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『恋愛しません!……って言ってるのに、攻略対象が近づいてきます』  作者: ルミ
第1章 恋愛しないはずの学園生活

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お留守番の猫には、隠せません!

ノアと別れ、家族と馬車へ乗り込んだ頃には、すっかり夜が更けていた。


座席へ腰を下ろすと、思っていたより足が疲れていることに気づく。


……いっぱい踊ったもんなぁ。


そっと足を揃え直したところで、向かいのリオンと目が合った。


「姉様。お疲れですか?」

「少しね。でも、楽しかった!」


答えると、隣のママが微笑んだ。


「ええ。楽しそうにしていたものね」

「うん!温室に珍しい薬草があるって教えていただいたし、ローゼリア様ともお話しできたし」


指を折りかけて、途中でやめる。


あれも、これも。

話したいことが、多すぎる。


パパが、少し安心したように息をついた。


「そうか。無理をしていなかったなら、よかった」

「途中で休憩もしたよ。ママに教えてもらったテラスで」


言うと、リオンがこちらを見た。


「テラスにいらしたんですね」

「うん。風が気持ちよくて」


銀灰色の髪が、頭に浮かぶ。


「あっ、そうだ。リオンは、銀灰色の髪の方を見かけなかった?」

「銀灰色、ですか?」

「背が高くて、薄い青灰色の目をした方。そこで少し、お話ししたの」


リオンは考えるように目を伏せた。


「……いえ。僕は、見ていませんね」

「そっか。ローゼリア様も、ご存じなかったんだよね」

「お名前は?」

「聞こうとしたところで、ノアが来て。それで、聞きそびれちゃった」


パパが、ゆっくり私へ顔を向ける。


……あ。

そのお顔、知ってます。


「ティア。知らない相手と、二人でいたのか?」

「すぐ後ろが広間だったし、ママからも見える場所だったよ。少し話しただけ」

「それでもだな――」

「テラスから戻ってくるところは、私も見ていましたよ」


ママが、穏やかに口を挟んだ。


「ノアくんと一緒でしたから」

「……そうか」


パパの肩から、少しだけ力が抜ける。


ノア、今ここにいないのに、助けてくれた。


心の中でお礼を言っていると、リオンがにっこりと笑った。


「では、次は僕にも紹介してくださいね」

「またお会いできたらね。猫のお話を聞いてくださる方だったよ」

「……猫」


弟の微笑みが、少し深くなった。


「姉様は、どこでもルゥのお話をなさるんですね」


……それ、ローゼリア様にも似たようなことを言われた!


* * *


屋敷へ戻ると、ミアが出迎えてくれた。


「お帰りなさいませ」

「ただいま!ねえ、ミア。ドレス、最後まで綺麗だった?」

「はい。どこも崩れていませんよ」

「よかった!」


ほっとした途端、急に眠気がやってきた。


あれだけ話したいと思っていたのに。

帰ってきたら、体が休む準備を始めたらしい。


「お話は、お支度を解きながら伺いますね」

「うん。いっぱいあるから、覚悟してね」

「楽しみにしております」


ミアと部屋へ向かう。

扉を開けた、そのときだった。


「にゃあ」


銀灰色の猫が、寝台から顔を上げた。


「ルゥ!ただいま!」


声をかけると、軽やかに床へ下りてくる。

足元へ近づいたところで抱き上げようとして、ドレスの裾に気づいた。


……そうでした。

まだ着替えていません!


「ちょっと待ってね。着替えたら、いっぱい抱っこするから」


ルゥは私を見上げ、それからドレスへ目を向けた。

尻尾が、ゆっくり揺れる。


「どう?似合ってる?」


つい尋ねると、小さく鳴いた。


「にゃ」

「ふふ。ありがとう」

「お褒めいただけたようですね」


ミアが笑い、私も頷く。


そういうことに、しておこう!


