どうして、こんなに気になるんだろう②
その日、私とリオンは庭のテーブルでお茶を飲んでいた。
テーブルの上には、ミアが用意してくれた紅茶と小さな焼き菓子。そして、少し離れた椅子には、今日もやってきたノアが座っている。
「ねえ、リオン」
「なに?」
「今度、厨房のお手伝いしてみたい」
「……姉様が?」
「うん! お菓子作りとか覚えたら楽しそうじゃない?」
「やめたほうがいいと思う」
「どうして!?」
「この前、オーブンを壊したとき、料理長が泣いてたから」
「…………」
私は黙った。
「……あれは、事故よ」
「事故でも壊したのは姉様だよね」
「リオン、そこはお姉様を庇うところじゃない?」
「事実だから」
「もう!」
私たちは顔を見合わせて笑った。
……確かに、オーブンを壊したのは私だけど。でも、あれは本当に事故だったんだから!
そんな私たちの様子を、ノアが少し離れたところから眺めていた。
* * *
ノアは、目の前の姉弟を不思議な気持ちで見つめていた。
二人は、本当に仲がよくなった。以前はどこかぎこちなかったのに、今では楽しそうに言い合いをして、顔を見合わせて笑っている。
――何を話しているんだろう。
時折、二人だけで小声になるのも気になった。
「……姉弟って、あんなに仲がいいものなのか?」
ノアには兄弟がいない。だから、姉弟がどんな距離感で接するものなのか、よく分からなかった。
ただ、リオンがティアを慕っているのは、見ていれば分かる。そしてティアも、今ではリオンのことが可愛くて仕方がないようだった。
それは、いいことだと思う。
……でも、少しだけ。
自分の知らないところで二人の距離が近づいていることが、妙に気になった。
* * *
「まあ、ノアくん。今日も来てくれたのね」
庭へ顔を出したお母様が、嬉しそうに声をかけた。
「はい。お久しぶりです、アストレイア侯爵夫人」
ノアはすぐに立ち上がり、きちんと頭を下げる。
「まあまあ。そんなにかしこまらなくてもいいのよ」
「ありがとうございます」
そのやり取りを見ていた私は、ふと思った。
「ママ」
「なあに?」
「今日はお屋敷にずっといるの?」
「ええ、そうよ」
そのとき、ノアがわずかに眉を動かしたことには気づかなかった。
「そうだわ、ノアくん」
「はい」
「今日はこのまま夕食を食べていかない?」
「よろしいのですか?」
「もちろんよ。今日は旦那様も早く帰ってくる予定なの」
「ありがとうございます」
ノアは丁寧にお礼を言った。
「パパ、昨日も遅かったよね」
「そうね。明日の予算会議の準備があったから、昨日は遅くまでお仕事をしていたのよ」
「そっか」
「でもね。旦那様ったら、『三日も子どもたちと夕食を食べていない』って寂しそうにしていたの」
「パパ……」
私は思わず笑ってしまった。パパってば、そんなことを言ってたんだ。
「じゃあ、今日は一緒に食べられるね!」
「うん!」
リオンも嬉しそうに頷いた。
「僕、遅くなっても毎日お父様を待つよ」
「ダメよ」
「え?」
「子どもは早く寝ないと」
「でも……」
「パパとは、いつでも会えるでしょう?」
「……うん」
お母様が、そんな私たちを見て微笑んだ。
「ティアは、いつの間にかすっかりお姉さんになったのね」
「そうかな?」
私は少し照れくさくなって笑った。
* * *
ノアは、ティアとその家族のやり取りを黙って見つめていた。
――まただ。
「ママ」「パパ」。
ティアは、両親をそんなふうに呼んでいる。
貴族の令嬢なら、普通は「お父様」「お母様」と呼ぶものだ。以前のティアも、そうだったはずなのに。
……どうして急に変えたんだろう。
少し不思議だった。けれど、夫人は嫌がるどころか、嬉しそうにティアの話を聞いている。
リオンも楽しそうだ。そして、ティアは二人の真ん中で、何の遠慮もなく笑っていた。
