その気持ちまで、隠さなくていい②
「……考えないように、していたんです」
小さく言うと、ルシア様が私を見た。
「何を?」
「そういう気持ちを持つことを」
本へ目を落とす。
さっきまで面白く読んでいた説明が、今は一文字も頭に入ってこなかった。
「私が近づいたら、その人に怖いことが起こる気がして」
ノアを、死なせてしまうかもしれない。
その言葉は、飲み込んだ。
ゲームでは、セレティアと関わった攻略対象たちが、どのルートでも死んでしまった。
それを知っているから、近づかないと決めた。
恋愛なんて、もちろんしないと。
けれど、そんな話をどこから説明すればいいのだろう。
前世のことも、ゲームのことも。
自分だって、どうして彼らが死ぬのか、全部わかっているわけではないのに。
「だから、最初から関わらなければいいって。そう決めていたんです」
言い終えて、そっと顔を上げる。
「……変なお話ですよね」
「相手を危ない目に遭わせたくないんだな」
私は頷いた。
「はい。大切な人なので」
そう答えた途端、胸が少し痛くなった。
大切なのに、近づくのが怖い。
でも、離れていくところを想像するのも寂しい。
……どうすればいいの、これ。
ルシア様は、私を見たまま言った。
「詳しく話せないなら、無理に聞かないよ」
思わず、息を吐く。
説明できないまま相談するなんて、困らせるだけかと思っていた。
けれど彼は、続きを急かさなかった。
「その怖いことは、君が近づけば、必ず起こるのか?」
すぐには答えられなかった。
必ず。
……そう言い切れるのかな、私。
ゲームでは、何度選択肢を変えても、彼らは死んでしまった。
でも、今の世界には違うところもある。
リリアも、ローゼリア様も。
私の知っている二人は、ゲームの中とは違う関係で笑っている。
だからといって、ノアも大丈夫だとは言い切れない。
「……わかりません。でも、起こるかもしれなくて」
「そうか」
ルシア様は少し考えてから、言った。
「それなら、気にしなくていいとは言えないな」
私は小さく頷いた。
何も起きないと、言ってほしかったのかもしれない。
でも、事情も話していないのに、そんな保証ができるわけではない。
わかっている。
「ただ、寂しいと思ったことまで、悪いことにしなくていいだろう」
顔を上げる。
「その気持ちに気づいたら、必ず今より近づかなければならないのか?」
私は、少し考えてから首を振った。
「……そういうわけでは、ありません」
「なら、まずは気づいただけでもいい」
本に添えた指先を、そっと動かす。
ノアと踊って、楽しかった。
迎えに来てくれて、嬉しかった。
そのたびに、恋じゃないから大丈夫、と考えようとしていた。
……でも。
そうやって理由を探しても、ノアに何が起こるのかが、わかるわけではないんだよね。
私は本の端を、そっとなぞった。
「認めたら、もっと一緒にいたくなりそうです」
「うん」
「そうしたら、離れた方がいいと思っても、離れられなくなるかもしれません」
口にして、ようやく気づいた。
怖いのは、そこでもあったのだ。
好きになったら。
今より、もっと大切になったら。
守るためだと思っても、そばにいたい方を選んでしまうかもしれない。
ルシア様は、すぐには返事をしなかった。
「……だから、気づかないようにしていたのか」
静かに言われ、私は頷いた。
「でも、うまくいかなくて」
ノアを見つけると、嬉しい。
ほかの方と楽しそうにしていると、気になる。
考えないと決めたからって、都合よく止まってはくれなかった。
……私の気持ちなんだから、もう少し言うことを聞いてくれてもいいのに。
そう思ってから、少しだけ笑ってしまう。
ルシア様が、私の顔を見た。
「何?」
「いえ。考えないようにするのも、結構大変だなって」
「そうだろうな」
「大変なんです。本を読んでいたはずなのに、窓の外が気になったり」
小声で言うと、彼の口元が緩んだ。
けれど、続く声は真面目だった。
「怖いことが起きる理由と、君がどう感じているかは、分けて考えてもいいと思う」
私は黙って聞いた。
「嬉しかったことを認めても、危険を忘れることにはならないだろう」
……そうか。
ノアといて楽しいと思ったら、守ろうとしていたことまで忘れてしまう。
どこかで、そう考えていたのかもしれない。
でも、今だって。
一緒にいたいと思いながら、危険な目には遭わせたくない。
どちらも、本当だ。
「……すぐに、答えを出さなくてもいいんですね」
「ああ。相手を大切に思うなら、なおさら、ちゃんと考えればいい」
私は小さく頷いた。
わからないことは、まだたくさんある。
何が彼らの死に繋がるのか。
今の世界でも、同じことが起こるのか。
それから、私はどうしたいのか。
「……考えることが、増えました」
「一度に片づけようとするからだろう」
「そんなつもりは……」
「本も、昼休みのうちに全部読もうとしていたし」
思わず、彼を見る。
「それ、この前ここでお会いした日の話でしょう!」
ルシア様が笑った。
私もつられて笑い、ようやく椅子の背へ少し体を預ける。
窓の外には、もうノアたちの姿はなかった。
何を話していたのか、今も少し気になる。
でも、その気持ちを追い払うことばかり、頑張らなくてもいいのかな。
* * *
「……本のお話をするつもりだったのに」
目の前のページを見て呟く。
「途中から、全然違うお話になってしまいました」
「君が話したくなったなら、それでいい」
顔を上げると、ルシア様がこちらを見ていた。
「話せて、少し楽になった?」
「はい」
そこは、迷わず答えられた。
怖くなくなったわけではない。
答えが見つかったわけでもない。
でも、一人で同じことばかり考えていたときより、少しだけ頭の中が整理できた気がした。
「ルシア様には、何でも話してしまいそうです」
「話せばいい」
「……そんなことを言うと、本当に毎回聞いてもらいますよ?」
「そのつもりだけど」
返事が早くて、私は口を閉じた。
……この方、本当に。
どうして、いつもそんなふうに言えるんだろう。
嬉しいのに、返す言葉が見つからなくなる。
ルシア様は私の顔を見てから、本へ栞を挟んだ。
「少し休憩にしよう」
「……はい」
時計へ目を向ける。
迎えまでは、まだ時間があった。
そのあと、本の挿絵が目に入った。
さっきから気になっていた、小さな印。
相談を始める前に、尋ねようとしていたのだ。
「ルシア様。では、もう一つ聞いてもいいですか?」
「もう休憩は終わり?」
「あっ……それは、まだです」
顔を見合わせて、笑ってしまった。
「じゃあ、質問だけ先に。答えは休憩のあとでお願いします」
そう答えると、彼は楽しそうに頷いた。
私はノートを引き寄せる。
帰ったら、もう少し考えてみよう。
怖い未来を、そのまま受け入れるのではなく。
大切な人を守るために、今の私に何ができるのかも。
私は本をルシア様の方へ少しずらし、ページの隅にある小さな印を指さした。
「あの、この印は何ですか?」
ルシア様が、本を覗き込む。
その顔を見て、私は少し笑った。
……休憩のはずが、また長くなりそうです。




