第12話 敵のノイズだけを消す「イコライジング」
王都近郊、王立声楽騎士団の天幕陣地。
足を踏み入れたそこに広がっていたのは、まさに凄惨を極めた「音響拷問部屋」だった。
「キィィィィィィィィィン……」
空気を不快に引き裂く、金属同士を無理やり擦り合わせるような鋭利な高音。
陣地全体を重く覆うその周波数は、騎士たちの平衡感覚と精神を容赦なく削り取り、地面を這いずり回る彼らの喉から苦悶の呻きを絞り出させていた。
「うあぁぁぁ……頭が……脳が割れそうだ……!」
「喉が……歌おうとすると喉が灼けつくように痛む……っ!」
吐血し、潰れた首元を押さえて苦しむ騎士たち。
敵のノイズに力任せに対抗しようと無謀に声を張り上げ、自らの声帯を内側から破壊してしまった結果だ。
「ひどい……こんなの、あんまりですわ……」
同行したエルナが溢れ出る涙を拭おうともせず、白銀の籠手をギリリと鳴らした。
「静かにしていろ。……これ以上、無駄に喉を痛めたいのか」
俺は眉をひそめ、陣地の中央へと無造作に歩み出た。
確かに耳障り極まりない。
前世で言えば、調整の狂った巨大アンプのハウリングに、黒板を爪で引っ掻く音を重ねて大音量で垂れ流されているようなものだ。
「ア……アキト師匠、どうすれば……!? 以前のように、結界で陣地全体を『無音』にしますの!?」
「馬鹿なことを言うな。陣地全体を完全無音にしたら、前線の指示や味方の報告まで聞こえなくなる。戦場で互いの声が通らないのは致命傷だ」
「で、ですが、ならどうやってこの凄まじい耳鳴りを……!?」
「簡単だ」
俺は上着のポケットから両手を引き抜き、意識の焦点を戦場全体へ広げた。
空間に充満する雑音、その周波数成分を瞬時にスキャンし、帯域ごとに分解していく。
(基音は14,200ヘルツの高周波ノイズ。そこに55ヘルツの電源ハム音に似た濁った低周波が重なっているな……。それ以外の帯域、人間の肉声が含まれる300ヘルツから3,000ヘルツの帯域は、驚くほどクリアだ)
敵の狙いは、人間の声の帯域そのものを潰すことではない。
人間が本能的に耐えられない「特定の不快な周波数」だけをピンポイントで浴びせ、思考力を奪って自滅へ誘導すること。
ならば、やるべき処置はひとつしかない。
世界をまるごと消音するのではない。不要な周波数だけを選び取り、ナイフで削ぎ落とすようにカットする。
「イコライジング(周波数帯域調整)を開始する」
俺は空間全体へ薄く魔力を放射し、陣地一帯を覆う不可視のフィルター領域を形成した。
狙うのは、二つの特異な周波数帯(14,200Hzと55Hz)のみ。
そのピンポイントな帯域だけに、完璧な『逆位相』を重ね合わせる空間的ノッチフィルターを瞬時に編み上げていく。
帯域制限・逆位相照射。
フッ……。
次の瞬間。
「……え?」
陣地を埋め尽くしていた、頭蓋を直接締め上げるような高音の悲鳴と不快な地鳴りが、まるで最初から存在しなかったかのように掻き消えた。
だが、完全な無音ではない。
「あ……あ……?」
「風の音が……聞こえる……?」
「頭痛が、消えた……!?」
騎士たちが、信じられないという顔で次々と顔を上げた。
あの地獄のような拷問ノイズだけが綺麗に消え去り、風のそよぎや、自分たちの荒い呼吸、そして仲間同士の微かな囁き声だけが、驚くほどクリアに耳元へ届いている。
「し、師匠……!? これは一体、何が起きていますの……!?」
エルナが目を見張り、信じられないものを見るように俺を凝視した。
「ノイズだけを間引いたんだ。音というのは高い音から低い音まで、無数の周波数が混ざり合ってできている。人間同士の会話に必要な帯域はそのまま残し、敵が撒き散らしている『不快な周波数』だけをピンポイントで打ち消した」
「特定の……波長だけを狙い撃ちで消す……!? そんな神業のような技術が……!」
「物理現象なんだから、波形さえ割り出せば朝飯前だ」
俺が淡々と告げると、倒れ伏していた騎士たちはボロボロと大粒の涙を流しながら、這うようにして俺の元へ集まってきた。
「あ……救われた……! あの地獄の耳鳴りが消えたぞ……!」
「声が出せる……!叫ばなくても、普通の声で仲間と話せるんだ……!」
陣地全体に、深い安堵と静かな歓喜が波のように広がっていく。
だが、俺の作業はまだ終わっていない。
視線を上げ、遠くの丘の上 。未だに不快なノイズを垂れ流し続けている魔王軍の巨大な発振魔導具へ、冷え切った眼差しを向けた。
「さて……人の神経を逆撫でする粗悪な音を撒き散らしてくれた落とし前だ」
俺は指をパチンと鳴らし、空間イコライザーの出力を固定した。
「次は、あの不快なスピーカーを物理的に黙らせに行こうか」




