その先生、有名人につき!
「国家魔術師の、アシェル様では?」
聞こえてきた名前に、私は思わず振り向いた。
会場の入り口に、見慣れた姿がある。学園の先生に案内されながら、こちらへ歩いてくる人。
……アシェル様!?
つい手を上げかけて、慌てて止めた。
危ない!
いつもの調子で、授業のお話をするところだった!
面識があることまで、隠す必要はない。
でも、私が魔法を教わっていることは秘密だ。
ここで「この前の授業、ありがとうございました!」なんて言ったら、大変なことになる。
私は何事もなかったように、両手で飲み物を持ち直した。
……落ち着いて、私。
今は、ごく普通に観戦しに来た侯爵令嬢です!
「まあ。本当にいらっしゃったのですね」
隣で、ローゼリア様が目を細めた。
「ご存じだったんですか?」
「来賓としてお招きしていると伺っておりましたの。ただ、お忙しい方ですから、ご出席になるかはわからなくて」
……来賓。そっか。今日は、そのお立場なんだ。
「私、お姿を拝見するのは初めてです!」
リリアが、少し背伸びをした。
「王宮でお仕事をなさっている方なんですよね?」
「ええ。国家魔術師として、広く知られている方ですわ」
二人の話を聞きながら、私はアシェル様へ目を向けた。
周囲の生徒たちも、そっと道を空けている。先生方は改まった態度で挨拶をし、アシェル様は落ち着いて応じていた。
……知ってた。すごい方だって、知っていたけれど!
いつもは机を挟んで、魔力の流し方を注意されたり、記録を確認していただいたりしている。
その先生が、今は会場中の注目を集めているのだ。
……私、あんな方に「もう少しできます!」って言い返してたんだよね。
うん。今、それを思い出すのはやめておこう!
* * *
「こちらへどうぞ」
案内の先生が、来賓席の方を示した。私たちは通路の端へ寄る。
アシェル様が近づいてきた、そのとき。
「ごきげんよう、アシェル様」
ローゼリア様が、優雅に礼をした。アシェル様が足を止める。
「ごきげんよう。ローゼリア嬢」
「本日は、お越しいただき光栄ですわ」
二人に面識があるらしいとわかり、私は少しだけ安心した。
ローゼリア様に続いてご挨拶すれば、私だけ変に身構えずに済みそうだ。
リリアと一緒に、礼をする。
「ごきげんよう」
アシェル様の視線が、私へ向いた。
「セレティア嬢も、観戦に?」
「はい。お友達と一緒に」
いつもの授業では聞かない呼び方に、少しだけ背筋が伸びる。
「先ほどの試合は、ご覧になりましたか?」
「ええ。最後の一本には間に合いました」
「ノアの試合ですね!」
思わず声が弾むと、アシェル様は静かに頷いた。
「よく相手を見ていましたね。踏み込む機会を逃さなかった」
「はい!ずっと落ち着いていて……最後は、とても速かったです」
私が答えると、先生の目元がわずかに和らいだ。
「よく見ていらしたのですね」
その声を聞くと、つい、褒めていただいたときの気持ちになってしまう。
……いや。今のは、観戦のお話ですから!
隣でリリアが、両手をきゅっと重ねた。
「あの……私には、速すぎて追いきれなかったところもあって」
言ってから、はっと頭を下げる。
「申し訳ありません。突然、お話に入ってしまって」
「構いませんよ」
アシェル様は、リリアへ顔を向けた。
「私も剣の専門ではありませんが、剣だけでなく、足元に注目すると動きを追いやすいですよ」
「足元、ですか?」
「ええ。踏み込む前に、立つ位置や体重のかけ方が変わることがあります。次の試合で、少し見比べてみてください」
「はい。ありがとうございます!」
リリアの顔が、ぱっと明るくなる。私は、その横顔を見つめた。
魔法の授業ではないのに、やっぱり説明がわかりやすい。
わからないと言った相手を置いていかず、次に何を見ればいいか教えてくれる。
……そういうところは、いつもの先生だ。
「アシェル様」
案内の先生が、控えめに声をかけた。
「ええ。お待たせしました」
アシェル様は私たちへ向き直る。
「では、皆さんも楽しんで」
「ありがとうございます」
三人で礼をして、見送った。
彼が来賓席へ向かうと、リリアが小さく息を吐く。
「……緊張しました!」
「私も」
思わず答えると、ローゼリア様が少し首を傾げた。
「セレティア様もですの?」
「はい。周りの皆様も、ご注目されていたので……」
……間違ったことは言っていません。
緊張した理由が、ちょっと違うだけです!