ノアの家では、あんなふうに話すことはほとんどない。父も母も忙しく、食事を一緒にする機会さえ少なかった。
家族というのは、もっと静かなものだと思っていた。
だからこそ、目の前の光景が不思議だった。
「じゃあ、夕食まで三人で遊んでいらっしゃい」
夫人がそう言うと、ティアがノアを見た。
「三人って……。私たち、もう子どもじゃないんだから。ノアは好きにしていいんじゃない?」
「……」
ノアは返事に困った。十二歳なのだから、まだ子どもだろう。
そう言おうとしたが、ティアはもうリオンのほうを向いていた。
「リオン、魔法の練習しにいこう!」
「うん!」
二人が立ち上がる。
「俺も行く」
「えーーー!」
ティアが、あからさまに嫌そうな声を出した。
「ノア、魔法使えないじゃん」
「別に。見ていても問題ないだろ?」
「……まあ」
ティアはしぶしぶ頷いた。
「じゃあ、来れば?」
「うん」
ノアは小さく笑った。
少しでも一緒にいれば、ティアが変わった理由が分かるかもしれない。
……そう思っただけだ。
* * *
夕方。
魔法の練習を終えた私たちは、家族が待つ食堂へ向かった。
長いテーブルには夕食が並び、パパとママ、リオン、そしてノアと一緒に席につく。
「ノア、久しぶりだね。元気だったかい?」
「はい。お久しぶりです、アストレイア侯爵」
ノアは、きちんと背筋を伸ばして答えた。
「ティアと同い年だというのに、しっかりしているな」
「恐れ入ります」
その姿を見て、私は思わず口を挟んだ。
「パパ!」
「ん?」
「ノアにそんなこと言わなくてもいいじゃん」
同い年なのに、ノアだけ大人扱いされているような気がして、なんだか面白くない。
「何、その言い方。ひどくない?」
「……悪かった」
パパが苦笑する。
「もー!」
ママもリオンも笑っている。ノアだけが、少し驚いたような顔をしていた。
* * *
ノアは、目の前の光景を静かに見つめていた。
やっぱり、この家は自分の家とは違う。
侯爵は娘に言い返されても怒らず、笑って謝っている。夫人も、リオンも、そんな二人を楽しそうに見ていた。
自分の家では、こんなやり取りは考えられない。父と話すときは、言葉を選ぶ。母と食事をするときも、礼儀を忘れてはいけない。
それが当たり前だと思っていた。
けれど、この家では違う。
誰かが話せば、自然と会話が続く。誰かが笑えば、つられるように周りにも笑顔が広がっていく。
不思議だった。ただ食事をしているだけなのに、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「パパ、それでね!」
ティアが楽しそうに話し始めた。
侯爵が笑い、夫人が頷き、リオンが嬉しそうに口を挟む。
ノアも、いつの間にか笑っていた。
ふと、そのことに気づいて、少し驚いた。
自分の家では、こんなふうに自然に笑うことがあっただろうか。
ノアは、ティアを見つめた。
さっきの魔法の練習でも、ティアはリオンが上手くできるたびに、自分のことのように喜んでいた。失敗したときも責めずに、もう一度やってみようと笑いかけていた。
以前のティアなら、きっと違った。でも、今のティアは――。
ノアは、家族と笑い合うティアを見つめた。
――ティアだ。
この家が温かいのは、家族みんなが互いを大切にしているから。けれど、今、その輪の真ん中で楽しそうに笑っているティアから、どうしても目が離せない。
「……ティア」
小さく名前を呼んだ。けれど、ティアは気づかない。リオンの話に耳を傾け、楽しそうに笑っている。
ノアは、そんなティアを見ていた。
どうして、こんなに気になるんだろう。
以前とは違うから? 急によそよそしくなったから?
……それだけじゃない気がする。
けれど、まだその理由は分からなかった。
ノアはもう一度、ティアを見つめた。その答えを、まだ知らないまま。




