第10話 理由を教えてあげる
「ひ、光栄なる我がルシル家の聖歌が……手も触れずに消滅させられましたの……?
これが……失われた古代の禁忌、闇属性魔法……?」
地面に両手をつき、青ざめた顔でガタガタと震えるエルナ。
彼女の頭の中では、恐らく「悪魔の呪い」だの「概念を喰らう暗黒魔法」だのといった、物々しい幻想がぐるぐると駆け巡っているのだろう。
この世界の人間は、何でもかんでも『魔力と気合と大声』で片付けようとするから困る。
「闇属性でも呪いでもないよ」
俺は深々と溜息をつき、地面にへたり込むエルナの前へしゃがみ込んだ。
「君の詠唱を、物理的に打ち消したんだよ」
「ぶ……物理的に……打ち消す……? 魔法を、物理で……?」
ぽかんと口を開けるエルナ。
後ろで腰を抜かしていた騎士たちも、息を呑んで耳を澄ませている。
「いいか、よく聞け。君たちが『魔法の威力』だと思い込んでいるものの正体は、喉や空気の振動、つまり『音波』だ。どれだけ高貴な聖歌だろうが、悪魔の怒号だろうが、空気の疎密波という単純な物理現象に過ぎない」
俺は足元に落ちていた小枝を拾うと、地面の土にすっと一本のなめらかな波線を描いた。
「これが、君がさっき放った『聖響風爆陣』の音波だ。山があって、谷がある」
「は、はあ……」
「で、俺がやったのはこれだ」
俺は描いた波線のすぐ下に、山と谷が完全に反転させた『 もう一本の波線』を重ねるように描いた。
「君が山、つまり高気圧の波を出した瞬間に、 俺はまったく同じ強さの谷低気圧の波を重ねた。プラスとマイナスを足せば、答えはゼロだ。 山と谷が互いを打ち消し合って、空気の振動そのものが消滅した。ただの『音響物理学』だよ。魔法の打ち消し合いですらない」
「音響……物理……学……?」
地面に描かれた図形を、エルナは穴が開くほど見つめている。
「魔法は……声量は……神から与えられし聖なる力ではなく、ただの『空気の揺れ』……? それを……波を重ねるだけで……ゼロに……!?」
彼女の瞳の中で、それまで世界を形作っていた常識が、ガラガラと音を立てて崩壊していくのが分かった。
この世界では「大声を出す者=偉い」「喉が強い者=最強」という単細胞な価値観が全てだったのだ。
それを「ただの空気の振動」「計算で消せる波 」と理詰めで解体されたショックは、己の存在理由を根底から揺るがすほどの衝撃だったに違いない。
「……というわけだ。君の威力が足りなかったわけでも、俺が恐ろしい呪いを使ったわけでもない。ただの現象だ。理屈が分かったなら、大声を出すのをやめて王都へ帰りな」
俺は枝を放り投げ、膝を払って立ち上がった。
(よし、完璧だ。これで自分の無駄な大声に虚しさを覚えて、 おとなしく撤退してくれるはず)
「す……素晴らしいですわ……!! 」
「……は?」
俺の完璧なクロージングを叩き割ったのは、エルナの感極まった大音声だった。
バッと顔を上げた彼女の瞳に、先ほどまでの絶望や恐怖は微塵も残っていない。
代わりにギラギラと宿っていたのは、狂信的なまでの熱狂と、抑えきれない知的好奇心。
「声量を競うだけの不毛な詠唱合戦ではなく……『音の理』を理解し、現象そのものを統べる技術……! 魔法障壁で耐えるのではない、『無』に還す絶対の防御……!」
「いや、だからただの物理現象で……」
「鳴海晃人様! いえ、アキト師匠!!」
「師匠って呼ぶな」
エルナは膝立ちのまま猛烈な勢いで前へ詰め寄ると、俺の右手を両手でガシッと固く握りしめてきた。 脳筋騎士団の隊長だけあって、めちゃくちゃ握力が強い。まったく外れない。
「我が『王立声楽騎士団』は今、魔王軍幹部が放つ『悪魔の耳鳴り(デス・ノイズ)』によって喉を潰され、壊滅の危機に瀕していますの! 敵の騒音だけを消し去り、味方の声を届ける…… 貴方のその『おんきょうぶつりがく』さえあれば、我が騎士団は救われますわ!」
「知らん! 俺は静かにコーヒーを飲んで本が読みたいだけなんだ!」
「私を弟子にしてくださいまし! その『音を殺す術』を……私に教えてください!」
「断る!!」
「そこをなんとかぁぁぁぁぁ(高音ソプラノ)!!!」
「だーかーらー! 大声を出すなと言ってるだろ!!」
夕暮れ時のシグマ村に、聖女の必死すぎる美声と、俺の心底うんざりしたツッコミが響き渡った。
追いはらったはずの盗賊、完成した完全防音オーディオルーム、そして新たに押しかけてきた超絶うるさい聖女様。
静かなスローライフを夢見て転生したはずの日常は、俺のささやかな願いをあざ笑うかのように、どんどん騒がしく(そして無音に)巻き込まれていくのだった……




