↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『恋愛しません!……って言ってるのに、攻略対象が近づいてきます』  作者: ルミ
第1章 恋愛しないはずの学園生活

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
67/93

幼馴染でいられるなら、それでよかった

――ノア視点


ティアたちの馬車を見送ってから、俺は生徒会室へ引き返した。


殿下を探している途中で、預かった資料を近くの役員に託していた。届けたことだけ伝えて帰るつもりだったのに、扉を開けた途端、殿下が顔を上げた。


「戻ってきたのか」


「資料をお預けした件で。打ち合わせは、終わったんですか?」


「ああ。今しがたね」


机の上には、確認を終えたらしい書類が積まれていた。ほかの役員は、すでに帰ったようだ。


殿下は手元の紙を揃えながら、何気ない調子で尋ねた。


「セレティア嬢は、無事に帰れたかな」


「はい。リオンと一緒に」


「そうか。それはよかった」


そこで終われば、俺も礼をして帰れた。


けれど、殿下がこちらを見る。その顔を見た瞬間、余計なことを言うつもりだとわかった。


「それで。機嫌は直ったか?」


「……悪くしていません」


「そうだったのか。では、あの顔は見間違いだな」


「どの顔でしょう」


「私の手を見ていたときの顔だよ」


返事が、一拍遅れた。


殿下はそれを見逃さず、楽しそうに口元を緩める。


「わかりやすくなったな、お前も」


「……支えていただいたことには、感謝しています」


「それは本人にも伝えたのか?」


「伝えました」


「なら、構わないだろう」


構わない。


そう言えたら、どれだけ楽だったか。


扉を開けた瞬間の光景が、まだ頭に残っている。


殿下の袖を掴むティアの指。


腰を支える手。


すぐ近くで、こちらを振り向いた顔。


転びかけたと聞いて、まず怪我を心配した。無事だとわかって、安心もした。


それでも、あの距離を見たときの気持ちまでは消えてくれなかった。


「……ずいぶん、考え込むんだな」


殿下の声に、顔を上げる。


「まだ何も申し上げていませんが」


「ああ。顔に書いてあるだけだ」


俺は、小さく息を吐いた。


* * *


「そこまで気になるなら、伝えればいいだろう」


殿下は書類から手を離し、俺へ向き直った。


「セレティア嬢に、お前の気持ちを」


簡単に言ってくれる。


……いや。言えずにいる俺の方が、よほど面倒なのだろう。


「ティアは、俺をそういう相手だと思っていません」


「だから、伝えるんじゃないのか」


「伝えたら、変わるでしょう」


殿下が、黙った。


俺は窓の外へ目を向けた。馬車が去った道は、ここからでは見えない。


「今は、会いに行けば喜んでくれます。隣に座っても、話しかけても、当たり前みたいに受け入れてくれる」


名前を呼べば、笑って振り向く。


何か嬉しいことがあった日は、俺にも聞かせようとしてくれる。俺が疲れていれば気づいて、無理をしないでと言う。


ティアは、いつもそうして俺を気にかけてくれる。


「でも、気持ちを伝えたら……同じようには、できなくなるかもしれない」


俺の気持ちに応えられないからと、会うことまで断られるかもしれない。


何気なく向けてくれていた笑顔を、俺のために控えるようになるかもしれない。ティアなら、俺を傷つけないように考えるだろう。


そうしてできた距離を、俺はきっと、簡単には戻せない。


「……それが、怖いのか」


殿下の声から、からかう響きが消えていた。


俺は少し迷ってから、頷いた。


「はい」


口にすると、情けないほどはっきりした。


剣を握っているときなら、迷ったまま立っているわけにはいかない。けれど、ティアのことになると、踏み出せない理由ばかり増えていく。


「幼馴染なら、そばにいられますから」


ティアが笑ってくれるなら。


困ったとき、俺の名前を呼んでくれるなら。


それで十分だと、自分に言い聞かせてきた。


……今日も、そう思えるはずだった。


* * *


「ただ、セレティア嬢がどう思うかは、本人にしかわからないだろう」


