深窓の令嬢、学園へ!
「ティア。本当に、学園へ通うんだな……」
朝食の席で、パパが今日何度目かもわからないため息をついた。
「もう、パパ。その話は何度もしたでしょう?」
「家庭教師による教育で、十分だと思うのだが……」
「でも、これからは同年代の方々との交流も必要ですもの」
私がそう答えると、パパは困ったように眉を下げた。
十六歳になった私は、今日から王立学園の高等部に通うことになっている。
本来なら、中等部から通う貴族の子女も多い。けれど私は、これまでずっと屋敷で家庭教師から学んできた。
学問も礼儀作法も、必要な教育は十分に受けている。
それでも、侯爵令嬢として生きていく以上、いつまでも社交の場を避け続けるわけにはいかない。
……というのが、今回の入学の理由だ。
「ノアくんもいる。リオンもいる。何かあれば、すぐに知らせるんだぞ」
「はい、パパ。心配してくれてありがとう」
「十六歳になっても、お前は私の大切な娘だからな」
真剣な顔で言うパパに、私は思わず笑ってしまった。
「ふふ。わかってるよ」
「あなたったら。ティアが困ってしまいますよ」
隣でママがくすくすと笑う。
四年前、前世の記憶を取り戻した私は、この家族の温かさに改めて気づいた。
そして今は、その幸せを当たり前だと思わず、大切にしていきたいと思っている。
「姉様、そろそろ支度をなさった方が」
「そうね。ありがとう、リオン」
向かいの席から声をかけてくれた弟は、十三歳になった。
白金色の髪に、アメジストのような紫の瞳。幼い頃から整っていた顔立ちは、年齢を重ねてますます綺麗になっている。
そして今日は、私たち姉弟にとって、初めて制服に袖を通した日でもある。
リオンは中等部、私は高等部。
二人そろって、今日が初めての登校なのだ。
「リオン、制服すごく似合ってる!」
「ありがとうございます。姉様も、とてもお綺麗です」
「本当? 初めて着るから、ちょっと落ち着かなくて」
「僕もです。でも、姉様と一緒なら心強いです」
そう言って微笑むリオンに、思わず頬が緩んだ。
「二人とも、本当によく似合っているわ」
ママが嬉しそうに目を細める。
「ありがとう、ママ!」
「……二人とも、屋敷で学び続けるという選択肢はないのか?」
「パパ! まだ言ってるの!?」
思わず声を上げると、食堂に笑い声が広がった。
* * *
「お嬢様、こちらはいかがでしょう?」
出発前、ミアが差し出してくれたのは、小さな銀色の髪飾りだった。
青い宝石が、朝の光を受けてきらりと輝く。
「あ、それ……」
「ノア様からいただいた、大切な髪飾りでしょう?」
「うん。ありがとう、ミア」
四年前、ノアと二人で街へ出かけた日に贈られたもの。
あれから何度も身につけているけれど、見るたびにあの日の約束を思い出す。
――四年後も、こうして一緒にいられたらいいね。
あの日、ノアはそう言ってくれた。
それからも何度も顔を合わせていたけれど、今日からは同じ学園に通うことになる。
……ふふ。約束、ちゃんと守れそうだね。
「本当に、お綺麗になられましたね」
髪飾りを留めながら、ミアがぽつりと呟いた。
「もう、ミアったら。毎日見てるでしょう?」
「毎日見ているからこそ、です」
鏡の中では、長く伸びた金色の髪が柔らかく揺れていた。
水色の瞳の奥には、光の加減で淡い金色がきらめいている。
四年前と比べれば、少しは大人っぽくなった……と思う。
でも、ミアはいつも褒めてくれるから、どこまで本気にしていいのかわからない。
「ありがとう、ミア。行ってくるね」
「はい。どうか、楽しい一日を」
部屋を出ると、廊下の向こうから銀灰色の猫が歩いてきた。
「ルゥ!」
「にゃあ」
抱き上げると、ルゥは当然のように私の腕に収まる。
「今日から学園なの。帰ってきたら、いっぱい遊ぼうね」
「……にゃ」
なぜか、ちょっと不満そうな声。
ふふ。寂しいのかな?
