弟は噂より、一枚上手!?
その日の放課後。
リオンとの待ち合わせ場所へ向かう途中、私は中庭の向こうに弟の姿を見つけた。
「あっ、リオン!」
声をかけようとして、足を止める。
リオンは、数人の高等部の生徒たちと話していた。手にしているのは、魔法の術式が描かれた紙らしい。
「では、こちらの式を変えると?」
「魔力の流れが安定すると思います。ただ、出力を上げるなら、こちらも調整した方がいいですね」
リオンが紙の一部を指で示すと、隣の生徒が感心したように頷いた。
……おおっ。うちの弟、なんだかすごく先生っぽい!
リオンは中等部の生徒だけれど、魔法の実力を認められ、特別に高等部の授業にも参加している。
家では姉様、姉様と甘えてくれるのに、学園ではこんなに頼られているんだなぁ。
「ありがとう。助かったよ」
「いえ。僕も勉強になりますので」
落ち着いた声で答える姿に、思わず頬が緩んだ。
ふふ。格好いいじゃない、リオン!
そのとき、弟がこちらを見た。
「……姉様」
さっきまでのきりっとした表情が、ぱっと柔らかくなる。
「失礼します。姉が迎えに来ましたので」
……ふふ。私を見つけた途端、嬉しそうな顔になっちゃって。
さっきまであんなに格好よかったのに、やっぱり可愛いなぁ。
生徒たちに丁寧に一礼して、リオンがこちらへ歩いてくる。
「姉様、お待たせしました」
「ううん!私も今来たところ。お話の途中だったんじゃない?」
「もう終わりましたから」
そう言って、リオンは嬉しそうに微笑んだ。
「……姉様が待っていてくださったので、少し急いでしまいました」
もう。そんなこと言われたら、嬉しくなっちゃうじゃない!
「さっき、すごく頼られてたね」
「授業で扱った術式について、少し」
「少しって……私には、さっぱりわからなかったよ」
私が笑うと、リオンもくすっと笑った。
「姉様に見ていただけるとわかっていたら、もう少し格好をつけたのですが」
「十分、格好よかったよ?」
リオンが一瞬、目を丸くした。それから、口元を緩める。
「……では、今日も撫でていただけますか?」
「えっ。ここで?」
「少しだけ」
弟が、そっと身を屈める。
……うう。さっきまで、あんなに頼もしかったのに!
私は周囲を確認してから、さらさらの白金色の髪を軽く撫でた。
「今日も頑張ったね」
「はい」
目を細めたリオンの顔は、いつもの可愛い弟だった。
* * *
「姉様。昨日の噂、今日も少し聞かれました」
回廊へ向かって歩き始めると、リオンが何気ない調子で言った。
「……ノアとの?」
「はい。ご婚約が決まったのかと」
やっぱり、まだ続いてる!
昨日の帰りにも、馬車の中でリオンに話したのだ。婚約していないのに、そんな噂になっていると訴えたら、弟はにこにこしながら聞いてくれた。
まさか、今日も尋ねられていたなんて。
「婚約はしていないって、伝えてくれた?」
「もちろんです。姉様からも伺いましたから」
「ありがとう、リオン」
ほっとすると、リオンが少し首を傾げた。
「そんなお話があれば、僕にも先に教えていただけますよね?」
「もちろんだよ!大切な家族なんだもの」
リオンは満足そうに微笑んだ。
「……はい。安心しました」
そのとき、背後から聞き慣れた声がした。
「ティア。リオン」
振り向くと、ノアがこちらへ歩いてくるところだった。
「あっ、ノア!」
「二人で帰るところ?」
「うん!ノアも?」
「途中まで一緒に行こうと思って」
ノアが私の隣に並ぶ。
すると、リオンがにっこり笑った。
「ノア兄様。今日は、手は繋がれないんですか?」
「…………」
ノアが黙った。
……リオン!?何をさらっと聞いてるの!?
「今日は繋がないよ!」
私が慌てて答えると、リオンは素直に頷いた。
「そうですか」
「昨日、あんなに噂になったんだもの」
「ええ。姉様がお困りだったと伺いましたから」
ノアが、少しだけ弟を見る。
「……リオン」
「はい?」
いつもの可愛い笑顔だ。
……あれ?ノアだけ、ちょっと困った顔になってない?