殿下は、静かに言った。


「お前が大切にされているのは、私にもわかるよ。それがどんな気持ちなのかまで、代わりに決めてやることはできないが」


俺は、机の端へ視線を落とした。


わかっている。ティアの気持ちを、俺が決めるべきではない。


それでも、期待して違っていたときのことを考えると、どうしても慎重になる。


「……今日は、少し言いすぎました」


「何を?」


「殿下の近くにいたから、平気ではいられなかったと」


殿下が瞬きをした。それから、ゆっくりと笑う。


「何だ。ちゃんと言っているじゃないか」


「つい、口に出ただけです」


「彼女は?」


「……困っていました」


思い出しただけで、胸の奥が落ち着かなくなる。


ティアは、いつものように首を傾げなかった。


頬を赤くして、視線を落として。


――そ、そんなふうに言われても。


あの声が、まだ耳に残っている。


「嫌がっていたのか?」


問われて、すぐには答えられなかった。


困らせた。それは確かだ。


けれど、俺を避けようとしたわけではなかった。帰り道も、隣を歩いてくれた。


時折こちらを見上げかけては、何か言う前に顔を戻していた。


「……わかりません」


「そうか」


殿下は、それ以上答えを求めなかった。


俺も口を閉じる。


本当は、もう少し聞いていたかった。


あの反応は、どういう意味だと思うか。


少しくらい、期待してもいいのか。


……そんなことまで、殿下に尋ねてどうする。


「ノア」


顔を上げると、殿下が少しだけ悪戯っぽく笑っていた。


「剣術大会で優勝した男が、なかなか手強い相手に苦戦しているな」


「……剣でどうにかなるなら、苦労していません」


「ははっ。それもそうだ」


笑い声を聞きながら、俺もわずかに口元を緩めた。


* * *


生徒会室を出る頃には、廊下の窓が夕日に染まっていた。


一人で歩きながら、さっきティアと立ち止まった場所へ目を向ける。


もう、誰もいない。


それなのに、髪を直してやったときの顔が浮かんだ。


近づく指先を見て、ぴたりと動きを止めたティア。


小さな声の、ありがとう。


……あんな顔をされたら、期待する。


俺のことを、少しは意識してくれたのではないかと。


そう思った次の瞬間には、自分に都合よく受け取っているだけかもしれないと考える。


昔から、よく知っているはずなのに。最近は、わからない顔が増えた。


校舎を出ようとしたところで、上着の内ポケットへ手を入れた。


指先に触れたのは、洗ってもらったティアのハンカチだった。


返そうと思って持ってきたのに、今日は結局、渡しそびれてしまった。


――洗うのに、そんなに時間がかかるものじゃないと思うけど。


思い出して、一人で笑ってしまう。


本当に、そのとおりだった。


ハンカチを返すだけなら、休みの日まで待つ必要なんてなかった。


ただ、学園の授業の合間ではなく、ゆっくり会いたかった。ティアが何を話してくれるのか、隣で聞いていたかった。


それだけのことを言うのに、俺はずいぶん遠回りをした。


今度の休みには、会える。


リオンも一緒だろう。きっと、猫もいる。


それでもティアは、俺が行けば嬉しそうに迎えてくれるはずだ。その光景を思い浮かべると、胸の奥が温かくなる。


――ノアの声がしたら、もっと安心したよ。


今日、何度目かわからないほど、その言葉を思い返した。


もっと。


たったそれだけの言葉で、あれほど苦しかった気持ちがほどけてしまった。


ティアは、きっと知らない。


俺がどれほど嬉しくて、あのあとも平静を装うのに苦労したか。


「……十分なわけ、ないだろ」


誰もいない道で、小さく呟く。


幼馴染でいられるなら、それでいい。


そう思っていたはずなのに。


次に会うときも、きっと俺は、ティアを笑顔にしたいと思う。


そのうえで、今日みたいに少しだけ、俺を見て照れてくれたらいいと願ってしまう。


俺はハンカチの入ったポケットを軽く押さえ、待っている馬車へ歩き出した。


休みの日が、待ち遠しかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。