王宮魔導師さまがやってきた!
王宮魔導師が来る。
しかも、あのアシェル・ヴァルディアが。
……どうしてこうなった。
私は自室の鏡の前で、何度目かわからないため息をついた。
「お嬢様、そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ」
後ろで髪を整えてくれているミアが、くすりと笑う。
「だって、王宮魔導師だよ? 偉い人なんでしょ?」
「ええ。ですが、旦那様がお招きしたお客様です。いつもどおりでよろしいかと」
いつもどおり。
それができたら苦労しないんですけど!?
だって、アシェル・ヴァルディア。
乙女ゲームの攻略対象の一人にして、王宮に仕える若き天才魔導師。
紫色の髪に紫色の瞳。穏やかな笑みを浮かべているけれど、その本心はなかなか読めない。
ゲームでも、何を考えているのかわからない人だったんだよね。
……うん。
できれば、お近づきになりたくありません!
「にゃあ」
ベッドの上から声がした。
振り返ると、ルゥがこちらを見ていた。
相変わらず、きれいな銀灰色の毛並み。
今日もかわいい!
「ルゥ〜! 私、頑張ってくるね!」
近づいて頭を撫でると、ルゥは気持ちよさそうに目を細めた。
「にゃ」
……癒やされるぅ。
よし!
魔導師さまに魔法を調べてもらうだけ。
何も怖いことなんてない!
たぶん!
* * *
「ティア、お客様がお見えになったぞ」
お父様に呼ばれて応接室へ向かうと、そこには見覚えのある人物が座っていた。
柔らかな紫色の髪。
同じ色の瞳。
そして、穏やかで、どこか掴みどころのない微笑み。
……うわあ。
本物だ。
「初めまして。アシェル・ヴァルディアと申します」
青年が立ち上がり、優雅に一礼した。
「王宮で魔法の研究と鑑定を担当しています。本日はよろしくお願いします」
「セ、セレティア・アストレイアです。よろしくお願いいたします」
よし!
噛みかけたけど、ちゃんと言えた!
……たぶん!
アシェルは私を見て、ふっと微笑んだ。
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。今日は少し、お話を聞かせてもらうだけですから」
「は、はい!」
「……ふふ。僕はそんなに怖いですか?」
「い、いいえ!」
怖いです!!
あなた、攻略対象ですからーーー!!
「アシェル殿。娘は昨日のこともあり、少々落ち着かないようで」
お父様が助け舟を出してくれた。
「無理もありません。突然、知らない力が使えるようになったのですから」
アシェルは優しく頷いた。
「では、さっそくお話を聞かせてもらっても?」
「はい」
私は孤児院で起きたことを説明した。
女の子が転んで腕を切ったこと。
傷を押さえていたら、手のひらから光が出たこと。
そして、気づいたときには傷が消えていたこと。
アシェルは途中で口を挟まず、静かに聞いていた。
「なるほど。魔法を使おうと意識したわけではないのですね」
「はい。治ってほしいとは思いましたけど……」
「それまでは、一度も魔法を使えなかった?」
「はい。何度練習しても、何も起きませんでした」
「そうですか」
アシェルは少し考え込んだあと、微笑んだ。
「では、魔力の状態を確認してみましょう」
……来た。
いよいよ鑑定だ!
* * *
アシェルが取り出したのは、手のひらに収まるほどの透明な石だった。
「これは魔力を調べるための道具です。触れていただくだけで構いません」
「これに?」
「ええ。痛みもありませんよ」
私はそっと石に指先を触れた。
……しーん。
何も起こらない。
「……あれ?」
「ふむ」
アシェルが石を覗き込む。
「反応がありませんね」
「やっぱり……」
私は肩を落とした。
ほらね!
やっぱり私、魔力ないんだよ!
昨日のあれは、いったい何だったの!?
