魔法が使えないはずなのに!?
私は考えるより先に、駆け出していた。
「どうしたの!?」
子どもたちの輪を抜けると、一人の女の子が地面に座り込んでいた。さっき私と指切りをした子だ。
足元には割れた植木鉢が散らばっている。どうやら走っている途中で転んでしまったらしい。
「ティアお姉ちゃん……」
女の子が涙を浮かべて私を見上げた。
その腕には、赤い血が流れていた。
「……っ!」
思っていたより、傷が深い。
でも、女の子はちゃんと意識もあるし、腕も動かせている。
落ち着いて。まずは止血しなきゃ!
「大丈夫だよ。ちょっと見せてね」
私はハンカチを取り出し、傷口をそっと押さえた。
「いたい……」
「うん、痛いよね。でも、すぐに先生が来てくれるからね」
「うぅ……」
小さな手が、私の服をぎゅっと握る。
……どうしよう。こんなに泣いてる。
痛いの、早くなくなればいいのに。
「姉様!」
リオンが駆け寄ってきた。
「院長先生が治療道具を取りに行っています。お母様もこちらへ!」
「ありがとう、リオン!」
私は女の子の腕を押さえたまま、できるだけ明るく笑いかけた。
「大丈夫、大丈夫。もう少しだけ頑張ろうね」
「……ほんと?」
「ほんとだよ」
そう答えながら、胸の奥がきゅっと痛んだ。
もし、私にも魔法が使えたら。
リオンみたいに、指先から光を出せたら。
この子の痛みを、少しでも減らしてあげられるのかな。
……お願い。
この子の傷が、早く治りますように。
その瞬間だった。
――ぽうっ。
「……え?」
私の手のひらから、淡い光がこぼれた。
最初は小さな光だった。それが、ふわりと広がって、女の子の腕を包み込んでいく。
温かい。まるで、春の日差しみたいな光。
「……わあ」
女の子が泣くのを忘れたように、光を見つめている。
私も同じだった。
……え? なに、これ?
私の手、光ってるんですけど!?
「姉様……?」
リオンの声が聞こえた。
けれど、返事をする余裕なんてない。
光が消えたとき、私は恐る恐るハンカチを持ち上げた。
そこには――。
「…………ない」
傷が、なかった。
さっきまで血が流れていたはずの腕は、きれいな肌に戻っていた。
女の子が不思議そうに腕を動かす。
「……いたくない」
「え?」
「ティアお姉ちゃん! もう痛くないよ!」
女の子がぱっと笑顔になった。
「ありがとう!」
「…………」
よかった。本当によかった。
……って!
ちょっと待ってええええ!?
「き、傷が……消えた?」
私は女の子の腕と自分の手を交互に見つめた。
いやいやいや! おかしいよね!?
だって私、魔法が使えないはずなんだけど!?
「姉様」
リオンが静かに私の隣へしゃがんだ。
その顔から、いつもの笑みが消えている。
「今の光……姉様が出したんですか?」
「わ、わかんない! 勝手に出たの!」
「勝手に……?」
「うん! この子の傷が治ればいいなって思ったら、急に!」
リオンが女の子の腕を見つめる。それから、私の手に視線を戻した。
「……治癒魔法、でしょうか」
「ち、治癒魔法!?」
そんな!
治癒魔法って、たしか普通の魔法よりずっと珍しいんじゃなかったっけ!?
そこへ、お母様と院長先生が駆けつけてきた。
「ティア! 怪我をした子はどこ!?」
「こちらです!」
私は慌てて女の子を指さした。
……あれ? でも、もう怪我してないんだった。
院長先生が女の子の腕を確認する。
「傷は……どこに?」
「ここ! ここを切ったの!」
女の子が元気いっぱいに腕を見せた。
「でもね、ティアお姉ちゃんがキラキラってして、治してくれたの!」
「……キラキラ?」
お母様が私を見る。院長先生も私を見る。リオンまで私を見る。
……あの。そんなに見つめられると、困るんですけど。
「ティア、どういうこと?」
お母様が優しく尋ねた。
「えっと……私にもよくわからなくて」
私はさっき起きたことを、できるだけ順番に説明した。
女の子が怪我をしていたこと。傷を押さえていたこと。早く治ってほしいと願ったら、手が光ったこと。
話し終えると、お母様はしばらく黙っていた。
「……そう」
その表情は驚いていたけれど、怒っているわけではなさそうだった。
「ティア、どこか具合が悪くなったりしていない?」
「ううん! 全然平気!」
「そう。ならよかったわ」
お母様はほっとしたように微笑んだ。それから、私の手をそっと包む。
「でも、今のことはお父様にも相談しましょうね」
「……うん」
ですよねー!