「大丈夫。ちゃんと帰ってくるからね」
額にそっと口づけると、ルゥは私の顔をじっと見つめた。
「いい子で待っててね」
「……にゃあ」
うん。いいお返事!
* * *
馬車の窓から、王都の街並みが見える。
隣には、同じく学園へ向かうリオン。
私は膝の上で、そっと手を握りしめた。
いよいよだ。
十六歳。
乙女ゲームの物語が、本格的に動き始める年齢。
前世の記憶によれば、この学園では数々の恋愛イベントが待ち受けている。
王太子ユリウス殿下。
公爵令息ノア。
そして、これから出会うはずの人たち。
……けれど。
私は窓に映る自分に、小さく頷いた。
大丈夫。
この四年間で、私だって成長した。
家族との関係も良好。
治癒魔法だって、アシェル様のご指導のおかげで、少しずつ扱えるようになった。
もちろん、その力を学園で使うつもりはない。
私の力について知っているのは、ごく限られた人たちだけ。
パパが学園への入学を心配している理由の一つも、そこにある。
だからこそ、余計な騒ぎは起こせない。
攻略対象とは適切な距離を保ち、穏やかな学園生活を送るのだ。
「姉様」
「なあに、リオン?」
「……何か、決意されました?」
「えっ!?」
どうしてわかるの!?
リオンは私の顔をじっと見つめ、それから小さく笑った。
「姉様がそういうお顔をされるときは、大抵、何かを考えていらっしゃいますから」
……さすが私の弟。
観察力まで成長している。
「ふふ。ちょっとね」
「そうですか。では、僕も覚悟しておきます」
「えっ、何の!?」
リオンは答えず、にっこりと笑った。
……なぜだろう。
私の穏やかな学園生活、始まる前から少しだけ不安になってきた。
* * *
王立学園の正門をくぐると、広々とした敷地に美しい校舎が並んでいた。
整えられた庭園には色とりどりの花が咲き、制服姿の生徒たちが行き交っている。
「わあ……」
思わず声が漏れた。
前世でも学校には通っていたけれど、こんな立派な学園は初めてだ。
「姉様、足元にお気をつけください」
「ありがとう、リオン」
馬車を降りると、周囲の視線がこちらへ向いた。
……ん?
なんだろう。
私、何か変なところがある?
制服はちゃんと着ているし、髪もミアが綺麗に整えてくれた。
不思議に思っていると、近くから小さな声が聞こえてきた。
「ねえ、あの方……」
「アストレイア侯爵家のご令嬢ではなくて?」
「まあ、あの深窓の令嬢?」
……深窓の令嬢?
誰のこと?
「ほとんど社交界にお姿を見せないと伺っていたけれど……」
「なんてお綺麗な方なのかしら」
えっ。
もしかして、私!?
思わずリオンを見ると、弟はどこか楽しそうに微笑んでいた。
「姉様は、ご自分がどう噂されているか、ご存じなかったのですね」
「……リオン、知ってたの?」
「ええ。少しは」
少しって、どのくらい!?
いや、待って。
確かに私は、社交界にはほとんど顔を出してこなかった。
でも、それはパパの方針だったし、私自身も特に困っていなかったからで……。
まさか、そんな呼び名がついているなんて!
「姉様。お気になさらず」
「気になるわよ……!」
思わず小声で返した、そのときだった。
「ティア」
聞き慣れた声に、顔を上げる。
人の流れの向こうから、一人の少年が歩いてきた。
艶のある黒髪に、澄んだ青い瞳。
すらりと伸びた背筋と、自然に人目を引く整った顔立ち。
四年前よりずっと大人びた姿になったけれど、私を見つけて嬉しそうに笑う顔は、昔と変わらない。
「ノア!」
私が手を振ると、ノアはまっすぐこちらへやってきた。
その瞬間、周囲から小さなどよめきが起こった。
「……今、ノア様が?」
「ティア、とお呼びになったわよね……?」
……え?
なんだか、さっきより視線が増えていない?
私の穏やかな学園生活。
どうやら、初日から少しばかり前途多難らしい。




