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第15話 【サブ】二人だけのナイショ話(指向性デート)

「し、師匠……っ、本当にこのような場所で訓練になるのですか……!?」


王都近郊の巨大な商業都市。その中心に位置する中央市場は、まさに「大騒音の坩堝(るつぼ)」と化していた。


「いらっしゃいませぇぇぇ! 本日獲れたての新鮮な魚が半額ですわぁぁぁ!!(物理的音圧)」


「いらっしゃい! 安いよ安いよぉぉぉぉ!!(衝撃波)」


威勢の良さを誇示するように店主たちが腹底から怒号を張り上げ、客たちも負けじと大声で値切り交渉を挑む。前世の競り市と暴走族の集会を混ぜ合わせたような喧騒の中、エルナは両耳を塞ぎながら、真っ赤な顔でオロオロと立ち尽くしていた。


隣を歩く俺は、自作の耳当て結界で音量を快適なレベルまで減衰させ、涼しい顔を保っている。


「当たり前だろ。静かな場所でパラメトリックスピーカーの実験をしたって面白くもなんともない。この雑音に満ちた混雑の中で、狙った相手にだけ『声』を届けられてこそ本物だ」


「で、ですが……こんな人混みで大声を張ったら、また喉を痛めてしまいますわ……!」


「だから大声は出すなと言ってるだろ」


俺は立ち止まり、人混みで離れそうになるエルナの細い手首を咄嗟に掴んだ。


「ひゃいっ!?」

変な上ずった声をあげるエルナ。その白い頬が、一瞬で耳の先まで真っ赤に染まる。


「離れるなよ、迷子になる。……いいか、今から『指向性超音波』の実践練習だ。喉の力を完全に抜いて、吐息を混ぜたボソボソ声で喋れ。魔力を40,000ヘルツの超音波に変調させて、俺の耳元だけを狙って照射するんだ」


「えっ……こ、こんな至近距離で……ふたりだけで会話をするのですか……!?」


「当たり前だろ。通信実験なんだからな」


俺はエルナの手を引いて人混みの端、少し小高くなった通りの側道へ避難させた。


周囲は威勢の良い商人の怒号(100デシベル超)が飛び交い、普通に言葉を交わそうとすれば絶叫するしかないような環境だ。


俺はエルナから二メートルほど距離を取り、まっすぐ向き合った。


「よし、俺に向かって何か喋ってみろ。ボソボソ声で、超音波の焦点を俺の右耳に合わせて撃ち込むんだ」


「うぅ……い、いきますわよ……」


エルナは緊張した面持ちで細く息を吸い、胸の前で小さな両手を構えた。

そして、人混みの喧騒の中に掻き消えてしまいそうなほど、頼りなく小さな唇の動きで呟いた。


(……聞こえますか、師匠?)


その瞬間。


『……聞こえますか、師匠?』


俺の右耳のすぐ目と鼻の先で、まるでエルナが耳元へ唇を寄せ、直に囁きかけてきたかのような、吐息の混じったクリアな声が響いた。


周囲の激しい喧騒は一切遮断されていない。それなのに、彼女の囁き声だけが、高性能のイヤホンから直接流し込まれたように、俺の耳の奥へくっきりと届いたのだ。


「……完璧だな。周囲には一切音が漏れてない。大成功だな」


「え……!? ほ、本当ですの!?」


エルナがぱっと瞳を輝かせた。


(本当に……周りの方には聞こえていませんの……?)


『ああ、まったく聞こえてないよ。ほら、すぐ横を歩いてる魚屋のおじさん、こっちを気にも留めてないだろ』


俺も可聴音を40,000ヘルツの超音波に乗せ、指向性ビームとしてエルナの左耳へと打ち返した。


(ひゃあッ……!?)


エルナが可愛らしく肩を跳ねさせ、反射的に自分の左耳をぎゅっと手で押さえた。


『す、すごいですわ……! アキト師匠の声が、まるで私の耳元で直接囁かれているみたいに……あ、頭の中に直接響いてきますわ……!』


『これがパラメトリックスピーカーの原理だ。超音波がまっすぐ直進して、君の耳元で元の声に戻っている。これなら、どれだけ賑やかな市場でも、二人だけの秘密の会話ができる』


『ふたりだけの……ひみつ……』

エルナは顔を林檎のように真っ赤にして俯き、もじもじと指先を絡め合わせた。


端から見れば、大騒音の市場の片隅で、若い男女が無言で見つめ合っているだけにしか見えないだろう。しかしその実、二人の間には、世界から切り離された『二人だけの音の回線』がしっかりと繋がっていた。


(……師匠、あの、ひとつ試してみたいことが……)


『なんだ?』


エルナはおずおずと顔を上げ、上目遣いに俺の瞳を見つめてきた。


そして、喉をかすかに震わせ、吐息のようなボソボソ声で囁いた。


(……アキト様。私、貴方と一緒にいると、胸の奥がキュッとして……心がすごく静かになるのですわ)


『……っ』


その一言が、超音波ビームに乗って俺の右耳へダイレクトに突き刺さった。

吐息の温もりすら伝わってきそうなほどリアルな質感の囁き声。


普段は大声を張り上げている勝気な聖女様が、二人だけの秘密の空間で見せる、あまりにも無防備で甘い声。


(あ、あの……! 今のは訓練ですわ! 訓練のテストですからねっ!?)


俺の硬直した様子を見てパニックになったのか、エルナが顔から湯気を立てながら両手をブンブンと振り回した。 だが、焦ってビームの焦点を絞り忘れたせいで、今度は俺の全身に向けて彼女の可愛らしい「ボソボソ照れ声」が無差別に降り注いだ。


「……焦りすぎて指向性が散らばってるぞ、エルナ」


「あぅ……っ! もう、師匠の意地悪……!」


俺は熱を持ちかけた頭を冷ますように、ひとつ大きな溜息を吐き出した。

……まったく、とんでもなく心臓に悪い技術を教えてしまったかもしれない。


「ほら、実験は終わりだ。せっかく市場に来たんだ、美味いものでも買って帰るぞ」


俺が踵を返して歩き出すと、エルナは恥ずかしそうに視線を落としながらも、そっと俺の上着の裾を指先で掴んでついてきた。


「……はい、アキト様」


今度は指向性超音波を使わない、本当に小さな、けれど確かな本物の声で。

大騒音の市場の真ん中で、俺たちだけの静かで穏やかな時間が、ゆっくりと流れていった。

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