その呼び方で、もっと近くに①
「ルゥ。今日ね、ノアと話せたよ」
寝台へ腰を下ろして声をかけると、銀灰色の猫が顔を上げた。
膝へ乗せ、背中をゆっくり撫でる。
昨日、この部屋で何を言おうか考えていたことが、ずいぶん前みたいだった。
「うまく説明できないところもあったけど、ちゃんと聞いてくれたの。一緒に考えようって」
ルゥの尻尾が、膝の上でゆっくり動いた。
「……話して、よかった」
怖いことは、まだある。
けれど、ノアは知らないままではなくなった。
そう思うと、もう一度、ほっと息が漏れた。
「それでね……」
撫でていた手が止まる。
ルゥが、私を見上げた。
「ノアに、好きだって言われたの」
声にした途端、頬が熱くなった。
……報告するだけなのに!
本人は、ここにいないのに!
「幼馴染としてだけじゃないって」
ルゥの耳が、ぴくりと動いた。
私はその顔を覗き込む。
「びっくりするよね?」
青灰色の目が、じっとこちらを見ている。
返事がないと、今度は自分の言った言葉ばかりが頭に残った。
私はルゥをそっと抱き寄せる。
「まだ、同じ気持ちかはわからないって伝えたよ。でも、聞けて嬉しかったの」
温かな背中へ頬を寄せると、ルゥの前足が私の手に触れた。
「……どうしよう。明日、普通に顔を見られるかな」
小さく呟くと、短い鳴き声が返ってきた。
私は少しだけ顔を離し、困ったように笑う。
「そこは、大丈夫って言ってほしいんだけど」
もちろん、何と言われたのかはわからない。
それでも、いつものようにそばにいてくれるのが嬉しくて、もう一度背中を撫でた。
* * *
翌朝、教室の入口で、私は一度立ち止まった。
窓際には、いつもどおりノアがいる。
……うん。
いるよね。同じ教室なんだから。
昨日、あんな話をしたからといって、席が遠くなったりするわけではありません。
鞄を持ち直したところで、ノアが顔を上げた。
「おはよう、ティア」
目が合った瞬間、昨日の声まで思い出した。
――僕は、ティアが好きだよ。
「お、おはよう!」
……声。
今、少し上ずりましたね、私!
ノアのそばを通って自分の席へ向かう。
鞄を置くことに集中していると、隣から声がした。
「昨日、ちゃんと眠れた?」
「うん。ノアは?」
「僕も。少し、寝つくまで時間はかかったけど」
思わず顔を向けると、ノアが笑った。
「昨日のこと、思い出してたから」
私は教科書を取り出す手を止めた。
それを、朝から本人に言うんですか!?
「……私も」
「うん?」
「少し、思い出したけど」
ノアが黙った。
そっと見ると、その口元が緩んでいる。
……そんなに嬉しそうにされたら、ますます落ち着かないでしょう。
私は教科書へ目を落とした。
「ティア」
「な、何?」
「今日は、一緒にお昼を食べない?」
「うん。でも、リリアさんたちと約束してるから」
「じゃあ、ご一緒してもいいか聞いてくれる?」
「もちろん」
それなら、いつもと変わらない。
少し安心して頷くと、ノアが私の机に目を向けた。
「ティア。一時間目は、その教科書じゃないよ」
「……あっ」
本当だ。
朝から、何をしているんだろう。
隣で笑う声がして、私は教科書を入れ替えながら、小さく息を吐いた。
ルゥ。
やっぱり、難しかったです。
* * *
「もちろんですわ」
昼食にノアも一緒でいいか尋ねると、ローゼリア様は快く頷いてくれた。
リリアも嬉しそうに笑う。
「皆さんでいただきましょう!」
ありがたい。
今の私には、二人がとても心強い。
そう思っていたのに。
食堂で席についたところで、ノアが私へ顔を向けた。
「隣、いい?」
「う、うん!」
返事をしてから、正面の二人と目が合った。
ローゼリア様は、まだ何も言っていない。
リリアも、にこにこしているだけだ。
……何も言われていないのに、どうしてこんなに落ち着かないの!?
ノアが隣へ座る。
一緒にお昼を食べたことなんて、何度もある。
それなのに、腕が少し動いただけで気になってしまう。
「ティア、パン取る?」
「あっ、うん。ありがとう」
差し出された籠から、一つ取る。
指が触れたわけでもないのに、つい手元を見てしまった。
「……ティア?」
小さく呼ばれて、顔を向ける。
「今日は、目を合わせてくれないね」
声を落とされ、ますます困った。
「……今、ちょっと難しいの」
「どうして?」
「わかってるでしょう……!」
小声で返した途端、ノアが口元を押さえた。
……笑ってる。
絶対、嬉しそうにしてる!
正面で、カップがそっと置かれる音がした。
「お二人とも、スープが冷めますわよ」
私は慌てて背筋を伸ばした。
「は、はい!」
* * *
昼食のあと、ノアは返却する本があるからと、図書館へ向かった。
「また教室でね」
「うん」
ようやく落ち着いて返せた、と思ったところで。
「ティア」
数歩進んだノアが振り返る。
「一緒に食べられて、嬉しかった」
……っ。
返事をするまで待ってくれている。
今日は、その笑顔を見ても、何のことだろうとは思わなかった。
「……私も」
答えると、ノアは満足そうに笑って、今度こそ歩いていった。
その背中を見送ってから、私はそっと頬へ手を当てた。
たった、お昼を食べただけなのに。
「少し、お庭へ寄りませんこと?」
隣から声をかけられ、ローゼリア様を見る。
穏やかな微笑みだった。
「……はい」
何となく、何を聞かれるのかわかった。




