世界の建築には「防音」という概念が存在しない。
それどころか、建材に魔力伝達効率の高い木材を使っているせいなのか、近所の山で夜練をしているライナーたちの「叫び声」が、重低音となって壁をビリビリと振動させ、室内へダイレクトに響いてくるのだ。
「……眠れるわけないだろ、こんなの」
俺はベッドの上でガバッと跳ね起き、頭を抱えた。
前世から重度の不眠症だった俺にとって、睡眠の妨害は万死に値する。
常時『ノイズキャンセリング結界』を自分に張り続けて寝るという手もあるが、睡眠中も微量の魔力を操作し続けるのは精神的に地味に疲れる。
「魔法に頼らない、物理的な遮音が必要だ……」
俺は枕元に放り投げてあった素材を引っ張り出した。
昼間、村の子供たちが「いらない」と投げて寄こした『粘性スライムのゲル』。
解体屋からもらってきた『高密度ウールフェルト』。
そして、加工しやすい『しなやかな木枠』だ。
「よし、作るか」
俺は静かに小刀を握りしめて、作業に入る。
まず、スライムのゲルから水分を慎重に抜き取り、粘弾性を極限まで高める。
このプルプルとしたジェル状の素材は、音の振動エネルギーを熱エネルギーへと変換・吸収する「制振・吸音材」として完璧な特性を持っている。
それをウールフェルトで包み込み、耳全体をスキマなく覆う「カップ形状」に整える。
仕上げに、木枠のフレームで両耳を適度な側圧力で挟み込めるよう長さを調整すれば……
「できた!!『高遮音性防音イヤーマフ(プロトタイプ)』」
見た目は、現代の工事現場や射撃場で使われるヘッドホンそのものだ。
魔法の付与は一切なし。純粋な材料工学と音響工学の産物である。
俺はそれを、両耳に深く装着してみる。
シュン。
装着した瞬間、世界のすべての高音と中音がシャットアウトされた。
外でライナーがどれだけ喉を潰して叫ぼうが、遠くで犬が吠えようが、聞こえてくるのは「かすかな低音の振動」のみ。遮音値にしておよそマイナス30デシベル。
「……素晴らしいな」
耳元を包み込む柔らかなスライムジェルの感触と、完璧な密閉感。
俺は吸い込まれるようにベッドへ倒れ込むと、16年の人生で最も快適な深い眠りへと落ちていった。
「……おい、アキト! 生きてるかアキト!?」
翌朝、扉を壊さんばかりの勢いで叩く音で目が覚めた。
イヤーマフを外すと、宿屋の主人である頑固親父のボルドが、青ざめた顔で部屋に飛び込んできた。
「朝から大声出さないでくれよ、親父…… 」
俺が欠伸を噛み殺しながら言うと、ボルドは目を見開いた。
「お、お前……昨日の夜の爆音練習、平気だったのか!? 隣の部屋に泊まってた冒険者なんて『うるさくて眠れん!』って夜中に壁を殴り破って出て行ったんだぞ!?」
「あー、これつけて寝てたから」
俺がベッド脇のイヤーマフを指差すと、親父は眉をひそめた。
「なんだその……耳を挟む変な道具は?」
「防音耳当て。スライムゲルとウールで耳を隙間なく密着させて、音の振動を物理的に遮断する道具だよ」
「……は? 音を……物理で遮断……?」
ボルドは半信半疑の顔でイヤーマフを受け取ると、俺に促されるまま自分の両耳に装着した。
そして、ボルドの動きがピタリと止まった。
ちょうどその時、階下から「おはようございまぁぁぁす!!」と、仕入れに来た威勢の良い商人の大声が響いたはずだった。だが、ボルドの表情はピクリとも動かない。
ボルドはゆっくりとイヤーマフを外し、再び装着し、また外した。
「な……なんじゃこりゃあぁぁぁぁ!!?」
普段は頑固で落ち着いているボルドが突然、素っ頓狂な声を上げた。
「音が……消えた!? 商人のバカデカイ挨拶も、外の鳥のさえずりすら聞こえん! まるで水の中に潜ったみたいだぞ!? 」
「だから言ったろ、防音だって 」
「魔法じゃないのか!? 魔力を一切感じんぞ!?」
「ただの素材の組み合わせだよ。スライムの粘性が振動を殺して」
「アキト!!」
ボルドがガシッと俺の肩を掴んだ。その目は血走り、ギラギラと光っている。
「これを……これを俺に売ってくれ! 金なら出す! 金貨5枚……いや、10枚出す!!」
「えっ、金貨10枚……!?」
金貨10枚といえば、この村なら一般家庭が半年は裕福に暮らせる大金だ。
「当たり前だ! うちの宿屋の一番の悩みは『壁が薄くて客が寝られんこと』だったんだ!
これがあれば、大声で詠唱練習する冒険者も、静かに眠りたい旅人も、同じ屋根の下で満足させられる! 魔法を使えない普通の人にとっちゃ、喉から手が出るほど欲しい『神の道具』だぞ!!」
ボルドはイヤーマフを宝物のように大切に抱え込むと、金貨がずっしり詰まった革袋を俺の手に握らせた。
「頼む、もっと作ってくれ! 村の革職人やフェルト職人にも手伝わせる! これは……宿屋業界の革命だぞ!!!」
鼻息荒く部屋を飛び出していくボルドの背中を見送りながら、俺は手に残ったずっしりとした金貨の重みを見つめた。
「……へぇ」
自分が静かに眠りたいためだけに作った試作品。
それが、まさかこんな大金になるとは。
「スローライフのための資金稼ぎ……これで『完全防音の家』を建てる計画、案外早く進むかもしれないな」
俺は金貨の袋をポケットに仕舞うと、快適な睡眠のおかげですっきりと冴え渡った頭で、静かに淹れたてのコーヒーを一口すすった。




