悪役令嬢との出会い
高等部の校舎は、想像していた以上に立派だった。
「……すごい」
思わず天井を見上げると、美しい装飾が目に飛び込んできた。
磨き上げられた床には朝の光が差し込み、広々とした廊下には制服姿の生徒たちが行き交っている。
「どう?気に入った?」
隣を歩くノアが、楽しそうに尋ねてくる。
「うん!想像してたよりずっと素敵!」
「それはよかった」
「でも……」
私は周囲をそっと見渡した。
……やっぱり、見られてる。
さっきから何度も視線を感じるのだ。
しかも、私だけじゃない。
隣のノアにも、かなりの視線が集まっている。
……そうよね。
ノアって、こんなに格好いいんだもの。
いや、昔から整った顔立ちだったけれど、十六歳になった今は、さらに目立つ存在になっている。
「ノアって、学園でも人気があるんだね」
「……急にどうしたの?」
「だって、みんなノアのこと見てるよ?」
「ティアも見られてるけどね」
「私は珍しいからでしょう?」
「……それだけじゃないと思うけど」
ノアが小さく笑う。
……ん?
どういう意味?
「ほら、教室はこっち」
「あ、うん!」
私は慌ててノアの後を追った。
* * *
教室に入ると、すでに多くの生徒たちが集まっていた。
窓際で談笑する令嬢たち。
友人同士で笑い合う男子生徒たち。
新しい学年への期待に満ちた、賑やかな空気。
……わあ。
なんだか、前世の入学式を思い出すなぁ。
「ティア、席はあそこみたいだよ」
「ありがとう、ノア」
案内された席に向かおうとした、そのときだった。
「ノア様!」
明るい声とともに、数人の令嬢がこちらへ近づいてきた。
「ごきげんよう。高等部でもご一緒できて嬉しいですわ」
「今年もどうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそ。よろしく」
ノアは慣れた様子で挨拶を返している。
……さすが公爵令息。
こういうところも、すっかり大人になったのね。
感心していると、一人の令嬢が私へ視線を向けた。
「あの……そちらの方は?」
「アストレイア侯爵家のセレティア嬢だよ」
ノアが自然に紹介してくれた。
「初めまして。セレティア・アストレイアと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
私は習ったとおりに微笑み、軽く礼をした。
すると、令嬢たちの表情がぱっと変わった。
「まあ!アストレイア侯爵家の!」
「初めてお目にかかりましたわ!」
「お噂はかねがね伺っておりました」
……ここでも噂になってるんだ。
私、そんなに珍しい存在だったのね……。
「本当にお綺麗な方ですのね」
「い、いえ。そんな……」
どうしよう。
褒められるのは嬉しいけど、こんなに注目されるとは思っていなかった。
すると、ノアが穏やかに口を開いた。
「ティアは今日が初めての登校なんだ。いろいろ教えてあげてくれると助かるよ」
「あら、もちろんですわ!」
令嬢たちが嬉しそうに頷く。
……ノア、助かった!
私はこっそりノアに目でお礼を伝えた。
すると、ノアは小さく微笑んでくれた。
……うん。
やっぱり、ノアがいてくれると心強い。
* * *
しばらくして、教室の入口付近がふいに静かになった。
……あれ?
それまで賑やかだった生徒たちが、自然と道を空けていく。
何事かと思って振り向くと、一人の令嬢が教室へ入ってきた。
艶やかな薔薇色の髪。
気品を感じさせる紫色の瞳。
背筋をすっと伸ばし、堂々と歩く姿は、まるで一枚の絵画のようだった。
……綺麗な人。
思わず見とれてしまう。
すると、近くにいた令嬢たちが小声で話し始めた。
「ローゼリア様ですわ」
「エーデルシュタイン公爵家のご令嬢……」
「ユリウス殿下の婚約者候補でいらっしゃるのよね」
……え?
今、なんて?
ローゼリア?
エーデルシュタイン?