ところが、アシェルは困った様子もなく、別の道具を取り出した。
「もう一つ、試してみてもよろしいですか?」
「はい」
今度は、銀色の細い輪がついた小さな器具だった。
アシェルはそれを私の手首に近づける。
すると――。
……ちりん。
小さな鈴のような音が響いた。
「え?」
器具の中央に、淡い光が灯る。
ほんの一瞬。
瞬きをする間に、光は消えてしまった。
「……ほう」
アシェルの紫色の瞳が、わずかに細められた。
「今、光りましたよね?」
「ええ。確かに」
「じゃあ、魔力があるんですか!?」
「それは、まだ断言できません」
アシェルは器具を見つめながら答えた。
「通常の測定では反応がなく、別の方法では反応が出る。少なくとも、一般的な魔力の現れ方とは違うようです」
……えええ。
それって、どういうこと!?
「アシェル殿。娘の身体に問題は?」
お父様が真剣な声で尋ねた。
「今のところ、危険を示す反応はありません。ただ、原因はもう少し調べる必要があります」
「そうですか……」
「ご安心ください。無理に魔法を使わせるようなことはしませんよ」
アシェルは私に向き直った。
「セレティア嬢。昨日、傷を治したあと、疲れたり気分が悪くなったりは?」
「いいえ! 元気でした!」
「それは何よりです」
彼は微笑んだ。
「では、今日はここまでにしましょう」
……え?
もう終わり?
「魔法を出してみなくていいんですか?」
思わず尋ねると、アシェルは少し楽しそうに笑った。
「出せますか?」
「……出せません」
「でしょう?」
うっ。
なんだろう、この人。
優しいのに、ちょっとからかわれてる気がする!
「力の正体がわからないうちは、無理をしないことです。特に治癒魔法は、使い手への負担も考えなければなりませんから」
「……はい」
「それに」
アシェルが少し身をかがめ、私と目線を合わせた。
「人を助けようとして現れた力なら、まずはその気持ちを大切にしてあげてください」
「……!」
私は思わず目を瞬かせた。
……あれ?
この人、思っていたより普通にいい人かも。
いやいや!
だからって油断しちゃダメ!
攻略対象だよ!?
ゲームでは、何がきっかけで運命が変わるかわからないんだから!
* * *
鑑定が終わり、アシェルを玄関まで見送ることになった。
お父様と話しながら廊下を歩いていると、窓辺に見慣れた銀灰色の姿があった。
「あっ、ルゥ!」
私が声をかけると、ルゥがゆっくり顔を上げた。
「にゃ」
「こんなところにいたの?」
近づいて抱き上げると、ルゥはおとなしく腕の中に収まった。
「……きれいな猫ですね」
アシェルが足を止めた。
「はい! ルゥっていうんです!」
「ルゥ、ですか」
「すっごくかわいいんですよ!」
私が自慢すると、アシェルはくすりと笑った。
「それは見ればわかります」
彼がルゥに目を向ける。
ルゥも、じっとアシェルを見返した。
……あれ?
なんだか、二人とも動かない。
「……不思議ですね」
アシェルが小さく呟いた。
「え?」
「いえ。ずいぶん落ち着いた猫だと思いまして」
「そうなんです! ルゥって、とってもお利口なんですよ!」
「なるほど」
アシェルは微笑んだ。
でも、その瞳はほんの一瞬だけ、何かを確かめるように細められた。
「それでは、セレティア嬢。またお会いしましょう」
「は、はい! 本日はありがとうございました!」
アシェルはお父様にも挨拶をして、屋敷をあとにした。
……ふううう。
終わったぁぁぁ!
私はルゥを抱きしめた。
「ルゥ〜! 疲れたよぉ!」
「にゃ……」
ルゥが小さく鳴く。
その声を聞いて、ようやく肩の力が抜けた。
でも、結局わかったことといえば……。
私の魔法は、普通じゃないらしい。
……うん。
全然わかってないじゃん!!
しかも、アシェルはまた会うって言ってたよね?
つまり、また来るってこと?
私はルゥのふわふわの毛に顔を埋めた。
お願いだから、これ以上攻略対象を増やさないでくださーい!!




