幼馴染です!……それで通じませんか?
午後の授業が終わり、私は机の上の教科書を片づけていた。
今日の授業も面白かった。帰ったら、忘れないうちにノートを見直しておこう。
……うん!学園生活、なかなか順調じゃない?
そう思っていた、そのときだった。
「セレティア様。少し、よろしいでしょうか?」
顔を上げると、同じ教室の令嬢たちが立っていた。何度かお話ししたことのある、親切な方々だ。
「はい!どうかしましたか?」
私が微笑むと、三人はなぜか顔を見合わせた。
「あの……お昼に、ノア様とご一緒だったと伺って」
「ええ。リリアさんとローゼリア様も一緒だったんです」
もしかして、お昼のお誘いだったのかな?それなら、今度はご一緒できるといいなぁ。
けれど、令嬢たちは少しだけ身を寄せてきた。
「その、食堂へ向かわれるときに……」
「ノア様と、手を繋いでいらしたというのは、本当ですか?」
……あ。そっちのお話でしたか!
「はい。でも、食堂に入る前には離しましたよ?」
すると、一人の令嬢が小さく息を呑んだ。
……えっ? そこ、大事なところじゃなかった?
「では、やはり……」
「ご婚約がお決まりになったのでしょうか?」
「していません!」
思わず即答してしまった。
令嬢たちが目を丸くする。私は慌てて教科書を机に置き、少し声を落とした。
「ノアとは、昔から仲のいい幼馴染なんです」
「まあ、そうでしたの?」
「はい。小さい頃から、よく一緒に過ごしていたので」
三人は、ほっとしたように顔を見合わせた。
……よかった。ちゃんと説明すれば、わかってもらえるよね!
ところが、一人の令嬢が遠慮がちに口を開いた。
「けれど、ノア様から手を差し出されたと伺いましたわ」
……そこまで知られてるの!?
ちょっと待って。誰がそんなに詳しく見ていたの!?
「ティア」
聞き慣れた声に顔を上げると、ノアがこちらへ歩いてきた。令嬢たちが、さっと背筋を伸ばす。
「ノア様。ごきげんよう」
「こんにちは」
ノアは穏やかに挨拶を返して、私を見た。
「ティア、まだ帰らないの?」
「あ、うん!今、少しお話ししていたの」
「何の話?」
「えっと……私たちが婚約したっていう噂があるみたいで」
口にすると、なんだか余計に恥ずかしい。けれどノアは、一度瞬きをしただけだった。
「……なるほど」
「だから、幼馴染なんですって説明していたところなの」
ノアが私を見る。ほんの少しだけ間があって、それから小さく笑った。
「そうだね。婚約はしていません」
令嬢たちは、ようやく安心したように頷いた。
「失礼いたしました。あまりに仲睦まじいご様子だったと伺ったものですから」
「いえ。気にしないでください」
……さすがノア。落ち着いてるなぁ。
私はほっとして、鞄を手に取った。
「ティア、行こうか」
「うん!」
令嬢たちに挨拶をして、ノアと一緒に教室を出る。
これで誤解も解けたし、もう大丈夫!
……と、思ったんだけど。
* * *
廊下へ出た途端、あちこちから視線が向けられた。
「ほら、ノア様と……」
「本当に、いつもご一緒なのね」
……ん?今、私たちの話をしていた?
そっとノアを見る。ノアは気にする様子もなく、私の隣を歩いていた。
すると、向こうから来た男子生徒たちまで、こちらを見て足を緩めた。
「あれが、噂の……」
「婚約は違うらしいぞ」
「そうなのか?」
最後の一人が、なぜか少し嬉しそうな顔をする。
……えっ?何がそんなに嬉しいの?
「ねえ、ノア」
「ん?」
「もしかして、さっきの噂って……あの方たちだけじゃないのかな」
「そうみたいだね」
そうみたいだね、じゃなくて!
なんだか、ものすごく広まってませんか!?
お昼に手を繋いだだけなのに。まだ、午後の授業が終わったばかりなのに!
……噂って、足が速すぎる!