* * *
三人で回廊を歩いていると、前方から来た令嬢たちが、そっとこちらを見た。
「今日は、弟君もご一緒なのね」
「仲のよろしいご姉弟だと伺っているわ」
……ふぅ。今日は婚約のお話ではなさそう。
ほっとしたところで、リオンが私の鞄へ手を伸ばした。
「姉様、お持ちします」
「大丈夫だよ。そんなに重くないもの」
「僕が持ちたいんです」
そう言って、ごく自然に鞄を受け取る。
……あら。こういうところも、成長したなぁ。
「ありがとう、リオン」
「どういたしまして」
リオンは満足そうに笑った。
「ティア、それなら僕も持てたのに」
ノアが言うと、リオンは穏やかに答えた。
「今日は、僕にお任せください。姉様と一緒に帰るのを楽しみにしていたんです」
……ふふ。そんなに楽しみにしてくれていたんだ。
「私も、リオンと帰れて嬉しいよ」
すると、弟の笑顔がますます深くなった。
そのまま歩きながら、リオンが少し声を落とす。
「姉様。今日の魔法の授業で、先生に褒めていただいたんです」
「本当?」
「はい。新しい術式の組み方を試してみたら、うまくいって」
「すごい!どんな術式?」
尋ねると、リオンは嬉しそうに話し始めた。
専門的なことは難しいけれど、弟が楽しそうなのはよくわかる。新しい方法を見つけるまで、何度も試したらしい。
「いっぱい頑張ったんだね」
「はい。でも、姉様に聞いていただけたので、もう十分です」
そう言って微笑まれて、胸がじんわり温かくなった。
「また聞かせてね。難しいところは、ゆっくり教えてくれると嬉しいな」
「もちろんです」
隣では、ノアも話に耳を傾けていた。
「それ、実技でも使えそう?」
「まだ調整は必要ですが。成功したら、お見せします」
「うん。楽しみにしてる」
……おおっ。二人とも真剣だ。
リオンの魔法も、ノアの剣術も、私の知らないところでどんどん上達しているんだろうな。
私も、薬学の勉強を頑張ろう!
* * *
馬車の待つ場所へ近づいたところで、私は鞄を受け取ろうとした。
「リオン、ありがとう。もう大丈夫だよ」
「馬車までお持ちします」
「でも――」
言いかけて、制服の袖に小さな葉がついていることに気づいた。
「あれ?どこでついたんだろう」
中庭のベンチかな?
葉を払っていると、後ろから二人の声が聞こえた。
「……リオン。楽しんでるよね」
「姉様と一緒ですから」
「そういう意味じゃなくて」
「ふふ。存じています」
……ん?
顔を上げると、リオンは何事もなかったように微笑んでいた。ノアは、少しだけ眉を下げている。
「二人とも、何のお話?」
「帰り道のことです、姉様」
「……まあ、間違ってはいないね」
やっぱり仲良しだ。私の知らないところでも、いろいろ話しているんだろうな。
「ノア、また明日ね!」
「うん。また明日、ティア」
ノアに手を振り、馬車の踏み台へ足をかける。すると、リオンがすぐに手を差し出してくれた。
「姉様、どうぞ」
「ありがとう!」
その手を借りて、馬車へ乗り込む。
リオンは私の鞄を御者に渡すため、少しだけ外に残った。私は座席に腰を下ろし、窓から見える空を眺める。
今日も、うちの弟は頼もしくて可愛い!
ほどなく乗り込んできたリオンへ、私は笑いかけた。
「今日はたくさんお話しできて嬉しかったよ」
「僕もです」
向かいに座ったリオンが、少しだけ身を乗り出す。
「では、帰ってからも、少しご一緒していただけますか?」
「もちろん! お茶にしようか」
「はい。楽しみです」
嬉しそうな弟を見て、私も頬が緩む。
……うん。学園では頼られる魔法の天才でも、私の前では、やっぱり可愛いリオンだ。
* * *
遠ざかる馬車を見送りながら、ノアは小さく息をついた。
ティアが乗り込んだあと、鞄を御者へ渡したリオンは、ノアのそばへ戻ってきた。
そして、彼女には聞こえない声で囁いたのだ。
――姉様と手を繋いでも、僕なら噂になりませんから。
そのときの笑顔は、ティアに甘えていたときと少しも変わらなかった。
ノアは、馬車の去った道をもう一度見る。
「……本当に、手強いな」




