第13話 【サブ】声の出ない吟遊詩人と建築音響
魔王軍のノイズ攻撃をイコライザー結界で無力化し、声楽騎士団の陣地に束の間の平穏が訪れた翌日のことだ。
「ハァ……もうおしまいだ。私の詩人生命は、ここで潰えたのだ……」
陣地から少し離れた小さな街の広場で、絵に描いたような黄昏を見せている男がいた。
派手な羽飾りのついた帽子を被ったその人物は、王都でも名を知られる吟遊詩人のオルフェ。
足元には弦の切れたリュートが無残に転がり、本人は絶望の底に突き落とされたように石畳へ突っ伏している。
「どうなさいましたの、オルフェ殿? 貴方の歌声といえば、王都の貴族たちがこぞって買い求めるほど高名だったはずですが……」
エルナが心配そうに駆け寄り、声をかける。
「おお、聖女様……。実は、先日の魔王軍による『悪魔の耳鳴り』で喉をひどく痛めてしまいましてね……。以前のように、広場いっぱいに轟くような大声が出ないのです。声を張ろうとすれば喉が引き千切れそうになる……大声を出せない詩人に、生きている価値などありません……!」
オルフェはボロボロと大粒の涙をこぼし、自身の首元を掻きむしらんばかりに嘆いた。
「そんな……! オルフェ殿のあの素晴らしい歌声まで奪われてしまうなんて……!」
エルナもショックを隠しきれず、痛ましげに胸元を押さえる。
だが、そのやり取りを横で静かに眺めていた俺は、冷めた声で割り込んだ。
「別に、大声を張り上げなくても歌えるだろ」
「……はい?」
オルフェが涙に濡れた顔を間抜けそうに上げた。
「君たち歌い手は、自分の『喉の力』だけで音を大きくしようとしすぎるんだよ。前世……いや、俺のいた世界の劇場や音楽ホールでは、歌い手が叫ばなくても、繊細な囁き声すら最後列の客席まで完璧に届く仕組みがあった」
「さ、囁き声が一番後ろまで……!? そんな魔法のような場所があるのですか!?」
「魔法じゃない。ただの『建築音響工学』だよ」
俺は広場の奥に佇む、すり鉢状の古い石造り野外音楽堂を顎で示した。
風化して表面が削れ、ステージ後方の壁面は崩れかけている。
「音というのは、発生した場所から放射状に広がり、壁に当たって反射を繰り返す。今のこの場所は壁の形状が歪で音が四方八方に散らばり、あろうことかステージ背面の壁が音のエネルギーを吸収してしまっている。だから歌い手が無駄に絶叫しなきゃ届かないんだ」
俺は足元の土を拾い、即席で音響設計の図面をさらさらと描き始めた。
「音を効率よく客席に届けるには、三つの要素が必要だ。第一に『初期反射音の制御』、第二に『残響時間の最適化』、そして第三に『共鳴構造』だ」
「し、初期反射……ざんきょう……?」
オルフェとエルナが揃ってポカンと口を開ける。
「要するに、歌い手の声を『メガホン』のように効率よく客席へ集音・拡散させる壁の配置にするんだよ。ステージの後方に、滑らかな放物線を描く木製の反射板(音響板)を建てる。そして、客席側の天井の代わりに少し角度をつけた天井板を貼る。そうすれば、小さな声でも音波が拡散せず、綺麗に増幅されて観客の耳に届く」
俺は近くで呆然と見ていた地元の木工職人を呼び止め、手持ちの金貨を数枚放り投げた。
「この図面の通りに、ステージ背面に滑らかな木板を組んでくれ。それと、ステージ床下に密閉された空洞を設けて、共鳴箱の役割を持たせる。半日もあればできるだろ?」
「お、おう! 単純な大工仕事ならお安い御用だ!」
数時間後。 野外音楽堂のステージは、劇的な変貌を遂げていた。
ステージ後方には、美しく湾曲した巨大な木製の音響反射板が設置され、ステージの足元の木製フロアからは心地よい木の香りと微かな残響が漂っている。
「さあ、オルフェ。そこへ立って、無理に大声を張り上げず、いつもの半分……いや、囁くくらいの声量で歌ってみろ」
「は、はい……」
半信半疑のままステージの中央へ歩み出たオルフェ。
彼は痛む喉を庇いながら、おそるおそる囁くような声で歌い始めた。
「〜〜♪(愛しき人よ、風の音を聞け……)」
その瞬間。
『〜〜♪(愛しき人よ、風の音を聞け……)』
「なっ……!?」
オルフェ自身が驚愕のあまり歌声を止めた。
小さな呟きに過ぎなかったはずの歌声が、背後の木製反射板で綺麗に集約され、床下の空洞でふくよかに共鳴を起こしたのだ。
まるで最高級のアコースティックスピーカーを通したかのように、音楽堂の隅々まで、驚くほどクリアに音が満ちていく。
客席の最後列にいたエルナが、パッと瞳を輝かせて歓声を上げた。
「すごいですわ、オルフェ殿! 貴方の繊細な息遣いまで、すぐ目の前で囁かれているかのようにくっきりと聴こえます! まるで澄み渡る風が耳元を撫でるような、極上の響きですわ!」
「お……おお……! 喉がまったく痛まない……! 叫ばなくても、私の歌が……遠くまで届いている……!!」
オルフェは溢れ出る感動の涙をぬぐい、再びリュートをかき鳴らした。
今度は、全盛期以上の感情を込めて。
大声で力任せに張り上げるのではない。
音の繊細なニュアンスと余韻を空間全体で響かせる、息を呑むほど美しい歌声が、夕暮れの街を柔らかく包み込んでいく。
足を止めた街の人々が、そのあまりの美しさに息を飲み、うっとりと耳を傾けていた。
「素晴らしいですわ……! 怒号と騒音ばかりだったこの街に、こんなにも美しい『音楽』が生まれるなんて……!」
エルナが胸に手を当て、感極まって瞳を潤ませる。
「声のデカさだけに頼るから、喉を壊すんだ。空間の『響き』を味方につければ、どんなに小さな声でも世界に届く」
俺は手元のコーヒーを静かに傾けながら、茜色に染まるステージを見つめた。
「……ありがとな、アキト殿! 君は私の命……いや、音楽そのものを救ってくれた!」
演奏を終えたオルフェがステージから駆け下りてきて、俺の手を固く握りしめた。
「この恩は一生忘れない! これから私は世界中を旅し、『大声を出さなくても心に届く美しい歌』を広めてみせるよ!」
「ああ、好きにするといい。……ただし、大声で宣伝して回るのは勘弁してくれよ?」
俺がぼやくと、オルフェとエルナ、そして作業を終えた職人たちが顔を見合わせ、温かな笑い声を上げた。
騒音に満ちたこの異世界で、ほんの少しだけ「美しい音」が生まれた、穏やかなひとときだった。




