ししょー!……ではなく、アルヴィン様!
剣術大会、当日の朝。
学園の正門をくぐると、いつもとは違う賑わいが迎えてくれた。
会場へ続く道には案内板が立ち、荷物を抱えた生徒たちが行き交っている。遠くからは、剣を打ち合わせる音まで聞こえた。
……いよいよだ!
私たちが確認した薬草や備品も、昨日のうちに担当の先生へ引き渡してある。今日は全部、必要なところへ届いているはずだ。
「姉様、楽しそうですね」
隣を歩くリオンが、微笑んだ。
「うん!リオンは、午前中は授業だよね?」
「はい。今日は中等部も午後から観戦できるので、本戦には間に合います」
「じゃあ、あとで一緒に見ようね!」
中等部は午前中に通常の授業を受け、午後は希望する生徒が大会を観戦できることになっている。
朝から一緒に見られないのは少し残念だけれど、午後には合流できる。それまで、リオンの分もしっかり応援しておこう。
「ノア兄様にも、頑張っていただかないと」
「そうだね。午後まで勝ち進んでくれたら、リオンも応援できるね!」
私が頷くと、リオンは楽しそうに目を細めた。
「ええ。ぜひ、お伝えしておいてください」
「うん!」
中等部へ向かう道の分かれ目でリオンと別れ、私は会場へ歩き出した。
* * *
「セレティア様!」
会場の入り口近くで、リリアが手を振っていた。その隣には、ローゼリア様もいる。
「おはようございます!」
「おはよう、リリアさん。ローゼリア様も」
「ごきげんよう。今日は、ずいぶん賑やかですわね」
三人で案内を確かめていると、近くにいた生徒たちの声が聞こえた。
「王国騎士団の方々、もういらしているのね」
「あちらの方が、審判を担当されるそうよ」
思わず顔を上げる。
会場の端で、数人の騎士が学園の先生と話していた。
その中に、見覚えのある姿があった。
……あ。
騎士服を着て、背筋を伸ばして立つ姿。先生の説明を聞き、短く頷く仕草。
「では、試合前に改めて確認を」
聞き慣れた声に、胸が弾む。
「ししょ……!」
慌てて口を閉じた。
……危ないーーー!!
ここ、学園!しかも、お仕事中!
私は一度息を吸い、姿勢を正した。
「……アルヴィン様!」
声に気づいた彼が、こちらを向く。
目が合った途端、アルヴィン様がわずかに目を見開いた。
何かを言いかけた唇が止まる。その視線が、私の顔に留まった。
……あれ?もしかして、声が大きすぎた?
心配になりかけたところで、彼の表情がふっと和らいだ。
「……セレティア様」
聞き慣れた呼び方に、頬が緩む。
来てた。本当に、来てくれたんだ!
嬉しくて、つい足が前へ出そうになった。けれど、まだお話の途中かもしれない。
その場で待っていると、アルヴィン様が先生へ何かを告げ、こちらへ歩いてきた。
「おはようございます」
「おはようございます!今日は、審判をなさるんですか?」
「ええ。騎士団から、運営に協力することになりました」
近くで見ると、騎士服の留め具が朝の光を受けて輝いていた。腰には剣があり、立っているだけでも自然と目を引く。
……そっか。今日は、私の師匠としてではなく、王国騎士としていらしているんだ。
「学園生活は、いかがですか?」
「楽しいです!お友達もできましたし、今日は大会の観戦も楽しみにしていて」
私が二人を振り返ると、リリアとローゼリア様が丁寧に挨拶をした。アルヴィン様も礼を返す。
「セレティア様、お知り合いでしたのね」
ローゼリア様の問いに、私は頷いた。
「はい。以前、お世話になったことがあるんです」
剣を教わったことまで、ここで話す必要はない。
……うん。ちゃんと、ご挨拶できてる。
さっきの「ししょ」は、たぶん聞こえていないはず!
そう思って顔を戻すと、アルヴィン様が私を見ていた。
その口元が、わずかに緩む。
……あっ。これは、聞こえていた顔では!?
