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『恋愛しません!……って言ってるのに、攻略対象が近づいてきます』  作者: ルミ
第1章 恋愛しないはずの学園生活

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譲るつもりは、ありません

――ノア視点――


ティアの乗った馬車が、門の向こうへ見えなくなった。


それでも、しばらくその場を動けなかった。


さっきまで繋いでいた手を見る。

指を軽く曲げると、彼女の手の感触を思い出した。


――今は、嫌じゃないよ。


「……今は、か」


小さく呟いた声が、自分でもおかしいくらい浮かれていた。


嫌ではない。

好きだと言ったら、嬉しいと答えてくれた。


それが、そのまま俺と同じ気持ちだという意味ではないことくらい、わかっている。


……わかっては、いるんだけど。


口元へ手を当てた。


あんな顔をして、言われるとは思わなかった。


* * *


朝、話す時間がほしいと言われたときは、覚悟をした。


最近、少し近づきすぎていた自覚はある。


休みの日に会いに行きたいと言った。夜会では二度も誘った。

殿下に支えられていた彼女を見て、平気ではいられなかったことまで口にした。


ティアは、そのたびに戸惑っていた。


俺が何を望んでいるのか、気づいたのかもしれない。

これ以上は困ると、そう言われる可能性も考えた。


だから、長椅子で隣に座ったときも、急かせなかった。


自分から話したいと言ってくれたのだから、最後まで聞こう。

そう決めて、待っていた。


それなのに。


俺を失うのが、怖かった。


彼女が抱えていたのは、想像していたものとはまるで違う不安だった。


何を知っているのか。

どうして、自分と関わると俺が死ぬと思うのか。


詳しいことは、まだわからない。


ただ、膝の上で握られていた指と、俺を見る瞳を思い出す。

あれほど怖がっていた彼女に、考えすぎだとは言えなかった。


まずは、話せることから聞こう。


いつ、何が起きると思っているのか。

危険を避けるために、これまで何をしてきたのか。


聞きたいことは多い。

けれど、一度に答えさせたいわけではなかった。


今日、彼女はようやく口にしてくれたのだ。


俺が知らないまま、一人で距離を置こうとしていた理由を。


* * *


階段から落ちたあと、ティアは変わった。


目が合うと、少し困った顔をする。

声をかけても、返事を考えるような間があった。


近づこうとすると、どこか身構えられている気がした。


俺が何かしたのだろうか。


思い返しても、わからなかった。

だから、会える時間までなくさないように、様子を見ていた。


あの夜、怖がる彼女がそばに来たときは、嬉しかった。


頼ってくれる。

俺のそばなら安心できると、思ってくれる。


それだけで、避けられていた間の不安が薄くなった。


あれから、ティアはよく笑うようになった。

面白いことがあれば聞かせてくれたし、俺が疲れていると、気づいて声をかけてくれた。


だから、もう大丈夫なのだと思っていた。


……彼女は、ずっと迷っていたのに。


会えて嬉しいと思いながら、それでも離れなければと考えていたのだろうか。


もっと早く、尋ねればよかった。


そう思う一方で、あの頃の俺に聞けたかといえば、きっと難しかった。

戻ってきた笑顔を、失いたくなかったから。


彼女は俺を失うのが怖くて、俺は彼女との関係を失うのが怖かった。


事情は違っても、お互いに言えないままだったのか。


俺は息を吐き、ようやく門から歩き出した。


* * *


馬車へ向かう回廊で、向こうから来た殿下と目が合った。


「ノア」


足を止め、礼をする。


「まだ学園にいらしたんですね」

「ああ。君こそ、もう帰ったかと思っていた」


殿下は俺の顔を見て、少し眉を上げた。


「何か、いいことでも?」

「……顔に出ていますか」

「それはもう」


即答され、口元へ手をやりかけた。

その動きを見て、殿下が笑う。


「隠すには、少し遅いな」


普段なら、何でもないと答えただろう。