* * *


髪飾りを外してもらい、ドレスを脱ぎ、湯浴みを済ませる。

寝間着へ着替える頃には、足がずいぶん軽くなっていた。


「……はぁ。やっぱり、落ち着く」


寝台へ腰を下ろすと、待っていたようにルゥが隣へ跳び乗った。

今度こそ抱き上げ、膝へ乗せる。


「お待たせ。いい子で待っていてくれた?」


喉の下を撫でると、ルゥは目を細めた。

ミアへ夜会の話をしている間も、ずっと足元にいたのだ。


今夜は、いつもより甘えたい気分なのかもしれない。


「では、私は隣のお部屋におります。何かありましたら、お呼びください」

「うん。ありがとう、ミア。おやすみ」

「おやすみなさいませ」


扉が閉まる。


静かになった部屋で、私はルゥの背中へ手を滑らせた。


「ねえ、聞いて。今日、ルゥに似た方に会ったんだよ」


尻尾の先が、ぴたりと止まった。


「髪の色も、目の色も、少し似ていたの。すごく綺麗な方だった」


思い出す。


風に揺れた銀灰色の髪。

私の話を聞いて、楽しそうに細められた目。


ルゥが、顔を上げた。


「にゃあ」

「うん。ルゥも綺麗だよ?」


そう返すと、前足が私の手へ乗った。


「もう。わかってるってば」


笑いながら頭を撫でる。


……あれ。


指先に触れる毛並みを見て、少し首を傾げた。


「でも、不思議だったんだよね。初めて会ったのに、何だか話しやすくて」


いつもなら、もう少し緊張するはずだ。

実際、会場ではご挨拶だけでも気を張っていた。


それなのに、あの方とは。


「ルゥの話をしたからかな?」


尋ねると、ルゥは私を見つめた。

当然、答えはない。


「……そうだよね。ルゥに聞いてもわからないか」


額へそっと頬を寄せる。


温かい。

いつもの匂いがする。


安心して息を吐くと、ルゥの尻尾が私の腕へ触れた。


* * *


「それからね、ノアとも二回踊ったの」


撫でていた指先を、私は少し止めた。


二曲目になるとわかっていて、誘われたこと。

私も、もう少し一緒にいたいと思ったこと。


思い返すと、まだ胸が落ち着かない。


「……最初のダンス、ちゃんと迎えに来てくれたんだよ」


ルゥは黙って、こちらを見ている。


「すごく格好よくて。綺麗だって言ってもらえて、嬉しくて」


そこまで話して、顔が熱くなった。


……猫に何を報告しているの、私。


けれどルゥは、急かさなかった。

膝の上で、静かに丸くなっている。


私はその背中へ、もう一度手を置いた。


「でも、ほかの方と踊っているのを見たら、ちょっと寂しかった」


声が、小さくなった。


ノアに好きな人ができたら、応援する。

前には、迷わずそう思っていた。


でも、ただ一曲踊っているのを見ただけで、あんな気持ちになるなんて。


「……自分でも、びっくりしちゃった」


ルゥが顔を上げた。


「ノアには幸せになってほしいのに。誰かと踊っているだけで、寂しくなるなんて」


答えを求めるつもりではなかった。

口にすれば、少しわかるかもしれないと思っただけ。


けれど、声に出したら、かえって胸の中が騒がしくなった。


もし、これが恋だったら。


そこまで考えると、指先が止まる。


恋愛には関わらないと決めた。

ただ恥ずかしいからでも、面倒だからでもない。


ゲームでは、私――セレティアと関わった攻略対象たちが、次々と死んでしまったから。


ノアに、同じことが起きたら。


さっきまで一緒に笑っていた顔が浮かんで、胸が冷えた。

あの笑顔が見られなくなるなんて、嫌だ。


私はそっと息を吸った。


……でも。


そういえば、リリアはまだ、誰とも恋愛をしていない。

ローゼリア様とも仲良くなって、三人でお茶までしている。


……ゲームでは、こんなふうになるんだった?


少なくとも、今の私が知っている二人は、対立なんてしていない。


この世界は、少しずつゲームと違っている。

そう思ったことは、前にもあった。


だったら、ノアたちの未来も――。


「……同じとは、限らないのかな」


小さく呟く。


膝の上で、ルゥが身を起こした。

前足が、私の手へ触れる。


「ルゥ?」


青灰色の目が、じっと私を見ていた。


撫でてほしいのかと思って手を動かすと、今度は額を押しつけてくる。

強くはない。ただ、ここにいると知らせるみたいに。


「……ふふ。難しい顔、してた?」


抱き寄せると、ルゥはおとなしく腕に収まった。


あの青年にも、似たようなことを言われた気がする。

休みに来たはずなのに、難しいことを考えているみたいだって。


「今日は、いっぱいあったね」


ルゥに言いながら、私は自分でも少し笑った。


一晩で、答えは出ない。

違うことがあるからといって、何も起きないとは言い切れない。


それでも、ゲームの結末を思い出すたびに、今のノアから目を逸らしていていいのだろうか。


今夜、隣で笑ってくれた顔まで、怖い記憶で塗りつぶしたくはなかった。


明かりを落とし、寝台へ潜り込む。

ルゥはいつもの場所へ来て、私の腕のそばで丸くなった。


「おやすみ、ルゥ」


目を閉じる前に、そっと頭を撫でる。


「また、あの方に会えるかな」


返事の代わりに、尻尾が指へ触れた。

私は小さく笑う。


「今度は、ちゃんと名前を聞かなくちゃ」


会えたら、何を話そう。

そう考えたところで、大きなあくびが出た。


……まずは寝よう。

明日は、ゆっくり起きるってノアとも話したんだから。


温かな毛並みへ指を添えたまま、私は目を閉じた。


* * *


静かな寝息を聞き、銀灰色の猫が顔を上げた。


淡い光が、その体を包む。

やがて寝台のそばに立った青年は、眠る少女を見下ろした。


「……すぐ、そばにいるんだけどな」


小さな声に、返事はない。


彼女は人の姿をした自分に、また会いたいと言った。

正体を知らないまま、目を見て笑ってくれた。


猫の話から薬草の話へ移るうちに、声まで弾ませていた。

その顔を思い出し、彼の口元が緩む。


もちろん、ノアの話をしていたときの表情も覚えている。


嬉しそうで、少し照れくさそうで。

見慣れたはずの少女が、自分の知らない気持ちに戸惑っていた。


青年は、寝台のそばへ腰を下ろした。


猫の姿では、話を聞くことはできても、言葉を返してやれない。

今夜も、彼女が難しい顔をするたび、手へ額を寄せることしかできなかった。


人の姿なら、もう少し話せるだろうか。


名前を尋ねようとした顔。

また会えるだろうかと、猫の自分に尋ねた声。


「……次は、名前を聞きそびれるなよ」


眠る彼女へ、小さく囁く。


次に会うとき、彼女は何を話すのだろう。

今夜のように、楽しそうに笑ってくれればいい。


青年が身を起こすと、少女の指が寝台の上をわずかに動いた。

いつもの場所を探すような、その動きに目を細める。


再び淡い光が揺れた。


銀灰色の猫は彼女の腕のそばへ戻り、指先へそっと額を寄せた。


明日は、いつもどおりここにいる。

けれど、次に人の姿で会うときのことも、もう楽しみになっていた。

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