* * *
「アルヴィン卿」
先生に呼ばれ、アルヴィン様が振り向いた。
「少し、確認をお願いできますか」
「承知しました」
私たちへ向き直り、軽く頭を下げる。
「失礼します。また、あとで」
「はい。お仕事、頑張ってください」
見送ろうとした、そのときだった。
荷物を運んでいた生徒が、会場から出てきた人を避けようとして足を止めた。
抱えていた木箱が傾く。
「あっ」
布包みが滑りかけた瞬間、アルヴィン様が一歩踏み出した。
片手で箱の底を支え、もう片方の手で荷物を押さえる。
「大丈夫です。ゆっくり下ろしてください」
近くの台へ箱を置くまで支えてから、アルヴィン様が手を離した。
「お怪我は?」
「ありません。ありがとうございます!」
「それならよかった。人が多いので、運ぶときは二人で」
駆け寄った別の生徒が箱の反対側へ手をかける。それを見届けて、彼は先生のところへ戻っていった。
……速かった。
私が「あっ」と言っている間に、もう支えていた!
「頼もしい方ですね」
リリアが、小さく呟く。
「ええ。周りをよく見ていらっしゃいますわ」
ローゼリア様も頷いた。
……そうなの。師匠って、格好いいんだよね。
小さい頃から知っていたはずなのに、騎士服で人の輪へ戻っていく背中を、私はもう少しだけ目で追っていた。
* * *
観客席の場所を確認したあと、リリアとローゼリア様は飲み物を見に行った。
私は入り口近くに戻り、掲示された予選の組み合わせを確かめる。
ノアの名前は、すぐに見つかった。
……よし。この試合なら、ここから近いね!
「ノア様の試合ですか?」
声に顔を上げると、確認を終えたらしいアルヴィン様が立っていた。
「はい。応援に来たんです」
「彼の試合は、私も楽しみにしています」
「ノア、ずっと頑張っていますものね」
私が笑うと、アルヴィン様も頷いた。
人の流れから少し脇へ寄ると、周りの声が遠くなる。
「リオン様は?」
「午前中は授業です。午後には来られると思います」
「では、あとでご挨拶できそうですね」
「はい。きっと喜びます!」
答えてから、私は少しだけ声を落とした。
「……ししょーがいらして、嬉しいです」
アルヴィン様が、私を見る。
……あ。つい、言っちゃった。
慌てて言い直そうとしたけれど、その前に彼が笑った。
「先ほども、そう呼びかけていましたね」
「……聞こえていたんですか?」
「ええ」
……やっぱりーーー!!
頬が熱くなる。
「お仕事中なのに、すみません。ちゃんと呼ぼうと思っていたんですけど」
「呼び直したのは、私に気を遣ってくださったからでしょう?」
私は、小さく頷いた。
「お話の途中でしたし、ここではアルヴィン様とお呼びした方がいいかと思って」
「ありがとうございます」
穏やかに返されて、ほっとする。
「ただ、声を聞いて、すぐにわかりましたよ」
「……私だって?」
「ええ」
アルヴィン様の目元が和らいだ。
「変わらない呼び方だったので」
……うう。私だけ、小さい頃に戻っちゃったみたいじゃない!
「私も、少しは大人になったつもりなんですけど」
「ええ。わかっています」
思っていたより静かな返事に、顔を上げた。
アルヴィン様は私をまっすぐ見て、柔らかく微笑んだ。
「ですから、最初は少し驚きました」
「……そうなんですか?」
何に驚いたのか、もう少し聞きたかった。
でも、その前に、彼が続ける。
「会えて嬉しいのは、私も同じです」
「……え?」
「声をかけてくださって、嬉しかったですよ」
まっすぐ向けられた言葉に、胸がきゅっとした。
さっきまで、あんなに凛々しい騎士のお顔だったのに。今は、私に向かって優しく笑っている。
「……私も、お会いできてよかったです」
ようやく答えると、アルヴィン様の笑みが少し深くなった。
会場から、出場者を呼ぶ声が響く。
彼はそちらへ目を向け、もう一度私へ頷いた。
「では、また」
「はい。試合、楽しみにしています!」
背中を見送りながら、私はそっと頬に触れた。
……もう。会えたら嬉しいな、とは思っていたけれど。
こんなふうに言ってもらえるなんて、聞いてない!
「セレティア様、お待たせしました!」
リリアたちの声に、慌てて手を下ろす。
「ううん! 私もちょうど、確認が終わったところ!」
差し出された飲み物を受け取り、三人で観客席へ向かう。
大会は、まだ始まってもいない。
なのに、私の胸は、もう忙しくなっていた。




