待っているだけのつもりでした!②
令息は、同じ学園の先生について話しかけてくれた。
以前、薬学の授業を選択していたらしい。
「あの先生は、植物の話になると止まらなくなるでしょう?」
「はい! この前も、授業が終わる直前に新しいお話が始まって」
「やはり、今もそうなんですね」
「でも、面白いんです。葉の形が似ていても、裏側を見ると違いがあって――」
そこまで言って、はっとした。
……いけない。
踊りながら、薬草の見分け方を説明するところだった!
「ごめんなさい。つい、授業のことになると」
「いえ。お好きなんですね」
「はい。とても!」
笑って答えると、彼も微笑んだ。
「では、以前温室で見せていただいた植物も、今なら名前がおわかりになるかもしれませんね」
「どんな植物でしたか?」
思わず尋ねる。
聞いてみると、図鑑でしか見たことのない薬草だった。
「それ、今も温室にあるのでしょうか?」
「確か、奥の棚に」
「今度、先生に伺ってみます!」
嬉しくなって答えたあとで、また少し恥ずかしくなる。
……私、夜会で何の話をしているんだろう。
けれど、令息は楽しそうに聞いてくれた。
「お話しできてよかったです。学園でも、ずっとご挨拶したいと思っていたので」
「そうだったんですか?」
「はい。いつも、どなたかとご一緒でしょう」
確かに、リリアやローゼリア様と話していることが多い。
ノアもいるし、帰りにはリオンも待っている。
「では、今度お見かけしたら、私からもご挨拶しますね」
「ありがとうございます。楽しみにしています」
答えながら向きを変えると、その先にノアが見えた。
広間の端に立ち、こちらを見ている。
……あっ、ノア!
温室のことを教えてもらったと、あとで話そう。
嬉しくなって微笑むと、彼も笑った。
でも、少しだけ表情が固い。
……あれ。
疲れちゃったのかな?
気になったものの、次の動きに合わせて、彼の姿は視界から外れた。
* * *
曲が終わり、ママのところへ戻る。
「ありがとうございました。温室のお話も、伺えて嬉しかったです」
「こちらこそ。また、学園で」
令息を見送ったところで、別の方から声をかけられた。
「セレティア嬢。私にも、ご挨拶させていただけますか」
ママが先方のご家族をご存じだったらしく、紹介してくれる。
ご挨拶を返すと、少し後ろにいた令息も会話へ加わった。
「薬学を選択されているそうですね」
「先ほどのダンス、とてもお綺麗でした」
「次の曲は、もうお約束がおありですか?」
……えっ。
一人ずつ、お願いします!
お名前を覚えている間に、次の質問が来る。
そちらへ答えたら、今度はこちらから話しかけられる。
皆さん、親切だ。
親切なのだけれど!
「学園の薬学の授業は、とても面白いです。それから、次の曲は……」
答えかけて、近くにまた別の令息がいることに気づいた。
……まさか、ご挨拶を待っていらっしゃる?
ママへ助けを求めるように目を向けると、自然に話を引き取ってくれた。
ありがたい。
夜会に慣れているって、こういうことなんですね……!
「ティア」
その声に、思わず顔を上げた。
ノアが、人の輪のすぐ外に立っている。
「ノア!」
ほっとして一歩そちらへ向きかけたところで、令息の一人が彼へ礼をした。
「ヴォルフィード様。剣術大会のお話も、ぜひ伺いたいと思っていたんです」
「ありがとうございます。どの試合をご覧になったんですか?」
ノアは穏やかに応じた。
けれど、こちらへ来ようとしていた足は、その場に留まる。
決勝をご覧になっていたらしく、最後の攻防についての話が始まった。
……そうよね。
優勝したノアのお話だって、聞きたいよね。
彼と目が合ったので、私は小さく頷いた。
今のうちに、少しだけ涼んでこよう。
ノアには、あとで温室のことを話せばいい。
「ママ。少し、外の空気を吸ってきてもいい?」
「ええ。そちらのテラスなら、ここから見えるわ。冷える前に戻ってらっしゃい」
「うん。ありがとう」
飲み物を受け取り、周りの方々へ断ってから、その場を離れる。
ノアがこちらを見たので、テラスの方を示して小さく口を動かした。
――少し、休憩。
頷いてくれたのを見て、私は開いている扉へ向かった。
* * *
外へ一歩出ると、ひんやりした空気が頬に触れた。
「……ふう。いっぱい話した!」
思わず声が漏れ、周りを見回す。
……誰も、聞いていないよね?
広間の音楽も話し声も、ここでは少し遠い。
手すりの向こうには、夜の庭園が広がっていた。
踊れたし、ご挨拶もできた。
温室のお話まで聞けた。
うん。頑張った!
帰ったら、ミアにも聞いてもらおう。
グラスへ口をつけながら、今日のことを思い返す。
初めてお話しする方と踊るのは、楽しかった。
また学園で会えたら、声をかけてみようと思う。
……でも。
ノアがあの令嬢へ笑いかけていた顔も、まだ覚えていた。
それから、私を見たときの少し固い笑顔。
「……何か、あったのかな」
グラスを下ろした、そのときだった。
「ここでも、そんなに背筋を伸ばしているのか?」
横から声がした。
驚いて振り向く。
テラスの奥、庭へ続く階段のそばに、一人の青年が立っていた。
銀灰色の髪が、広間から漏れる灯りを受けている。
整った顔立ち。
こちらへ向けられた、薄い青灰色の瞳。
……え。
誰?
こんな綺麗な人、さっき会場にいた?
言われて初めて、自分がまだ姿勢を正していたことに気づく。
そっと肩を下ろすと、青年は少しだけ口元を緩めた。
初対面のはずなのに、その目が妙に優しい。
「……やっと、息がつけた?」
まるで、私がずっと無理をしていたことを知っているみたいに。
私はグラスを両手で持ち直した。
胸が、また違う音を立てる。
……待って。
今夜、心臓を休ませる時間は、ないんですか?




