攻略対象と、二人きりは困ります!
剣術大会から、数日。
放課後、私は書類を抱えて生徒会室へ向かっていた。
薬学の先生から預かったのは、大会で使った備品の記録だ。準備を手伝った生徒の名前も添えられている。
生徒会室の近くを通る予定だったので、私がお届けすることになったのだけれど。
……紙って、まとまると意外と重い!
抱え直したところで、前方の扉が開いた。
「セレティア嬢?」
顔を上げると、ユリウス殿下が立っていた。
「ごきげんよう、殿下。こちらを、薬学の先生からお預かりしてまいりました」
「ああ。ありがとう」
差し出そうとすると、殿下が先に手を伸ばした。腕の中から、書類の束がすっと軽くなる。
「ずいぶんあったね」
「はい。でも、すぐそこからでしたので」
「それでも、助かったよ」
当たり前のように受け取られて、私は空いた手をそっと重ねた。
……王太子殿下に、荷物を持っていただいてしまった。
「お忙しいところ、失礼いたしました」
「待って。担当者が席を外していてね。少し確認させてもらってもいいかな」
殿下は表紙をめくり、項目を確かめた。
「備品の控えも照合しておこう。すぐ隣の資料室なんだが、少し付き合ってもらえる?」
「はい」
お届けするだけの予定が、少し延びた。
でも、確認が済めば終わりだもの。何も難しいことはない。
……うん。普通にお手伝いして、普通に帰りましょう!
* * *
資料室には、高い棚が何列も並んでいた。
窓はあるけれど、棚に光を遮られて、奥は少し薄暗い。殿下は入口に近い机へ書類を置き、棚から一冊の帳簿を取り出した。
「そこに掛けて。すぐ終わるから」
「ありがとうございます」
椅子を引こうとした、そのとき。背後で、ばたん、と大きな音がした。
思わず肩が跳ねる。振り向くと、開けてあった扉が閉まっていた。
「ああ、風か」
殿下が扉へ向かい、取っ手を下げる。
けれど、扉は開かなかった。
もう一度、少し押す。今度は引く。
……あれ?
殿下は取っ手の付け根を確かめ、小さく息をついた。
「留め金が引っかかったようだな」
「……開かない、ということでしょうか」
「今はね。外からなら、動かせると思う」
私は閉まった扉を見つめた。
つまり……閉じ込められた!?
しかも、王太子殿下と二人きり!?普通に帰る予定は、どこへ行ったのーーー!!
殿下は扉を数回叩き、廊下へ声をかけた。
「誰か、いるかな」
返事はなかった。
もう一度、強く扉を叩く。しばらく耳を澄ませたけれど、廊下に人の気配はない。
殿下は窓の外も確かめてから、懐中時計へ目を落とした。
「もうすぐ生徒会の打ち合わせがある。私が戻らなければ、誰かが探しに来るよ」
「そう、ですか」
「用事が長引いてしまって、すまない」
私は慌てて首を振った。
「殿下のせいではありません」
「君が一緒なのが、せめてもの救いかな」
「えっ?」
顔を上げると、殿下が少し笑った。
「一人で帳簿を眺めて待つより、ずっといい」
……あ。そういう意味、ですよね。
びっくりした。今、ちょっとだけ変な受け取り方をしちゃった!
* * *
「確認だけ、済ませてしまおうか」
殿下に促され、私は机へ戻った。
向かい合って帳簿を開く。先生から預かった記録と照らし合わせると、備品の数はすべて揃っていた。
「問題なさそうだね。ありがとう」
「いえ」
殿下が帳簿を閉じる。
……終わった。確認も終わってしまった。
私は膝の上で指を重ね、向かいの殿下へそっと目を向けた。
王太子で、生徒会長。ノアをからかうのが好きで、仕事では頼もしい人。
そして、乙女ゲームの攻略対象。
……今さらだけど、ものすごい方と二人きりなんですけど!