* * *
席へ戻ると、次の試合が始まるところだった。リリアが、さっそく試合場を見つめる。
「足元も、でしたね」
「うん」
私も、生徒たちの動きへ目を向けた。
一人が足を踏み出す。その直前、後ろの足がわずかに動いた。
「あっ」
リリアと、声が重なる。剣が振られ、相手が受けた。
「今、少しわかった気がします!」
「私も!」
顔を見合わせて笑うと、ローゼリア様も試合場へ視線を戻した。
「教えていただくと、見えるところが増えますわね」
本当に、そうだ。
さっきまでは、ただ速いと思っていた動きにも、準備がある。知ってから見ると、同じ試合なのに少し違って見える。
私は、来賓席へそっと目を向けた。
アシェル様は隣の先生と短く言葉を交わしたあと、試合を見ていた。
背筋を伸ばした横顔は、授業中より少し近寄りがたい。
……不思議。あんなに遠くに座っていると、本当に別の方みたい。
ふと、彼が顔を上げた。
目が合う。私は慌てて試合場へ向き直りかけて、途中で止まった。
……いや、ここで不自然に逸らす方が変じゃない!?
迷った末に、小さく会釈する。
アシェル様も、わずかに頷いた。それから、ほんの少しだけ笑う。
授業中、ふと顔を上げたときに見せてくれる、あの表情だった。
……あ。
気づけば、私も口元を緩めていた。
知らない人みたいだなんて、思ったけれど。ちゃんと、私の知っているアシェル様だ。
「セレティア様、今のところ、ご覧になりました?」
リリアの声に、慌てて顔を戻す。
「えっ?」
「足の動きが変わったあと、剣が――」
「ご、ごめんなさい。今、少し見逃しちゃった!」
……先生の教えを活かすはずが、先生を見ていて見逃すなんて!
自分に呆れながら、今度こそ試合へ意識を戻す。
そのあとも予選は続き、ノアは次の試合でも勝利を収めた。
朝より落ち着いて見られるかと思ったのに、やっぱり最後は両手を握りしめてしまった。
……観戦って、思ったより体力を使う!
* * *
午前の試合が終わり、会場に休憩の案内が響いた。
「午後の組み合わせも、もうすぐ出るそうですわ」
「ノア様、本戦へ進まれましたね!」
「うん!」
リリアの言葉に、嬉しくなって頷く。これで、リオンも応援できる。
席を立ち、三人で通路へ出ると、向こうから見慣れた白金色の髪が近づいてきた。
「姉様」
「リオン!」
弟は私を見ると微笑んだ。
「午前の授業が終わったので、こちらへ来ました」
「お疲れさま!ノア、本戦に進んだよ」
「そうですか。では、午後は応援できますね」
リオンは頷き、それから来賓席の方へ目を向けた。
「ああ。アシェル様も、いらしているんですね」
「うん。今日は来賓として」
私の答えに、リオンは再びこちらを見る。
「姉様、午前中はいかがでしたか?」
「楽しかったよ!ノアの試合もすごかったし、それから――」
師匠に会えた。
アシェル様とも、公の場でお話しした。
話したいことを思い浮かべていると、リオンが少しだけ目を細めた。
「……ずいぶん、充実していらしたようですね」
……ん?どうして、その言い方なの?
「午後は、僕もご一緒します」
リオンは私の隣へ並び、にっこりと笑った。
「姉様のお話を、ゆっくり聞かせてくださいね」




