第25話 【サブ】「低周波」という不可視の凶器
「ガ、ガラド様が……あんなヒョロいガキに手も足も出ねぇだと……!?」
膝を折り、血を吐いて絶望に打ちひしがれるガラドの姿を見て、魔王軍の残党たちがざわめき立った。
「ひるむな! ガラド様はあのガキの奇妙な術に嵌められただけだ!」
「そうだ! 俺たち数百の兵で一斉に畳み掛ければ、あのガキ一人いくらでも磨り潰せるぞ!!」
自暴自棄に駆られた魔獣や亜人兵たちが、武器を掲げて一斉に喚き散らす。
オーク、ゴブリン、魔獣の群れおよそ三百を超える異形の軍勢が、地響きを立てて俺とエルナへ向かって雪崩のように突進してきた。
「アキト様! 敵の残党が一斉に仕掛けてまいりますわ!」
エルナが腰の細剣に手をかけ、即座に『パラメトリック・キャスト』の構えをとった。
「下がるんだ、エルナ。無駄に魔力を使う必要はない」
俺は手でエルナを制し、迫り来る魔獣の群れを冷めた目で見据えた。
怒号を張り上げ、殺気を剥き出しにして迫る敵。
だが、俺はノイズキャンセリングすら展開しない。
大声の詠唱も、派手な攻撃魔法も使わない。
ただ、静かに右手をポケットから抜き、大気の分子に微弱な魔力を干渉させた。
(周波数、17ヘルツ。振幅、大!可聴域外・低周波音照射)
『……(無音)』
大気は爆発しない。風も起きず、光も放たれない。
人間の耳には「完全な静寂」としか認識できない空間。
だが、人間の可聴域(およそ20ヘルツ〜20,000ヘルツ)を下回る「20ヘルツ以下の低周波音」が、目に見えない圧力波となって押し寄せる軍勢を正面から呑み込んだ。
次の瞬間。
「突撃ぃぃぃ……ぶっ!?」
最前列を走っていた巨大なオークたちが、突如として足をもつれさせ、地面に顔面から激突した。
「な、なんだ!? 足に……力が入らねぇ……!?」
「うぷっ……! 吐き気が……視界がグルグル回りやがる……っ!」
突撃の勢いは一瞬で霧散した。
誰一人として俺たちの間合いに踏み込むことすらできず、次々とその場に崩れ落ちていく。
武器を放り投げ、己の頭や腹を抱えて地面をのたうち回る兵たち。
血を吐く者、猛烈なめまいに襲われて激しく嘔吐する者、三半規管を狂わされて立ち上がることすらできず、虚空に向かって悲鳴を上げる者。
「ひぃぃっ!? な、何が起きてるんだ!? 攻撃なんてされてねぇぞ!?」
「毒か!? 呪いか!? 目に見えねぇ悪魔が暴れてやがる!!」
後方にいたゴブリン兵たちが、正体不明の現象に恐慌をきたして耳を塞ぎ、右往左往する。
理由が分からないからこそ、恐怖は際限なく膨れ上がる。
魔法の輝きも見えず、爆発音も聞こえない。
ただ前進しただけで平衡感覚を根こそぎ奪われ、内臓を激しく揺さぶられて自滅していくのだから当然だった。
前世でも、17ヘルツ前後の低周波音は「理由のない不安感」や「強い不快感」「激しいめまいや吐き気」を人体に引き起こすことで知られていた。
怪奇現象の正体が、古い空調設備が発する低周波による脳の錯覚だったという説があるほどだ。
「目に見える爆発や大声だけが、『音』の脅威じゃないんだよ」
俺は倒れ伏すモンスターたちの間を、何事もなかったかのように悠然と歩いた。
「人間の耳に聞こえない超低周波は、直接内臓や三半規管を揺さぶる。理由も分からず脳の処理が追いつかなくなり、平衡感覚を失って自滅する……まさに『不可視の凶器』だな」
わずか数十秒。
三百を超えていた魔王軍の軍勢は、誰一人として間合いを詰めることすら叶わず、冷や汗と吐瀉物に塗れて戦闘不能に陥っていた。
「す……凄まじい光景ですわ……」
背後で見守っていたエルナが、息を呑んで呟いた。
「音を消すだけでなく……耳に聞こえない音で、敵を手も触れずに無力化してしまうなんて……。これぞ『音響物理学』の神髄……!」
「まあ、不快な音を流して敵を追い払う害獣駆除みたいなもんだよ」
俺は掌を閉じ、低周波の干渉を解いた。
静まり返った荒野に残されたのは、風の音と、地面に這いつくばる敵のくぐもった呻き声だけ。
大声を張り上げて世界を支配しようとした魔王軍は、皮肉にも「聞こえない音」によって、あっけなく崩壊したのだった。




