行きたい理由は、聞かないで!
「夜会に、行きたい?」
夕食後。
居間でくつろいでいたパパは、私の言葉を繰り返した。隣では、ママも少し驚いた顔をしている。
……うん。その反応は予想してました!
自分から参加したいなんて、ほとんど言ったことがないものね。
「我が家にも、招待状は届いているんでしょう?」
「ああ。私とお母様は出席する予定だが……」
パパは本を閉じ、私へ向き直った。
「何か、気になることでもあるのか?」
気になること。
ノアが、知らない令嬢と踊るところ。
その方へ手を差し出して、微笑むところ。
……言えるかーーー!!
しかも、どうして気になるのか、私にもわかっていないんですけど!
「私も、少しずつ社交の場に慣れた方がいいかなって」
嘘ではない。
侯爵令嬢として、いつまでもパパたちに任せきりにはできないし。学園でも知り合いが増えたし。
うん。ちゃんとした理由!
何もおかしなところはありません!
「まあ」
ママが嬉しそうに微笑んだ。
「それなら、一緒に行きましょう。ご家族でどうぞと、ご招待いただいているもの」
「本当? ありがとう、ママ!」
ほっとした途端、パパが少し身を乗り出す。
「ただし、当日は私たちのそばにいるんだぞ」
「うん」
「疲れたら、すぐに言うように」
「わかってるよ」
「誰かにしつこく話しかけられたら――」
「パパ。私、夜会に行くんだよ? 危険な冒険に出るわけじゃないよ?」
隣で、リオンが吹き出した。
ママまで笑い始めて、パパが困ったように眉を下げる。
「わかっている。だが、心配なんだ」
「ふふ。ありがとう。無理はしないから」
パパの腕へそっと手を添えると、ようやく頷いてくれた。
やった。
これで、私も行ける!
頬が緩んだところで、ママと目が合った。
……ん?
どうして、そんなに楽しそうなんですか?
* * *
翌朝。
教室へ入ると、ノアは窓際で本を開いていた。
「おはよう、ティア」
「おはよう! ねえ、聞いて!」
顔を上げたノアのそばへ、私は足を速めた。
「来週の夜会、私も行くことになったの!」
ノアの指が、本の上で止まる。
「……本当?」
「うん! パパとママと一緒に」
本を閉じたノアが、私へ向き直った。
「そっか」
ふっと表情が緩む。
「嬉しい」
……っ。
ちょっと待って。
そんな顔で喜んでもらえるとは、聞いていません!
「わ、私も。ローゼリア様もいらっしゃるかなって思って」
「うん。毎年、ご家族で出席されているよ」
「よかった!」
知っている人がいるなら、心強い。
そう思ったところで、ノアが少し声を落とした。
「じゃあ、昨日の約束も覚えてる?」
「約束?」
「最初のダンス」
……そちらですか!
忘れてはいない。
むしろ、昨日から何度も思い出している。
ただ、本人に言われると、急に返事が難しくなるだけで!
「うん。私と踊ってくれるんでしょう?」
「そのつもり。ティアが嫌じゃなければ」
「嫌じゃないよ!」
即答すると、ノアが少し目を丸くした。
……あ。
今の、ずいぶん張り切って聞こえたかもしれない。
「でも、足を踏んでも怒らないでね?」
「怒らないよ」
「本当に? ノア、足を怪我したら剣術の練習に困るでしょう?」
「そこまで踏むつもり?」
真面目な顔で聞かれて、思わず笑ってしまった。
「踏まないように頑張ります!」
「うん。楽しみにしてる」
ノアも笑う。
いつものやり取りに、ほっとした。けれど席へ向かったあとも、その「楽しみ」が耳に残っていた。
……私も、楽しみなんだけどね。
そこまでは、言えなかった。
* * *
昼休み。
夜会の話をすると、ローゼリア様がカップを置いた。
「まあ。セレティア様も、ご出席なさるのね」
「はい! ローゼリア様も?」
「ええ。両親と一緒に」
よかった。
ノアが教えてくれたとおりだ。
リリアも嬉しそうに身を乗り出す。
「どんなドレスをお召しになるんですか?」
「まだ決めていないんです。帰ったら、ママと相談しようかなって」
「何か、着ていきたいお色はおありですか?」
ローゼリア様に尋ねられ、少し考える。
頭に浮かんだのは、青だった。
髪飾りの宝石。
いただいたハンカチの花。
それから、今朝のノアの瞳。
……待って。
どうして全部、ノアに繋がるの!?
「セレティア様?」
「あっ、この髪飾りに合うものがいいなと思って!」
慌てて髪へ手を添えると、ローゼリア様は穏やかに頷いた。
「でしたら、淡い色のドレスにもよく映えそうですわね」
「そうですね!」
うん。髪飾りに合わせたい。
それは間違っていない!
「ノア様も、楽しみにされているでしょうね」
リリアの言葉に、思わず指が止まった。
「……そうかな?」
「はい。セレティア様とご一緒できるんですもの」
今朝の「嬉しい」が、頭の中で再生される。
……やめてください。
せっかく、お昼には普通に戻れたと思ったのに!