「セレティア嬢」
「は、はい」
「そんなに背筋を伸ばしていると、疲れない?」
指摘されて、肩の力を抜いた。
殿下が、口元を緩める。
「ノアがいたら、私が怖がらせたと思われそうだ」
「怖がっているわけでは……!」
「うん。それならよかった」
楽しそうな瞳を見て、ようやく少し笑えた。
「ノアには、いつもあのようにお話しになるのですか?」
「あのように?」
「その……少し、からかうように」
殿下は一瞬考え、それから頷いた。
「昔からだね。あいつは、何でもそつなくこなすから」
「それで、からかいたくなるんですか?」
「そう。もっとも、最近はわかりやすくて助かる」
……わかりやすい?
首を傾げると、殿下はそれ以上言わず、私を見た。
「君はどうかな。学園には慣れた?」
「はい。お友達もできましたし、授業も楽しいです」
「薬学も?」
「もちろんです!」
思わず即答すると、殿下が笑った。
「それは聞くまでもなかったか」
……うう。今の返事、元気すぎたかもしれない。
けれど殿下は、続きを聞くように私へ向き直った。
大会の準備で知ったこと。リリアが教えてくれた薬草の見分け方。
殿下はときどき質問を挟みながら、私の話を聞いてくださった。
話しているうちに、緊張していたことを少し忘れていた。
* * *
しばらくして、廊下の方から物音がした。
「……誰か、来た?」
私は顔を上げ、椅子から立ち上がった。殿下も席を立ち、扉へ目を向ける。
「声をかけてみよう」
私は殿下より少し先に、机の脇へ出た。棚との間を抜けようとしたところで、足先が椅子の脚に引っかかる。
「あっ」
前へ傾いた体を支えようとしても、足がついてこない。床が近づいた、と思った瞬間、すぐ後ろにいた殿下が私の横へ踏み出した。
片手が私の腕を捉え、もう片方が腰を支える。支えられた方へ体の向きが変わり、私は殿下と向かい合う形で踏みとどまった。
反射的に掴んだのは、殿下の袖だった。
「……大丈夫?」
顔を上げた途端、息が止まる。
すぐ目の前に、殿下のお顔があった。
……近い近い近い!
さっきまで、ちゃんと机一つ分の距離があったんですけど!?
「足を、ひねっていないかな」
「は、はい。大丈夫です」
殿下は足元を確かめ、自分の足で椅子を少し横へずらした。
「急がなくていい。ゆっくり、足を戻して」
落ち着いた声だった。腕を取る手も、腰を支える手も、私が立ち直るまで待ってくれている。
袖を掴んだ自分の指に気づき、ますます顔が熱くなった。
……私、王太子殿下にしがみついてる!?
待って。この方は攻略対象。しかも、ローゼリア様との婚約のお話もある方ーーー!!
「ありがとうございます……」
足を戻しかけたところで、扉の向こうから声がした。
「殿下?」
「ノア?」
私が顔を向けると、すぐに取っ手が動いた。
「ノア。留め金が引っかかっている。外側から動かせるかな」
「……少々お待ちください」
金具の擦れる音がして、扉が開く。
廊下の光が差し込んだところで、私はようやく両足を揃えた。
「よかった……!」
ほっとした私とは反対に、入口のノアは動きを止めた。
私はまだ、殿下と向かい合うように立っている。片手はその袖に添えたまま。殿下の手も、私の腰から離れるところだった。
ノアの視線が、私の顔から、その手へ落ちる。
「……何を、なさっているんですか」
いつもより低い声だった。
殿下は私が立っているのを確かめてから、手を離す。
「転びそうだったから、支えていたんだが?」
……そう! そのとおりです!
私は頷きながら、慌てて殿下の袖から手を離した。それを見たノアの口元が、きゅっと引き結ばれる。
……あれ。ノア、何だか怖いお顔になってませんか?
殿下はノアを見て、ほんの少しだけ口元を緩めた。
扉は開いた。これで帰れるはずなのに。
……なんだか、さっきより落ち着かないんですけどーーー!?