私はもう一度、その令嬢を見つめた。
そして。
――思い出した。
ローゼリア・エーデルシュタイン。
前世で遊んだ乙女ゲームに登場する、王太子ユリウス殿下の婚約者候補。
そして……。
悪役令嬢。
……き、来たーーー!!
ついに来た!
乙女ゲームの主要人物!!
私は思わず背筋を伸ばした。
落ち着いて、私。
大丈夫。
今の私は、ゲームのヒロインじゃない。
そもそも、恋愛イベントに関わるつもりもない。
だから、余計なことをしなければ……。
「……そちらの方」
……ん?
凛とした声が聞こえた。
顔を上げると、先ほどの薔薇色の髪の令嬢が、こちらを見つめていた。
……え?
まさか。
「あなたが、アストレイア侯爵家のセレティア様?」
……私!?
「は、はい。セレティア・アストレイアと申します」
慌てて立ち上がり、礼をする。
すると、ローゼリア様は私をじっと見つめた。
……な、何でしょう?
何か失礼なこと、した?
「……そう」
短く答えた彼女は、少しだけ眉を寄せた。
「お噂は伺っておりますわ」
……噂。
また噂!?
「長く社交界から遠ざかっていらしたそうですわね」
「はい。これまでは、屋敷で学んでおりましたので……」
「そうですか」
ローゼリア様は静かに頷いた。
そして、私の隣に立つノアへ視線を向けた。
「ノア様。ごきげんよう」
「おはよう、ローゼリア嬢」
「高等部でも、どうぞよろしくお願いいたします」
「こちらこそ」
……あれ?
なんだか、普通の挨拶だ。
もっとこう、悪役令嬢らしい高圧的な感じを想像していたんだけど……。
すると、ローゼリア様が再び私を見た。
その視線が、私の周囲に集まっていた令嬢たちへ、ちらりと向けられる。
「セレティア様」
「は、はい!」
「学園では、家名だけでなく、ご自身の振る舞いも大切ですわ」
「はい」
「注目を集める立場だからこそ、何気ない言動にもお気をつけくださいませ」
そう言うと、ローゼリア様は優雅に一礼し、自分の席へ向かっていった。
……。
……えっと。
今のって。
注意された……のかな?
「ティア、大丈夫?」
隣からノアが声をかけてきた。
「う、うん。大丈夫だけど……」
私はローゼリア様の背中をそっと見つめた。
確かに、少し厳しそうな人だった。
でも、言っていることは間違っていない。
……むしろ、私が困らないように忠告してくれた?
「ローゼリア嬢は、責任感の強い人だから」
ノアが小さな声で教えてくれた。
「そうなの?」
「ああ。少し言い方が厳しく聞こえることもあるけどね」
……なるほど。
私はもう一度、ローゼリア様を見た。
薔薇色の髪が、窓から差し込む光を受けて柔らかく輝いている。
……それにしても。
綺麗な人だなぁ。
あんな美人が悪役令嬢なんて、乙女ゲームって本当に贅沢よね。
「……ティア?」
「ん?」
「何を考えてるの?」
「ローゼリア様って、すごく綺麗な人だなぁって」
「……そう」
ノアが一瞬、何とも言えない顔をした。
……あれ?
「どうしたの?」
「いや。ティアらしいなと思って」
「そう?」
私は首を傾げた。
……だって、綺麗なものは綺麗なんだもの!
* * *
やがて、始業を知らせる鐘が鳴り響いた。
生徒たちがそれぞれの席へ戻っていく。
私も慌てて腰を下ろした。
……ふう。
まだ授業も始まっていないのに、なんだかすごく疲れた気がする。
深窓の令嬢と呼ばれていることを知り、ノアと一緒にいるだけで注目され、ついにはゲームの悪役令嬢まで登場した。
……初日から、盛りだくさんすぎませんか!?
私は小さく息をつき、教室の前方へ視線を向けた。
ローゼリア様は、背筋を伸ばして静かに座っている。
ゲームでは、悪役令嬢と呼ばれていた人。
でも――。
本当に、悪い人なのかな?
少なくとも、今の私にはそうは見えなかった。