「セレティア様!」
前方から声がして、リリアが手を振った。隣には、ローゼリア様もいる。
「あっ、リリアさん!ローゼリア様!」
二人のそばへ行くと、リリアが私とノアを見比べた。
「やっぱり、ご一緒だったんですね」
「うん。それより、二人とも聞いて! なんだか私たちが婚約したって……」
「伺いましたわ」
ローゼリア様が、静かに頷いた。
「えっ」
「わたくしたちも、何人かの方に尋ねられましたもの」
「私もです! お昼にご一緒していたから、何か知っているかって……」
……ひええ。二人にまで聞きに行くなんて!
学園の皆様、そんなに気になるお話なんですか!?
「婚約はしていないと、お伝えしておきましたわ」
「ありがとうございます……!」
思わず頭を下げると、ローゼリア様が小さく笑った。
「ただ、皆様が気にされるのも、無理はありませんわね」
「手を繋いでいたから、ですか?」
「それもありますけれど」
ローゼリア様の視線が、私の髪に向いた。
「その髪飾りも、ノア様からの贈り物でしょう?」
私はそっと髪に触れた。指先に、小さな銀色の飾りが当たる。
「はい。お気に入りなんです」
「ええ。いつも大切につけていらっしゃいますものね」
……あれ?今の説明、もしかして逆効果だった?
「それに、お二人でいらっしゃることも多いですわ」
「共通授業が一緒なので……」
「ええ。そうですわね」
ローゼリア様は、なぜか楽しそうだ。
……もう!さっきから、何を言っても笑われている気がする!
「でも、安心された方もいらっしゃるみたいですよ」
リリアが、少し声を落とした。
「安心?」
「はい。セレティア様に憧れていらっしゃる方が……」
「……私に?」
思わず聞き返すと、リリアはこくりと頷いた。
「ご婚約されたと聞いて、残念がっていらしたので」
……えっ!?
ノアじゃなくて、私!?
ノアが人気者なのは知っている。でも、私の婚約で残念がる人がいるなんて、そんなこと考えたこともなかった。
「……そう、なんだ」
どう答えたらいいのかわからず、そっと隣を見る。
ノアはちらりと廊下の先へ目を向けてから、私を見た。
「ティア、困ってる?」
「うん。びっくりしてる。していない婚約のお話が広まるのは、ちょっと困るかな」
「そうだね。それは、きちんと訂正しよう」
すぐに答えてくれたので、ほっとした。
「ありがとう、ノア」
「でも、ティア」
「ん?」
ノアが、少しだけ首を傾げる。
「僕と仲がいいのは、本当でしょう?」
「……もちろんだよ?」
そこまで否定するつもりなんて、ない。ノアは、昔から私の大切な人なんだから。
すると、ノアがふっと笑った。
「じゃあ、それは訂正しなくていいね」
……っ。
青い瞳が、まっすぐ私を見ている。
お昼にも、こんなふうに見つめられた。ティアの隣がいいって、当たり前みたいに言われて。
「……うん」
なんだか、さっきより小さな声になってしまった。
ノアは嬉しそうに目を細める。向かいでは、リリアが口元を押さえていた。ローゼリア様も、そっと顔を逸らしている。
……あの。二人とも、笑ってませんか?
* * *
二人と別れて、ノアと回廊を歩く。
リオンとの待ち合わせ場所は、もう少し先だ。
「でも、次からは気をつけようね」
「うん。こんなに話が広がるとは思わなかった。ごめんね」
「ううん。私も、気づかずに手を繋いでいたもの」
ノアだけが悪いわけじゃない。それに、手を離したあと、少し落ち着かなかったのも本当だ。
……きっと、小さい頃を思い出して、懐かしくなっただけ。
そう。そういうことにしておこう!
私は顔を上げた。
よし!明日からは、もう少し気をつければいいよね。
ところが、回廊の先にいた生徒が私たちを見つけ、隣の友人へ顔を寄せた。
「ほら、やっぱりご一緒よ」
「仲がよろしいのは、本当なのね」
……聞こえてます。
私は、そっと自分の手を見た。
繋いでいない。今は、ちゃんと離している。
なのに、並んで歩くだけで噂になるなんて!
「……ノア」
「ん?」
「噂って、どうしたら落ち着くのかな」
ノアは少し困ったように笑った。
「それは……僕にも、すぐにはわからないかな」
……ですよね!
私は小さく息をついた。
目立たず、騒がず、穏やかな学園生活。そう決めたはずなのに。
幼馴染と並んで歩くだけで、こんなに大変だなんて聞いてない!
……もう。
明日は、何も起きませんように!




