第18話 魔王軍幹部「咆哮のガラド」接近
防音結界の中での穏やかで甘苦いコーヒータイムから一夜。
静寂に包まれていた天幕陣地に、冷気を孕んだ激震が走った。
「報告! 報告いたします!!」
血相を変えた偵察兵が、天幕へ転がり込んできた。
いつもなら腹底から大声を張り上げるはずの兵士だが、喉の保護を徹底されたおかげで、低く引き締まった声で迅速に状況を報告する。
「魔王軍先鋒部隊、および幹部『咆哮のガラド』が、王都外郭の第3防衛線を突破! 本陣へ向かって急速に進軍中! その距離、およそ十キロ!」
「なっ……! もうそこまで迫っていますの!?」
エルナが勢いよく立ち上がり、銀髪が鋭く揺れた。
「はい! ガラドは前回の『広域耳鳴りノイズ』だけではなく、新たな『兵器』を投入している模様です。 城壁を破砕するほどの、恐ろしい地鳴りが遠方から響いてきており……!」
偵察兵の言葉を裏付けるように、
ゴォォォォォォォォォン………………
地の底から響くような、重苦しい超低周波の地鳴りが、遠くの地平線から伝わってきた。
それは耳で聴く「音」というよりは、胃や内臓、そして骨格を直接揺さぶるような不快な「振動」だった。
天幕の支柱がカタカタときしみ、テーブルの上に置かれたカップの水面が細かい波紋を刻む。
「く……っ! なんという重低音……! 息をするだけで、胃が持ち上げられるような不快感が……!」
エルナが胸元を押さえ、顔を顰める。
俺は静かに椅子から立ち上がり、天幕の外へ出た。
遠くの地平線が、歪んだ魔力と粉塵で黒く濁っている。
空気の壁を押し広げるようにして迫ってくるのは、人間の耳の可聴域を下回る『超低周波』を主軸にした、物理破壊用の波動だ。
「周波数、およそ8ヘルツから15ヘルツ……。建造物の共振を狙った物理破壊用の超低周波音か」
俺は冷静に分析した。
高い音(高周波)はノイズキャンセリングや遮音材で防ぎやすい。
だが、波長が数メートルから数十メートルにも及ぶ極端な「低すぎる音(低周波)」は、大気や地盤を伝わって遮蔽物を易々と透過し、建造物の固有振動数と共振して内部から木っ端微塵に粉砕する。
前世でも、工場の巨大機械や大型ダンプカーが発する低周波公害が厄介な問題になっていたが、ガラドの兵器はそれを魔力で兵器レベルに増幅させたものだ。
「ガハハハハハハ!! 聞こえるか、王立声楽騎士団の軟弱どもぁぁぁぁ!!」
大気をビリビリと震わせ、魔力拡声されたガラドの凶悪な怒号が地平の向こうから響き渡る。
『俺様の新たな玩具、『超超低周波破砕砲』の生み出す重低音だ! いくら防音結界を張ろうが無駄だぞ! 重低音は壁を突き抜け、お前らの城壁を砕き、内臓ごと破裂させてくれるわ!』
ガラドの嘲笑とともに、地鳴りのような振動の振幅が一気に跳ね上がった。
ズズズズズズズズズ……ッ!!
と足元が波打つ。
「あぁっ……! 地面が……陣地の石畳が……!」
周囲の騎士たちが次々と膝をついた。
目に見える刃が飛んできたわけではない。
だが、地面を伝って体内に侵入した超低周波が、三半規管と自律神経を直接狂わせているのだ。陣地全体に強烈な吐き気とめまいが蔓延していく。
遠くに見える王都の第2外郭の石造りの城壁には、すでにピキピキと巨大な亀裂が走り始めていた。このまま共振が続けば、交戦する前に城壁が崩壊し、騎士団も全滅する。
「アキト様……このような地を揺らす波長すら、防ぐ手立てはあるのですか……?」
エルナが苦しげに息を吐きながら、すがるような目で俺を見つめた。
波長が長すぎる超低周波は、通常の逆位相波をぶつけるのが非常に難しい。
波の振幅が巨大な分、少しでもタイミングが狂っただけで逆に増幅され、破壊力を倍増させかねないからだ。
「防ぐ? ……フッ」
俺は小さく息を吐き、ポケットから両手を出した。
「壁を突き抜けて地面から振動を伝えてくるなら、その『地面(媒体)』そのものの共振を殺せばいい。音響工学の基本……『アクティブ・バイブレーション・コントロール(能動的振動制御)』の出番だな」
全身の魔力を、地面との接地面へ向けて鋭く収束させていく。
かつてない密度で練り上げられた魔力が、足裏の土中へと浸透していった。
「エルナ、出撃の準備をしろ」
俺は静かに、しかし絶対的な確信を込めて言い放った。
「あいつの垂れ流す下品な重低音……俺のスローライフの邪魔になる。完膚なきまでに黙らせに行くぞ」




