第22話: 一人の男と、完全なる「……(無音)」
「な……なにィ!?」
ガラドの赤く血走った目が、驚愕で限界まで見開かれた。
王都の誇る第2外郭の巨石を一瞬で粉砕し、城壁の内にいた者たちを絶望の底に叩き落とした『竜の咆哮』。
その直撃コースの真ん中に、少年は何の防具も着けず、目に見える魔法障壁すら展開せずに、何食わぬ顔で立っていたからだ。
「なぜだ……!? なぜ死んでいねぇ!? なぜ耳から血を流して狂い悶えていねぇぇぇ!!」
「騒々しいな」
俺は両手をポケットに突っ込んだまま、呆れたように首を傾げた。
「160デシベル超の音圧衝撃波か。確かにすごいエネルギー量だ。直撃すれば人間なんて一瞬でミンチだろうな」
足元に転がってきた城壁の破片を、革靴の先でこつんと小突く。
「だがな……どれだけエネルギーが大きくなろうが、どれだけ空間を歪めようが、空気の疎密波である以上、それは『ただの音』だ」
「な……『ただの音』だと……!? 俺様の魂を削り出した竜の咆哮を……『ただの音』と抜かすかぁぁぁ!!」
ガラドのこめかみに青筋が浮き上がり、怒気で全身の毛穴から血煙が吹き出す。
「舐めるなよ、虫ケラがぁぁぁ!! 一撃で消し炭にならなかったのなら、細胞の欠片すら残さずすり潰してやる!!」
ガラドが肋骨を軋ませ、限界を超えて胸郭を膨張させた。
喉元が太陽のような赤紫の光を放ち、周囲の大気が高熱と圧力によってプラズマ化し始める。
魔力、生命力、そのすべてを注ぎ込んだ、正真正銘の最大出力による『最大威力・竜の咆哮』。
音圧はすでに170デシベルの領域へ達していた。
「死に晒せぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!」
『グォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォン!!!!!!!!』
天地をひっくり返すような破壊の奔流が解き放たれた。
大気そのものが質量を持って圧縮され、地表の土が津波のようにめくれ上がりながら、逃げ場のない速度で迫り来る。
城門の奥で、息を呑む騎士たちの悲鳴が凍りついた。
だが、俺は足を引かない。
半歩前へ踏み込み、右手をすっと正面へ掲げた。
(音圧172デシベル……周波数120ヘルツから8,000ヘルツに渡る複合破壊スペクトル……スキャン完了)
前世のエンジニア時代、どれだけ巨大なコンサート会場の歪んだ爆音も、精密なデジタルイコライザーとアナライザーの画面の上で解体してきた。
どれほど凶悪な龍の叫びだろうが、波形として捉えた瞬間、それはただの「引き算可能な数式」に過ぎない。
(全帯域・リアルタイム逆位相照射【絶対無音領域】)
俺は親指と中指を、静かに重ね合わせた。
ガラドが放った破滅の音波。その周波数、振幅、波形のすべてに対し、寸分の狂いもない「完全な逆位相」の魔力を、同等の出力で正面へぶつけた。
そして、
パチン。
指を鳴らした、次の瞬間。
「……(無音)」
ふっ、と世界からあらゆる音が消えた。
衝撃波の轟音も、大気を引き裂く風の唸りも、めくれ上がった土砂の崩落音すらも。
直前まで空間を軋ませていた巨大なエネルギーの塊は、俺の指先の数十センチ手前に接触した瞬間、まるで幻であったかのように「フッ」と消滅したのだ。
風ひとつ起きない。 舞い上がっていたはずの埃すら、ふわりと地面に落ちる。
残されたのは、ただ静まり返った青空と、呼吸の音すら吸い込まれるような「完全な静寂 」だけだった。
「〜〜〜〜〜〜〜〜!?!?!?」
ガラドは喉を張り裂けんばかりに広げ、目を血走らせて絶叫し続けている。
だが、その口からは何の音も漏れてこない。
170デシベルの暴力的なエネルギーは、接触面で正確にプラスマイナスゼロへと相殺され、熱や光に変換されることすら許されず、ただの平穏な空気へと還っていったからだ。
「〜〜〜〜!?(な、なんだ……!? 何が起きた……!?)」
ガラドが自らの巨大な首元を両手で掴み、狂ったように喉を掻きむしる。
背後に控える魔王軍も、城壁の影から覗いていた騎士たちも、金魚のように口をパクつかせたまま完全に凍りついていた。
絶大な破壊をもたらすはずだった「竜の咆哮」が、指先ひとつの操作で、ただの虚無へと消し去られたのだ。
「……ふぅ」
静寂の中、俺のついた小さな溜息だけが、やけに明瞭に空気に溶けていく。
「言っただろ。どれだけ大声を張り上げようが……ただの空気の揺れなんだよ」
腕を下ろし、恐怖で足の止まった巨躯を冷ややかに見据えた。




