第11話 喉を潰された騎士団
「……ふぅ。静かだ」
翌朝、俺は自宅(完全防音オーディオルーム)で、ソファーの背もたれに深く身体を沈め、 淹れたてのコーヒーを一口すすった。
昨日の夕暮れ時、必死で弟子入りを志願してきた聖女エルナを「外で大声を出すな」と追い返してから、およそ十二時間。ようやく俺の平穏な日常が戻ってきた……はずだった。
「アキト師匠! 朝の静寂を乱して大変申し訳ありませんわ!」
バカァン!!
重厚な二重防音ドアが勢いよく開き、朝の陽光と共に銀髪の聖女が転がり込んできた。
「ぶふっ!?」
俺は吹き出しそうになったコーヒーを慌てて飲み下し、カップを机に叩きつけた。
「なぜ入ってこられる!施錠していたはずだぞ !?」
「宿屋のボルド様に『師匠のお手伝いをしたいのです!』と頭を下げましたら、『おお、アキトの嫁候補か! ほれ、合鍵をやる!』と快く引き渡してくださいましたわ!」
「あのクソ親父、余計なことを……!」
俺は頭を抱えた。
鍵を掛け直すだけでは駄目だ。
物理的な鍵穴すら完全密閉する超高気密ドアへ施工し直さなければならない。
だが、エルナは俺の苛立ちを受け流すと、抱えていた分厚い羊皮紙の束をローテーブルへ静かに広げた。その表情は、昨日までの高飛車なお嬢様気質とは打って変わり、痛々しいほど張り詰めている。
「……師匠。茶化しに来たわけではありませんの。どうか、これをご覧になってくださいまし」
羊皮紙に記されていたのは、王立声楽騎士団の陣形図と、生々しい被害報告書の数々だった。
「これが……我が騎士団の惨状ですわ」
エルナは喉の奥から絞り出すように語り始めた。
いつもなら無駄に遠くまで通り抜ける彼女の声が、今は意識して低く、掠れた音量に抑えられている。
「現在、王都の近郊には魔王軍の幹部『咆哮のガラド』率いる先鋒部隊が迫っておりますの。我が『王立声楽騎士団』は迎撃に向かいました。ですが……戦いにすらなりませんでした」
「戦いにならない?声量の勝負で押し負けたのか?」
「違いますわ。負ける以前の問題です……。ガラドの奴め、自ら咆哮を放つのではなく、 特殊な魔導具を用いて『広域耳鳴りノイズ』を戦場全体に撒き散らしたのです」
「……耳鳴りノイズ?」
俺はわずかに目を細めた。
「ええ。キィィィン、と……まるで脳の髄を直接やすりで削られるような、耐え難い超高音。それが昼夜を問わず、戦場全域に鳴り響き続けているのです。騎士たちは集中をズタズタに引き裂かれ、互いの号令すら聞き取れず、焦ってさらに無理な大声で詠唱しようとしました。……結果は、惨劇ですわ」
エルナは唇を血が滲むほど強く噛み締め、両の拳を震わせた。
「不快なノイズに力任せで対抗しようと、限界を超えて叫び続けた騎士たちは……次々と喉の血管を破裂させ、声帯を潰されました。声を失った騎士は、魔法の詠唱すら叶いません。現在、部隊の八割が重度の喉の損傷を負い、前線を退くことを余儀なくされていますの」
報告書には、血反吐をぶちまけて倒れ伏す若き騎士たちの記録が冷酷に綴られていた。
(なるほどな……)
俺の頭の中で、音響エンジニアとしての回路が急速に回転し始める。
敵の狙いは、大音量の衝撃波による直接破壊ではない。 人間が本能的に不快感を抱く特定の高周波ノイズを浴びせ続け、聴覚と精神を疲弊させる。
そして指示を通そうと無謀な発声を強いることで、相手に己の声帯を自壊させる悪質な音響兵器だ。
前世でも、工場の機械音や高周波ノイズに長期間晒された作業員が、頭痛や自律神経失調症で倒れるケースは珍しくなかった。
ガラドという男は、それを戦術として極めて意図的に利用している。
「声を張り上げることこそが誉れであり、力のすべてだった我が部隊が……声を出すことすら奪われ、無惨に自滅していく……。ガラドはその無様な姿を嘲笑いながら、王都への侵軍を続けておりますの」
エルナの大きな瞳から、ぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちた。
彼女は法衣の裾を濡らしながら、俺の足元へ深々と膝をついた。
「お願いです、アキト師匠……! 私は己の浅はかさを恥じました。ただ大声を競い合うだけでは、誰も救えませんわ。敵の汚らわしい騒音だけを消し去り、倒れゆく仲間たちの喉を守る……その『音響物理学』の術を、どうか私に授けてくださいまし……!」
昨日までの高圧的な態度も、名門貴族としてのプライドも捨て去り、ただ仲間を救いたい一心で頭を下げる少女。
「……はぁ」
俺は本日、何度目になるか分からない溜息を、深く吐き出した。
「顔を上げな、エルナ」
「し、師匠……?」
「俺は戦争にも、王都の政治劇にもこれっぽっちの興味もない。ただな……」
俺はぬるくなったコーヒーを一気に呷り、冷ややかに言葉を継いだ。
「不快なノイズを撒き散らして、人の睡眠や健康を害する連中だけは……音響エンジニアとして、反吐が出るほど許せないんだよ」




