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『恋愛しません!……って言ってるのに、攻略対象が近づいてきます』  作者: ルミ
第1章 恋愛しないはずの学園生活

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大切な方です。それだけは、譲れません①

――ノア視点


「ノア。少し、いいか」


父に呼ばれ、俺は足を止めた。


振り返ると、ティアはローゼリア嬢と並んで歩いていた。何か話しかけられ、慌てたように顔を上げている。


その表情に、つい口元が緩みかけた。


「ノア」


もう一度呼ばれ、父へ向き直る。


「はい」


「こちらへ」


広間の端へ移動する。


近くでは招待客が談笑していた。父は給仕から飲み物を受け取り、俺へ目を向ける。


「セレティア嬢と、二曲踊ったそうだな」


「はい」


「周囲がどう受け取るかは、わかっているだろう」


俺は頷いた。


「承知しています」


知らなかったわけではない。


ティアも、気にしていた。


それでも、俺の手を取ってくれた。


思い出すと、胸の奥に温かいものが広がる。


けれど父は、俺の返事を聞いても、すぐには話を終えなかった。


「幼い頃から親しくしていることは知っている。だが、もう子ども同士の付き合いではない」


グラスを持つ指が、わずかに動いた。


「相手にも立場がある。軽率な振る舞いで、先方を困らせることのないように」


俺は父の顔を見た。


その指摘は、間違っていない。


噂を気にしていたティアに、何も心配しなくていいと、俺だけで決めてやることはできない。


「……はい。軽い気持ちで、お誘いしたわけではありません」


父の眉が、少しだけ動いた。


俺は言葉を続けた。


「私にとって、大切な方ですから」


口にすると、不思議なくらい迷いはなかった。


父が、俺を見た。


いつものように次の指示を続けるのではなく、改めて目の前の息子を確かめるように。


俺も、目を逸らさなかった。


* * *


「……そうか」


しばらくして、父が言った。


「お前から、そういう話を聞くとは思わなかった」


俺は小さく息を吸った。


「……これまで、申し上げたことはありませんでしたから」


「先方とは、何か話がついているのか」


「いいえ」


そこは、すぐに答えた。


「婚約のお話をしているわけではありません」


父が、わずかに目を細める。


「では、なおさら慎重にしなさい」


「はい」


頷きながら、続く言葉を待った。


どういうつもりなのか。


今後、どうするつもりなのか。


さらに尋ねられても、答えられることは多くない。


ティアに気持ちを伝えてはいない。


俺を選んでくれるという約束もない。


ただ、大切に想っている。


そのことだけは、昔からの友人だからと曖昧にしたくなかった。


父は俺を見ていたが、やがてグラスを置いた。


「このあと、紹介しておきたい方がいる。来なさい」


「承知しました」


歩き出した父についていく。


胸の中に残っていた緊張を、ゆっくり吐き出した。


父の望む答えだったかどうかは、わからない。


けれど、言わなければよかったとは思わなかった。


* * *


今夜、ティアを見つけたとき。


父の話を、ほんの一瞬聞き逃した。


淡い水色のドレス。


結い上げた金色の髪。


その中で光る、青い宝石。


あの髪飾りをつけてくるかもしれないとは思っていた。


それでも、実際に目にしたら、挨拶より先に見つめてしまった。


綺麗だった。


昨日も会ったばかりなのに。


笑った顔も、少し照れた顔も知っているのに。


礼をする横顔から、目を離せなくなった。


ようやく話せたとき、ティアは俺の視線に気づいて首を傾げた。


――どう?


ドレスを少し見下ろして、それから俺を見る。


ミアに綺麗にしてもらったと話す顔が、途中で恥ずかしそうになった。


褒めてほしいと思ってくれたのだろうか。


そう考えただけで、嬉しかった。


――ありがとう! ノアも、すごく格好いいよ!


あんなふうに、まっすぐ返してくるところまで。


ティアは、ずるい。


俺が返事に詰まった理由を、きっとわかっていない。


最初のダンスを踊って、また誘うと約束して。


あのときは、今夜は随分いい日だと思っていた。


* * *


父に付き添って挨拶をしながら、会話の切れ目に広間へ目を向ける。


さっきまでティアがいた場所には、別の招待客が立っていた。


ローゼリア嬢と、夫人のところへ戻ったのだろう。


わかっていても、姿を見つけたくなる。


二曲目を踊ったばかりなのに。


……本当に、きりがない。


先方の令嬢を誘ったときも、ティアを気にしていた。


父に言われていた務めだったし、相手へ失礼のないようにしたかった。話しかけられれば答え、笑顔も向けた。


けれど、一曲終えて広間の端へ戻ったとき、ティアはもう、別の男と踊っていた。


楽しそうに話していた。


相手が何か言うと、顔を上げて笑う。


俺に気づいて、こちらへも微笑んでくれた。


それなのに、うまく笑い返せなかった。


ティアには、何も悪いところはない。


俺も別の相手と踊った。


彼女にも同じように、夜会を楽しんでほしい。


そう思っていたはずだった。


……実際に見るまでは。


踊り終わったティアへ近づこうとすると、別の令息が声をかける。


学園のこと。


薬学のこと。


侯爵家との付き合い。


誰もが礼儀正しく、彼女と話す機会を求めていた。


ティアは一人ずつに顔を向け、笑って答えている。


途中で少し困った顔をしたので、声をかけた。


俺を見た途端、ほっとしたように名前を呼んでくれた。


ようやく話せる。


そう思ったところで、今度は俺が呼び止められた。


ティアはテラスを示して、小さく口を動かした。


――少し、休憩。


頷いて見送り、会話を終えて迎えに行った。


そのわずかな間に、知らない男と笑っていた。


……休憩くらい、一人でさせてくれてもいいだろう。


誰に言いたいのか、自分でもわからなかった。


* * *


銀灰色の髪の男だった。


ティアの肩へ手を伸ばしているのが見えた瞬間、足が速くなった。


彼女は身を引いていなかった。


相手を見上げ、何かを話していた。


名前を呼ぶと、ティアが振り向く。


「あっ、ノア!」


嬉しそうに笑ってくれた。


その顔で、少しだけ救われた。


けれど、隣の男は俺を見ても驚かなかった。


近づいても、慌てる様子はない。


ただ、こちらを見ていた。


――彼女の友人で。


そう名乗った自分の声を思い出す。


間違ってはいない。


ティアの恋人ではない。


婚約者でもない。


――友人。


男は、その言葉だけを繰り返した。


何かを言い返されたわけではなかった。


それなのに、説明が足りない気がした。


ただの友人ではないと、言いたくなった。


……俺にとっては。


ティアがどう思っているかも知らないまま、そんなことを告げるわけにはいかなかった。


あの男は、何者だったのだろう。


ティアは初めて話したと言っていた。


名前も知らなかった。


それなのに、妙に親しげだった。


何を話せば、あんなふうに笑うのか。


尋ねてみれば、猫の話だった。


……本当に、ティアらしい。


初対面の男の髪を、ルゥに似ていると思ったらしい。


猫の話をするときの顔は、よく知っている。


嬉しそうで、少し得意げで。


聞いているこちらまで、笑ってしまう。


あの男も、その顔を見たのだ。


そう思うと、やっぱり面白くなかった。

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