王太子殿下は、幼馴染をからかいたい!
週末のお茶会から数日。
学園生活にも、少しずつ慣れてきた。
授業は楽しいし、リリアやローゼリア様とも仲良くなれたし、今のところ大きな問題もない。
……うん。順調、順調!
そう思っていた、ある日の昼休み。
「ティア」
教室を出たところで、聞き慣れた声がした。
「あっ、ノア!」
振り返ると、ノアが廊下に立っていた。
「これから昼食?」
「うん! リリアさんたちと食べる予定だよ」
「そう。じゃあ、途中まで一緒に行こうか」
ノアが自然に私の隣へ並ぶ。
ふふ。こうしていると、昔に戻ったみたい。
「ノア、最近忙しそうだね」
「少しね。学園が始まったばかりだから」
「そっか。無理しないでね?」
「……ありがとう」
ノアが、ふっと目を細めた。
「相変わらずだな、ノア」
突然、背後から声がした。
「……っ」
隣のノアが、ぴたりと足を止める。
振り返ると、そこには一人の青年が立っていた。
整った顔立ちに、落ち着いた微笑み。制服を着ているのに、どこか周囲とは違う雰囲気がある。
「久しぶりだな。ずいぶん楽しそうじゃないか」
青年が、面白そうにノアを見つめる。
「……殿下」
ノアが小さく息をついた。
……殿下?
ちょっと待って!
この方って、まさか……!
私は慌てて姿勢を正し、深く礼をした。
「そうかしこまらなくていい。顔を上げてくれ」
穏やかな声に、そっと顔を上げる。
「久しぶりだね、セレティア嬢。覚えているかな?」
……えっ?
「以前、王宮のお茶会でお会いしたことがあるんだが」
……お茶会?
あっ!!
そういえば、昔、お父様に連れられて王宮のお茶会に参加したことがあったような……!
「ご無沙汰しております、ユリウス殿下。セレティア・アストレイアでございます」
「ふっ。思い出してもらえたようで何よりだ」
……よかった!
危うく、王太子殿下のことを忘れていたなんて失礼をするところだった!
ユリウス・フォン・アルセイン殿下。
この国の王太子であり、乙女ゲームの攻略対象の一人。
そして、学園の生徒会長でもある。
……王太子で生徒会長って、いかにも攻略対象らしい肩書きだよね!
しかも、ローゼリア様が婚約者候補に挙がっている、そのお相手!
……ついに来たーーー!!
いやいや、喜んでる場合じゃない!
攻略対象とは、なるべく距離を置く予定だったのに!
「君が学園に入学したと聞いてね。いつか挨拶をと思っていたんだ」
「そ、そうだったのですね!」
王太子殿下に気にかけてもらえるなんて、光栄だけど……緊張する!
すると、ユリウス殿下が隣のノアをちらりと見た。
「それにしても、ノア。相変わらずだな」
「……殿下。余計なことは言わないでください」
「おや。私はまだ何も言っていないが?」
「その顔がすでに余計なんです」
……ええっ!?
王太子殿下に向かって、その顔が余計って……!
ところが、ユリウス殿下は怒るどころか、楽しそうに笑った。
「ははっ! 相変わらず口が悪いな」
「殿下が相手だからです」
「それは光栄だ」
ノアって、殿下とこんな話し方するの!?
いつも穏やかで、誰に対しても丁寧なのに。
なんだか、新鮮!
「ふふっ」
思わず笑ってしまった。
「……ティア?」
「あっ、ごめん! ノアと殿下って、仲良しなんだね!」
すると、ノアが微妙な顔をした。
「……仲良し?」
「おや、違うのか? 私は仲がいいと思っていたんだが」
ユリウス殿下が、わざとらしく首を傾げる。
「……殿下」
「そう睨むな。セレティア嬢が驚くだろう?」
ふふ。ノアがこんなに困ってるところ、初めて見たかも。
「セレティア嬢」
ユリウス殿下が私に向き直ると、先ほどまでのいたずらっぽい表情を和らげた。
「学園生活には慣れたかな?」
「は、はい! おかげさまで、楽しく過ごしております」
「それは何よりだ。何か困ったことがあれば、遠慮なく相談するといい」
……おお!
さすが王太子殿下!
やっぱり、ちゃんと王子様なんだ!
「ありがとうございます!」
私が礼をすると、ユリウス殿下は穏やかに頷いた。
けれど、次の瞬間。
「ところで、ノア」
「……何でしょうか」
「昔のお茶会でも、君はセレティア嬢のことになると――」
「殿下」
ノアの声が、少し低くなった。
ユリウス殿下は一瞬だけ目を丸くし、それから楽しそうに笑う。
「おっと。これは失礼」
「……本当に、お願いします」
……えっ?
昔のお茶会で、何かあったっけ?
もしかして、私がノアに迷惑をかけていた話!?
や、やめてください!
そんな恥ずかしい話、王太子殿下から聞きたくありません!
「ノア、怒ってる?」
そっと顔を覗き込むと、ノアは一瞬だけ目を見開いた。
「……怒ってないよ」
さっきまでとは違う、柔らかな声。
「ただ……君が困るようなことは、聞かなくていいから」
……あ。
ノア、私が昔の話をされて困ると思って、止めてくれたのかな?
