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第16話 消音暗殺詠唱の完成

「……ふぅ」


王都郊外、深い森に囲まれた極秘の演習場。


風が木立を揺らし、葉擦れの微かな音だけが支配する静寂のなかで、エルナは静かに息を整えていた。


彼女の視線の先、およそ500メートル先の大樹の幹には、真っ赤な丸が描かれた練習用の木製標的(ターゲット)が設置されている。


通常、この距離から魔法を叩き込むには、最低でも130デシベル以上の「絶叫じみた詠唱」が必要不可欠だ。


大気を激しく震わせ、自分の喉を削るほどの音圧を放って初めて、魔法のエネルギーは減衰せずに遠くの敵へ到達する。


それが、この世界の魔法の絶対法則であり、常識だった。


だが、現在のエルナの構えには、大声を張り上げる前の「息を吸い込む予備動作」すら見当たらない。


肩の力を抜き、リラックスした姿勢で立ち尽くしている。


その体内で練り上げられた魔力は、40,000ヘルツの【超音波】へと精密に変調され、右手の指先へ極限まで凝縮されていた。


(喉の力を抜いて、声を張り上げない……。空間の「直線」を意識して、超音波の搬送波に、私の吐息を乗せるように ……)


アキトから叩き込まれた「パラメトリックスピーカー(指向性オーディオ)」の理論が、彼女の脳裏を駆け巡る。


教え込んだパラメトリックスピーカーの原理を、彼女は完璧に身体へ落とし込んでいた。


可聴音は全方位へ拡散し、距離の二乗に比例して弱まる。だが直進性に特化した超音波をキャリア(搬送波)にすれば、エネルギーを途中で漏らすことなく、狙ったピンポイントの空間だけで本来の音圧を自己復調させられる。


(狙撃地点、目標の耳元ピンポイント)


エルナは静かに瞼を開いた。その澄んだ瞳に、冷徹なまでの集中力が宿る。


唇が、かすかに動いた。


隣に立つ俺にすら吐息と区別がつかないほどの、 ボソボソとした呟き。


「……『聖響炎華(グラン・ファイア)』」


――シュン。


音は、一切しなかった。


爆発音も、大気を引き裂く風切り音すらも存在しない。


エルナの指先から放たれたのは、人間の耳には知覚できない透明な「指向性超音波ビーム」のみ。


そのビームは、彼女と標的の間にある500メートルの空間を、完全なる「無音」のまま光速で駆け抜けていく。途中の草木すら微動だにしない。


そして、標的の寸前に到達した瞬間。


ドゴォォォォォン!!!!!


「「「「!?!?!?!?」」」」


物陰で見守っていた王立声楽騎士団の幹部たちが、跳び上がらんばかりに腰を抜かした。


空間がぐにゃりと歪み、轟音とともに天を衝く紅蓮の火柱が立ち昇った。

猛烈な爆風と熱波が渦巻き、巨木ごと木製標的が一瞬にして消滅する。


それだけの破壊規模でありながら、俺たちの足元には爆風の余波ひとつ届かない。

音も、熱も、衝撃も、すべてが500メートル先の極小エリアだけで完結している。


エルナの周囲には、鳥のさえずりが聞こえるほどの平穏が保たれたままだった。


「な……な、なん……っ!?」


物陰に控えていた王立声楽騎士団の幹部たちが、腰を抜かして地面へへたり込んだ。


「お、音もしなかったぞ……! 詠唱の気配すらなかったのに、なぜ遠方であれほどの極大魔法が……!?」


「あり得ん……大声を張り上げずに、どうやって威力を維持したというんだ……」


騎士たちが狼狽し、互いに顔を見合わせながら右往左往している。


音圧こそが正義だと信じ込んできた彼らにとって、ボソリと呟いただけで遠くの標的を焼き尽くす無音の狙撃魔法など、もはや理解の範疇を超えた化け物の業にしか映らないのだろう。


「ふぅ……」

エルナは静かに腕を下ろすと、額の汗を指先でぬぐい、ぱっと表情を明るくしてこちらを振り返った。


「やりましたわ、アキト師匠! 完全に習得いたしました!」


「ああ、見事だ。音の伝播経路には一切のエネルギーを漏らさず、着弾点だけで魔法を復元・炸裂させる……完璧な『指向性消音暗殺詠唱(パラメトリック・キャスト)』だな」

俺は冷めたコーヒーを一口すすりながら、満足げに頷いた。


これなら、彼女がどれほど大火力の魔法をぶっ放そうが、俺の耳に不快な爆音が届くことはない。喉を痛めることもなければ、近所迷惑な爆音に悩まされることもない。


じつに合理的で静かな技術だ。


「これなら……これなら『咆哮のガラド』の広域ノイズに惑わされることなく、敵の陣営の真っ只中へ、無音のまま極大魔法を叩き込めますわ!」

エルナは胸の前で小さく拳を握り締め、凛とした闘志を瞳に宿らせた。


「敵が不快な騒音を撒き散らしている隙に、こちらは完全な無音のまま、首魁の頭上へ裁きを下す……! 師匠に教わった『音響物理学』の真骨頂、見せて差し上げますわ!」


「頼もしいが、近隣の迷惑にならない程度に手加減はしろよ」


「心得ておりますわ!」


無音の狙撃手段を手に入れた元・絶叫系聖女。

魔王軍の幹部『咆哮のガラド』との決戦の火蓋が静かに、そして誰にも気付かれないまま幕を開けようとしていた。


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