これはさすがに、黙っておけないよね!
* * *
帰りの馬車の中。
私はずっと自分の手を見つめていた。
右手。左手。もう一度、右手。
……光らない。
「うーん……」
「姉様、何をしているんですか?」
リオンが不思議そうに尋ねた。
「もう一回光るかなって思って」
「……無理に試さない方がいいと思います」
「そうなの?」
「どんな魔法なのか、まだわかりませんから」
「そっかぁ……」
私はしょんぼりと手を膝に戻した。
リオンは少し考え込んでから、口を開いた。
「でも……姉様らしいですね」
「え?」
「困っている子を助けようとして、魔法が使えるようになるなんて」
「……リオン」
そんなふうに言われると、ちょっと照れちゃうじゃない!
「えへへ。ありがとう」
私が笑うと、リオンも嬉しそうに微笑んだ。
だけど、本当にどうしてなんだろう?
私は今まで、魔法が使えなかった。
魔力がないと言われていたし、実際にどれだけ練習しても何も起こらなかった。
それなのに、今日。
あの子を助けたいと思った瞬間だけ、光が現れた。
……まさか。
前世の記憶が戻ったせい?
いやいや、そんな都合のいい話がある!?
でも、ここは乙女ゲームの世界だ。
何が起こってもおかしくない……のかなぁ。
私は窓の外を眺めながら、小さくため息をついた。
恋愛を避けて、家族と平和に暮らす。
それが私の目標だったのに。
……なんだか、また面倒なことになりそうな予感がする。
* * *
その日の夕方。
お父様に今日の出来事を報告すると、予想どおり驚かれてしまった。
「……傷を、一瞬で治したのか?」
「う、うん。たぶん……」
「たぶん?」
「だって、私にも何が起きたのかわからないんだもん!」
お父様は腕を組み、しばらく考え込んでいた。
「治癒魔法か……」
「お父様?」
「ティア。怖い思いはしなかったか?」
「ううん! それより、あの子が元気になってよかった!」
私がそう答えると、お父様は少しだけ表情を緩めた。
「……そうか」
そして、私の頭を優しく撫でてくれた。
「よく助けてあげたな」
「……えへへ」
褒められちゃった!
でも、お父様はすぐに真剣な顔に戻った。
「ただし、今後のことは慎重に考えなければならない」
「今後?」
「ああ。治癒魔法は非常に珍しい。まして、これまで魔力がないとされていたお前が突然使ったとなれば、詳しく調べる必要がある」
「……調べる?」
なんだか、嫌な予感。
「王宮の魔導師に相談しようと思う」
「…………え?」
王宮の、魔導師?
……ちょっと待って。
王宮魔導師って……。
私の頭の中に、ある人物の姿が浮かんだ。
紫色の髪。
紫色の瞳。
そして、どこか掴みどころのない微笑み。
――アシェル・ヴァルディア。
乙女ゲームの攻略対象の一人。
「…………」
え? まさか。
……まさか、だよね?
私はお父様を見上げた。
「お父様……その魔導師って、誰が来るの?」
お父様は何でもないことのように答えた。
「アシェル・ヴァルディア殿だ」
…………。
やっぱりいいいいい!!
どうして!? どうしてこうなるの!?
私はただ、怪我をした子を助けたかっただけなのに!
恋愛しませんって、言ってるのに!!
また攻略対象が近づいてくるなんて、聞いてないよおおお!!