けれど、今日は。

好きだと口にしたあとで、それまでの自分に戻る気にはなれなかった。


「ティアに、気持ちを伝えました」


殿下の笑みが止まった。

それから、ゆっくりと目元が和らぐ。


「……そうか。よかったな」


からかう響きの薄い声だった。


不意を突かれて、少し黙る。


「ありがとうございます」

「では、明日からが大事だな」


殿下は短く頷き、それから口元を緩めた。


「夜会でも、彼女はずいぶん声をかけられていたようだから」

「ご覧になっていたんですね」

「あれだけ人が集まれば、目に入るよ」


ティアを囲んでいた令息たちを思い出す。


彼女が顔を向ければ、相手は嬉しそうに話し始めた。

ダンスが終われば、次の相手が声をかける。


思い出しただけで、少し面白くない。


俺は微笑んだ。


「ええ。もう、幼馴染だからと安心してはいられませんから」


殿下の目が、楽しそうに細くなった。


「なるほど。期待しているよ」


何を、と尋ねるのはやめておいた。


* * *


馬車に乗り込み、座席へ背を預ける。

窓の外で、学園の門が遠ざかっていった。


ティアは、これから考えると言ってくれた。


けれど、彼女が恋愛に目を向けた先にいるのが、俺だけとは限らない。


これまでは、誰に対しても恋愛を考えないようにしていたのだ。

その気持ちが変わったなら、ほかの誰かに惹かれる可能性もある。


今日、打ち明けてもらえたことは嬉しい。


長く抱えていた怖さを話す相手に、俺を選んでくれた。

それは、大切にしたかった。


でも、恋人として選ばれるかどうかは、別だ。


……わかってる。


だから、もう遠慮しないと言ったんだ。


夜会の彼女を思い出す。


淡い水色のドレス。

俺の言葉に赤くなった頬。

それなのに、ほかの男と話すときにも、楽しそうに笑っていた。


あの笑顔を向けられたら、また会いたくなるだろう。

次は自分から誘いたいと、思うはずだ。


誰の目にも触れない鳥籠に、閉じ込めてしまえたら。


欲しいものは、何でも用意する。

不安も不自由も感じる暇がないくらい、甘やかして、大切にして。


あの笑顔を、俺だけに向けてほしい。


……それでも、出たいと言われたら。


差し出した手を避けられたら。

俺を見る目から、親しさが消えてしまったら。


想像しただけで、胸が冷えた。


嫌われたくない。

俺に会えて嬉しいと笑う彼女を、失いたくない。


欲しいものを並べたところで、彼女が笑ってくれるとは限らないのだ。


だから、鍵はかけられない。


差し出すのは、手だ。

彼女が、自分から取ってくれるように。


そのためなら、いくらでも優しくできる。


「……ずいぶん、欲張りだな」


一人になった馬車の中で、小さく笑う。


そばにいられれば十分だと思おうとしていた。

けれど本当は、一度だって、誰かに譲りたいと思ったことはなかった。


ティアが俺を選ばなければならない理由など、ない。


だからこそ、これからだ。


ポケットから手帳を取り出し、予定を確かめる。


今度の休みは、リオンとの約束があると聞いている。

そこへ入り込めば、ティアを困らせるだろう。


なら、その次。


彼女が今、何に興味を持っているのか聞いてみよう。

話を聞くだけで終わらず、今度は一緒に出かけたい。


学園で会うだけではなく、俺と過ごすために予定を空けてくれたら。


……それは、嬉しいだろうな。


まだ誘ってもいないのに、もう返事が気になっている。


手帳を閉じたところで、彼女の声を思い出した。


――でも、聞けて嬉しい。


胸の奥が、どうしようもなく緩む。


好きだと伝えても、彼女は手を離さなかった。

戸惑いながら、それでも、嬉しいと答えてくれた。


もう一度、好きだと伝えたい。

今度はその言葉を知ったうえで、俺と過ごしてほしい。


明日、会ったら、どんな顔をするだろう。


俺を見て今日のことを思い出して、また少し頬を赤くしてくれるだろうか。


そう考えると、口元が緩んだ。


今から、彼女に会うのが楽しみだった。

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