「ありがとう、ノア!」
そう言って笑うと、ノアは少しだけ困ったように微笑んだ。
「……どういたしまして」
「……なるほど」
ユリウス殿下が、小さく呟いた。
「思っていた以上だな」
「殿下」
「ははっ。わかった、もう言わない」
……何が?
私だけ、話についていけてない気がするんですけど!?
そのとき、廊下の向こうから声がした。
「セレティア様!」
振り向くと、リリアとローゼリア様が歩いてくるところだった。
「あっ、リリアさん! ローゼリア様!」
ローゼリア様はユリウス殿下に気づくと、すっと背筋を伸ばし、優雅に礼をした。
隣のリリアも慌てて頭を下げる。
「顔を上げてくれ」
殿下の穏やかな声を受けて、二人が顔を上げた。
「ごきげんよう、殿下」
「ああ、ローゼリア嬢。久しいな」
「お変わりなくお過ごしのご様子、何よりでございます」
「君も元気そうで安心したよ」
ローゼリア様は落ち着いた微笑みを返しているけれど、いつもより少しだけ背筋が伸びている気がする。
……おお。
なんだか、急に貴族らしい空気になった!
「ノアの顔を見かけたのでな。少し話していたところだ」
……少し?
結構、からかっていた気がするけど。
「それに、セレティア嬢にも会えた。なかなか興味深い時間だったよ」
……興味深い!?
私、何か変なこと言った!?
「殿下。そろそろお戻りにならなくてよろしいのですか?」
ノアが、すかさず口を開いた。
「おや。追い払うつもりか?」
「昼休みも限られていますので」
「ふっ。そういうことにしておこう」
ユリウス殿下は楽しそうに笑うと、私たちに向き直った。
「では、私はこれで。セレティア嬢、また話そう」
「は、はい!」
……また!?
いや、きっと社交辞令だよね!
「ノア」
去り際、ユリウス殿下が足を止めた。
「そう警戒するな。私はお前の味方だぞ?」
「……それなら、もう少し静かにしていてください」
「ははっ! 善処しよう」
そう言い残して、ユリウス殿下は去っていった。
……すごい。
王太子殿下って、もっと近寄りがたい方だと思ってた。
でも、ノアと話しているときは、なんだか普通のお兄さんみたいだったな。
「セレティア様」
リリアが、目を輝かせている。
「ノア様と王太子殿下って、あんなに親しいんですね!」
「ね! 私もびっくりしちゃった!」
ローゼリア様も、小さく微笑んだ。
「お二人は幼い頃からのお付き合いですもの。殿下も、ノア様には気を許していらっしゃるのでしょうね」
……なるほど!
やっぱり、長い付き合いっていいなぁ。
「二人とも、先に食堂へ行っててね! すぐ追いつくから!」
「はい! お席を探しておきますね」
リリアとローゼリア様は頷いて、食堂へ向かった。
「ノアも一緒に行く?」
「……その前に、少しだけ話してもいい?」
……ん?
「もちろん!」
廊下の窓から、柔らかな日差しが差し込んでいる。
ノアは少し黙ってから、私を見た。
「……ティア」
「なあに?」
「さっき、殿下と話していて……困らなかった?」
……あれ?
もしかして、心配してくれてる?
「ううん! びっくりはしたけど、楽しかったよ!」
「……そう」
ノアが、ほっとしたように息をついた。
「それにね、ノアの知らない顔が見られて嬉しかった!」
「……え?」
「だって、殿下と話してるノア、いつもとちょっと違ったんだもん!」
ノアが目を瞬かせた。
「……変だった?」
「ううん! なんだか、もっと仲良くなれた気がした!」
ノアが、ふっと息を漏らす。
「……君は本当に」
そこで言葉を止めた。
「ん?」
「……いや。何でもない」
そう言って、少しだけ笑う。
……あれ?
なんだろう。今の笑顔、ちょっと優しい。
「ティア」
ノアが、静かに私の名前を呼んだ。
「僕は、君の知らない僕を……これからも、たくさん見せられたらいいと思ってる」
思わず顔を上げる。
ノアは、まっすぐ私を見ていた。
「昔から一緒にいるけど、僕たち、もう子どもじゃないから」
……あ。
そうだよね。
ノアも私も、もう十六歳。
小さい頃とは、少しずつ変わっている。
「うん! 私も、もっとノアのこと知りたい!」
そう答えると、ノアは一瞬だけ目を見開いた。
それから、嬉しそうに目を細める。
「……そっか」
そして、そっと手を差し出した。
「じゃあ、昼食に行こうか。みんなを待たせてしまうから」
「うん!」
私は、その手を取った。
……あれ?
そういえば、ノアと手を繋ぐのって、久しぶりかも。
昔は当たり前だったのに。
今は、繋いだ手が妙に気になってしまう。
……なんでだろう?
隣を見ると、ノアが穏やかに微笑んでいた。
その笑顔を見た瞬間、なぜか胸が小さく跳ねる。
……あれ?
今の、何?
でも、ノアの手は昔と変わらず温かくて。
私は少しだけ不思議に思いながら、その手を握り返した。
すると、ノアもほんの少しだけ、私の手を握り返してくれる。
……ふふ。
やっぱり、ノアと一緒にいると落ち着くなぁ。
私はそんなことを思いながら、ノアと並んで食堂へ向かった。
――その手を離すタイミングなんて、少しも考えないまま。