「一緒に踊る約束は、したんですけど」
「まあ。それは素敵ですわね」
ローゼリア様は、少し声を柔らかくした。
「わたくしも、楽しみにしておりますわ」
「えっ、私たちが踊るところを?」
「ええ」
「そ、それは緊張します!」
リリアがくすっと笑う。
つられて笑いながら、私はカップを持ち直した。
夜会に行くと決めたばかりなのに。
もう、楽しみと緊張が大渋滞なんですけど!
* * *
放課後、待ち合わせの回廊へ向かっていると、後ろから名前を呼ばれた。
「ティア」
振り向くと、ノアが歩いてくる。
「今、帰るところ?」
「うん。リオンが待ってると思う」
「じゃあ、そこまで一緒に」
隣へ並んだノアが、私へ顔を向けた。
「ダンスの練習、どうしようか」
「あっ、そうだったね!」
昨日、約束したのだ。
夜会の前に、一緒に練習しようって。
「前日なら、屋敷にいると思う。ママにも聞いてみるね」
「うん。僕も、その日は空けておく」
「よろしくお願いします、ノア先生!」
少し頭を下げると、ノアが笑った。
「急に先生になるの?」
「だって、教えてもらうんだもの」
「一緒に練習するだけだよ」
そう言われて、ようやく具体的な光景が浮かんだ。
手を取って。
近づいて。
腰に、手を――。
……あれ?
これ、屋敷で二人でやるの?
いや、ダンスってそういうものなんだけど!
わかっているんだけど!
「……ティア?」
「な、何でもない!」
顔を上げると、ノアが不思議そうに見ていた。
一人で想像して、一人で慌てているなんて。
絶対、知られたくない。
「ノアは、緊張しないの?」
「ダンス?」
「うん。夜会も、慣れているでしょう?」
私と違って、人前でも落ち着いている。
きっと、誰とでも綺麗に踊れるのだろう。
そう考えて、また胸がちくりとした。
ノアは少し黙ってから、答えた。
「ティアと踊るのは、僕も久しぶりだから。ちゃんと合わせたいんだ」
「……ノアでも、そんなこと気にするんだね」
「するよ。二人で踊るんだから」
当たり前のように言われて、私は隣を見上げた。
私だけが、失敗しないように頑張るわけじゃない。
ノアも、私に合わせようとしてくれている。
そう思うと、少し気が楽になった。
「じゃあ、私も頑張るね!」
「うん。でも、足元ばかり見ないでね」
「まだ踏んでないでしょう!?」
思わず言い返すと、ノアが声を漏らして笑った。
……もう。
さっきから、すっかり踏む前提になってませんか!
その笑顔を見ていたら、ノアがふと足を止めた。
私も、少し遅れて立ち止まる。
「本番では、こうして誘うから」
差し出された手へ、視線が落ちた。
急に静かになった気がした。
遠くの生徒たちの声だけが、聞こえてくる。
「ティアが、手を取ってくれたら嬉しい」
さっきまで、冗談を言い合っていたのに。
そんなふうに見つめられたら、笑って返せなくなる。
……ずるい。
切り替えが上手すぎるよ、ノア。
私はその手へ、そっと指先を重ねた。ノアの目が、わずかに見開かれる。
「……お約束、したでしょう?」
声が少し小さくなった。
けれど、手を引っ込めようとは思わなかった。
ノアが、私の手を優しく握る。
「うん」
嬉しそうに笑われて、胸がきゅっとした。
「忘れないでね」
「忘れないよ。足を踏まない練習もするんだから」
「そっち?」
ノアが笑う。
私も笑って、ようやく少し息がつけた。
ほどかれた指先には、まだ温かさが残っている。
回廊の先にリオンを見つけ、私は空いた手を鞄へ添えた。
……待って。
私、ノアと踊るの、ものすごく楽しみにしてない?
社交のお勉強は!?
パパに説明した、立派な理由はどこへ行ったのーーー!!
そこまで考えて、胸がひやりとした。
ノアが誰かと踊るのは、気になる。
自分と踊ってくれるのは、嬉しい。
それって、ただの幼馴染でも思うこと?
……もし、違ったら。
恋愛には関わらない。
そう決めていたのは、嫌いだからじゃない。
ゲームでは、私――セレティアと関わった攻略対象たちが、どのルートでも死んでしまったからだ。
……もし、ノアまで失ってしまったら。
「ティア?」
隣から呼ばれ、顔を上げる。
ノアが足を緩め、私を見ていた。
「どうかした?」
「……ううん。夜会、ちょっと緊張するなって」
全部ではないけれど、嘘でもなかった。
ノアは小さく頷いた。
「僕もいるから。困ったら、声をかけて」
「……うん」
その言葉が嬉しい。
でも、私が頼って近づくことで、ノアに何か起きたら?
目の前にいるノアは、いつもどおり優しく笑っている。
ずっと、こうして笑っていてほしい。
だから、必要以上には関わらないと決めたはずなのに。
……もう。
どうして、一緒に踊るのがこんなに楽しみなんだろう。
私は空いた手を、そっと握った。
ノアを危険な目に遭わせたくない。
それでも今は、踊る約束をなかったことにしたいとは思えなかった。




