銀色の猫は何を想う?
「はぁぁ……今日は疲れたぁ!」
夕食とお風呂を済ませた私は、ベッドにぽすんと倒れ込んだ。
王宮魔導師アシェル・ヴァルディア。
とうとう会ってしまった。
しかも、また会うことになりそうだなんて……。
「……私、何も悪いことしてないよね?」
天井に向かって呟いてみる。
うん。してない。
怪我をした子を助けただけだもん!
それなのに、どうして攻略対象が増えていくんでしょうか!?
「にゃ」
枕元から小さな声がした。
顔を向けると、ルゥがちょこんと座っていた。
「ルゥ〜!」
私は起き上がり、ふわふわの身体を抱き寄せた。
「聞いてよぉ。今日ね、すっごく大変だったんだよ!」
「……にゃ」
「知らない魔法の道具を使って、あれこれ調べられちゃったの!」
ルゥの耳が、ぴくりと動いた。
「でもね、結局よくわからなかったんだって。変なの!」
私はルゥの背中を撫でながら、ため息をついた。
そういえば。
ルゥには、まだ孤児院での出来事をちゃんと話してなかったな。
「ねえ、ルゥ。もっとびっくりする話があるんだよ」
「にゃ?」
「私ね、魔法が使えちゃったの!」
ルゥの尻尾が、ぴたりと止まった。
「しかも、治癒魔法! 怪我した子の腕がね、ぴかーって光って、きれいに治っちゃったの!」
「…………」
ルゥがゆっくり顔を上げる。
青みがかった灰色の瞳が、まっすぐ私を見つめた。
「びっくりでしょ? 私もびっくりした!」
私は笑いながら、ルゥの顎の下をくすぐった。
「でも、もう一回やろうとしても、全然できないんだよねぇ」
「……にゃ」
「アシェル様にも、普通の魔力とは違うかもしれないって言われちゃった」
その瞬間、ルゥの瞳がわずかに細められた。
……あれ?
「ルゥ、どうしたの?」
私は顔を覗き込んだ。
「もしかして、眠い?」
「にゃ」
「そっかぁ。もう遅いもんね」
私はルゥを抱き直し、ふわふわの毛に頬を寄せた。
「でもね、あの子が元気になって、本当によかった」
思い出すのは、泣いていた女の子の顔。
そして、傷が消えたときの嬉しそうな笑顔。
「魔法が使えるかどうかより、そっちの方がずっと大事だよね」
「…………」
ルゥは何も言わなかった。
ただ、私の腕の中で静かに目を閉じた。
「ふふ。ルゥって、本当にいい子」
私は額にそっと口づけた。
「おやすみ、ルゥ」
「……にゃ」
小さな返事を聞いて、私は目を閉じた。
* * *
やがて、部屋が静かな寝息に満たされた。
月明かりが窓から差し込み、ベッドの上を淡く照らしている。
ルゥはゆっくりと目を開けた。
――治癒の力。
あの娘は、確かにそう言った。
怪我をした子どもに触れ、傷を癒やしたと。
ルゥは眠るティアを見つめた。
最初にこの娘を見つけたときから、感じていたものがある。
遠い昔、失ったはずの温もり。
長い時をかけて探し続けた、懐かしい魂の気配。
けれど、治癒の力については何も知らなかった。
……偶然か。
それとも、何か意味があるのか。
ルゥはそっとベッドから降りた。
床に足をつけた瞬間、銀灰色の毛並みが淡い光に包まれる。
光が消えると、そこには一人の青年が立っていた。
月光を映したような銀灰色の髪。
青みがかった灰色の瞳。
どこか人間離れした、美しい容貌。
「……治癒、か」
低い声が、静かな部屋に落ちる。
この世界には、魔法を扱う人間がいる。
治癒の力も、存在そのものがあり得ないわけではない。
だが、魔力を持たないとされていた娘が、突然その力を使ったという。
「……興味深いな」
青年は窓辺へ歩み寄り、夜空を見上げた。
あの王宮魔導師。
紫色の髪をした男も、何かに気づいたようだった。
こちらを見る目が、ただの猫に向けるものとは違っていた。
「……面倒なことにならねばよいが」
ルゥは小さく息をつく。
人間の魔導師に正体を知られるつもりはない。
まして、ティアを巻き込むつもりもなかった。
そのとき、背後から小さな声がした。
「……ルゥ……」
青年が振り返る。
ティアは眠ったまま、枕元に手を伸ばしていた。
「……どこぉ……?」
「…………」
ルゥはしばらくその姿を見つめていた。
……まったく。
眠っていても、こちらを探すのか。
青年の口元が、わずかに緩む。
彼は再び猫の姿に戻ると、ベッドへ飛び乗った。
ティアの手のそばに身体を丸める。
すると、小さな手がふわりと背中に触れた。
「……えへへ。いた……」
安心したような寝言。
ルゥは目を細めた。
……この娘は、何も知らない。
自分がどんな存在をそばに置いているのかも。
自分の中に、どんな秘密が眠っているのかも。
だが、今はそれでいい。
ルゥはティアの手に、そっと額を寄せた。
――もう少しだけ、見守っていよう。
月明かりの下、銀色の猫は静かに目を閉じた。




