殿下、離れられないんですけど!?①
「セレティア嬢。少し、手を貸してもらえるかな」
放課後、図書館から戻る途中で、ユリウス殿下に呼び止められた。
隣には、魔法を教えている先生が立っている。
二人の前の机には、いくつかの魔道具が並んでいた。
「展示前の確認をしていてね。この箱を、そちらへ移したいんだ」
「はい」
私は机に鞄を置き、箱の片側へ手を添えた。
反対側を殿下が持ち、二人で持ち上げる。
軽い箱だった。
けれど、机へ下ろそうとしたとき、中で、かたんと音がする。
仕切りの板が外れ、銀色の輪が二つ、箱の縁へ転がってきた。
「あっ」
落ちる前に、と手を伸ばす。
殿下の手も、反対側から伸びてきた。
それぞれの手に輪が触れた瞬間、淡い光が弾けた。
……え。
触れた銀色の輪が開き、私の左手首へ巻きつくように動く。
小さな音を立てて閉じた輪に、私は手を止めた。
向かいに立つ殿下も、ご自分の右手を見ている。
そこには、同じ銀色の輪が収まっていた。
二つの輪の間に、細い光の筋が伸びている。
私は瞬きをした。
殿下も、一度だけ目を瞬かせる。
「……先生」
落ち着いた声に、先生が振り向いた。
それから私たちの手元を見て、顔色を変えた。
* * *
「申し訳ございません。停止させておいたはずなのですが」
先生が、輪の表面を確かめる。
説明によると、これは二人が離れないようにするための魔道具らしい。
人の多い場所での誘導などに使うもので、片方が一定の距離まで離れると、輪に引かれて足が止まる仕組みだという。
……迷子防止みたいなもの?
ただし、今、繋がっているのは。
王太子殿下と、私。
「外せますか?」
尋ねると、先生は頷いた。
「はい。誤って外れないよう、専用の解除具を使う仕組みです。手首に食い込むことはありませんが、急に離れないよう、お気をつけください」
「では、解除具を取りに行っていただけますか」
殿下が言うと、先生は深く頭を下げた。
「すぐに戻ります。お二人は、そのままでお待ちください」
先生が近くの準備室へ入っていく。
私は手首へ目を落とした。
輪はきつくない。指で触れても、特に変わったところはなかった。
殿下の手首へ続く光を見てから、そっと顔を上げる。
「申し訳ありません。私が、落ちかけたものに触ってしまって」
「私も触ったからね。君一人のせいではないよ」
殿下は、輪へ触れていた私の指を見た。
「痛くない?」
「はい。殿下は?」
「私も、大丈夫だ」
それなら、まずはよかった。
……よかったけど。
私は廊下へ目を向けた。
通りかかった生徒が、こちらを見ている。
机の前に向かい合って立ち、手首から光の筋を伸ばしている私たちを。
うん。
見ますよね。
私も、絶対に見ると思います!
「立って待つのも何だね。あちらへ座ろうか」
殿下が、窓際の長椅子を示した。
「はい」
頷いて、私は体の向きを変えた。
そのまま一歩、踏み出す。
左手首が、くい、と引かれた。
「わっ」
足を止めた私の肘を、殿下が空いている手で支える。
「大丈夫?」
「は、はい!」
殿下がまだ歩き出していなかったのだ。
私たちの手首の間で、光の筋がぴんと伸びていた。
離れられるのは、思っていたより短い距離らしい。
「急に動くと危ない。私に合わせて」
落ち着いた声で言われ、私は頷いた。
* * *
殿下の右側へ並び、一緒に歩き始める。
一歩、二歩。
今度は引っ張られない。
けれど、繋がっていることを気にすると、左手をどうしておけばいいのかわからなかった。
殿下の腕が動くたび、自分の手首まで引かれそうで、つい動きを小さくしてしまう。
「歩きにくい?」
「少しだけ。手を、どこに置けばいいのか迷ってしまって」
「無理に揃えなくても――」
そこで、ふと思いついた。
手首だけの距離を気にするから、難しいのだ。
腕のそばにいれば、離れすぎることもない。
「あの。少し、失礼します」
私は繋がれた左手を、殿下の右腕の、手首と肘の間へ添えた。
右手でも肘の少し上を軽く掴み、歩く速さを合わせる。
光の筋が緩んだ。
「こうすれば、引っ張られませんね!」
顔を上げる。
殿下は、私を見下ろしていた。
返事がない。
……あれ。
何か、間違えました?
「殿下?」
「……ああ。そうだね」
少し遅れて、声が返ってきた。
殿下は一度、自分の腕へ目を落とす。
それから、私の歩幅に合わせるように足を緩めた。
「その方が、歩きやすいなら」
「はい。ありがとうございます」
安心して、長椅子へ向かう。
……途中までは、よかった。
窓の前を通ったとき、硝子に私たちの姿が映ったのだ。
殿下の腕に、私が両手を添えている。
体の向きも、歩く速さも揃っていて。
これ。
……エスコートされているみたいでは?
そう気づいた瞬間、顔が熱くなった。
さっきは魔道具のことしか考えていなかった。
でも、相手はユリウス殿下なのだ。
学園でも、皆さんの注目を集める方で。
ローゼとの婚約のお話だって、出ていた方で。
その腕に、私。
「……セレティア嬢?」
呼ばれ、慌てて顔を上げた。
「は、はい」
「歩きにくくなった?」
「いえ。そうではなくて」
離れた方がいいのかと考え、手首の輪を見る。
……離れられないのでした!
殿下の視線も、私の手元へ落ちる。
それから、窓硝子へ向かった。
映った姿を確かめた彼が、わずかに口元を緩める。
「もう少しだ。ゆっくりでいいよ」
……気づかれた。
たぶん、何を考えたのかまで。
私は小さく頷いて、足元へ目を戻した。




