第3話 え? 何か言いました?
「……は?」
盗賊の頭目の口から、間の抜けた漏れ声が溢れた。
直前まで喉を破裂させんばかりに絶叫し、130デシベルの破壊的音波魔法を放ったはずの男たち。 その全精力を傾けた攻撃が、目の前の少年の「静かな指立て」ひとつで、煙のごとく消えてなくなったのだ。
衝撃波による破砕音も、風のうねりも、何も起きない。
ただ、静寂。
まるで映画の再生中に、突然「ミュート」ボタンを押されたかのような不自然な無音空間が、村の広場を支配していた。
「な、何を言ってやがる……! 俺の『極大爆風連散陣』は、大家屋すら一撃で木砕にする特大の音圧魔法だぞ!? それを……無詠唱で消しただと……!? どんなチート防具や魔法障壁を使った!!」
盗賊の頭目が、間抜けな声を漏らした。
さっきまで「130デシベルの咆哮」とやらを誇っていた男の顔からは、完全に余裕が消え失せていた。
「防具なんて着てないよ。ただの綿の服だ」
俺は溜息をつきながら、自分の服の裾を引っ張ってみせた。
物理的な壁を立てて音を防ごうとすれば、その壁自体が音波のエネルギーを受けて振動し、二次騒音を生むか、破砕されるだけだ。防音の基本は「遮音」と「吸音」、そして「打ち消し(キャンセリング)」である。
「音ってのはな、空気を媒体にして伝わる『波』なんだよ」
俺は頭目に向かって、人差し指をすっと立てた。
「山(疎)と谷(密)の波形を持って押し寄せる音波に対し、全く同じ周期で、真逆の山と谷を持つ波――つまり『逆位相』の波をぶつければ、波同士が干渉し合ってプラスマイナスゼロになる。ただの波の相殺だ。魔法でもなんでもない、ただの音響工学の基礎だよ」
「い、位相……? アンチ……なに……? お前、何を言っている……!?」
頭目は顔を歪ませ、後ろに控える子分たちを振り返った。 子分たちも完全にパニックに陥り、目を白黒させている。
「ひっ……頭目! あいつ、怪しい呪詛を唱えてますよ!」
「声を出さずに魔法を消すなんて、悪魔の術だ……!」
「……だから、声を出さないのが普通なんだよ」
俺は首を振った。
この世界の奴らは、物理現象としての「音」を理解していない。ただ大声を出せば空気が激しく揺れて強い魔法になる、ということしか知らないのだ。だからこそ、大声を出すことだけに特化し、無駄なエネルギーを撒き散らしている。
頭目が顔を真っ赤にし、震える手で己の喉を触る。
「おい野郎ども! 魔法が不発だ! 息を吸い込め! 喉が引き千切れるまで叫べぇぇぇ!!」
『『『うおおお―――!!!』』』
下っ端の盗賊たちが、狂ったように再び息を吸い込み、限界まで胸を膨らませた。 血走った目で俺を睨みつけ、喉を振動させようとする。
だが、俺は心底うんざりして溜息をついた。
「無駄だよ」
俺は静かに、そっと人差し指を口元に当てた。
(ノイズキャンセリング――指向性局所展開)
『……ッ!』
盗賊たちの口が限界まで開かれ、顔の血流が激しく跳ね上がる。
叫んでいる。間違いなく、彼らは喉を潰す勢いで叫んでいるのだ。
……だが、彼らの口からは「音」が一切外に出てこない。
声帯が震えて空気を揺らした瞬間、その音波の形を俺の魔力が完璧にトレースし、真逆の波形(逆位相)をぶつけてその場での相殺を続けているからだ。
彼らの視界では、自分たちが全力で怒号をあげているにもかかわらず、自分の声すら自分の耳に届かないという恐怖の現象が起きていた。
「〜〜〜〜!?!?(な、なんだこれ!? 声が出ねぇ!?)」
「〜〜〜〜!?(音が……世界から消えた!?)」
盗賊たちが己の喉をかきむしり、白目を剥きかける。
魔法が発動しないどころか、「声」という生存確認の手段すら奪われた人間は、極限のパニックに陥るのだ。
「……うるさいよ。そんなに大きな声を出さなくても会話はできるだろ」
俺は冷ややかに言い放ち、指を鳴らした。
パチン。
(周波数アジャスト――18,000ヘルツ・共振)
指先から放ったのは、彼らの身に着けている武器や甲冑の「固有振動数」に合わせたピンポイントの音波だ。
パリンッ! パリーンッ!!
「ぎゃあああああっ!?」
次の瞬間、盗賊たちが手にしていた剣や斧、身に着けていた金属の胸当てが一斉に激しい甲高い音を立て、ガラスのように粉々に砕け散った。
「ひぃっ! ぶ、武器が……鎧が弾け飛んだ!?」
「あ……悪魔だ……! 声を奪い、手を触れずに装備を砕く悪魔だぁぁぁ!!」
物理的な打撃も、派手な炎も雷もない。
ただ「音」を制御されただけで全装備を失い、喉を封じられた盗賊たちの戦意は、一瞬でゼロになった。
「ひ、ひぃぃぃっ! ごめんなさいごめんなさい!!」
「逃げろぉぉぉぉ!!」
頭目を置いて、下っ端どもは脱兎の勢いで蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。
残された頭目は、膝からガクガクと崩れ落ち、地べたに頭を擦り付けた。
「ひ……命だけは……命だけは助けてくだせぇぇぇ!! 二度とこの村には近づきません! 声も出しません! 呼吸すら静かにしますからぁぁぁ!!」
「……よし。分かればいいんだ」
俺は縛り上げるための縄をポケットから取り出しながら、心底うんざりした顔で呟いた。
「次からこの村の近くを通るときは、足音も立てないように気をつけてくれ。……静かに過ごしたいんだ、俺は」
静まり返った村の広場で、俺のボソボソとした呟きだけが、誰の耳にもはっきりと届いていた。




