月夜に隠された秘密
ルゥが我が家にやってきてから、毎日がますます楽しくなった。
だって、どこに行ってもルゥがいるんだもん!
……まあ、呼んでも来てくれないことの方が多いんだけど。
「ルゥ〜! こっちおいで〜!」
私は自分の部屋のソファをぽんぽんと叩いた。
窓辺に座っていたルゥが、ちらりとこちらを見る。
……見た!
絶対、聞こえてるよね!?
「ルゥ〜?」
「……にゃ」
そう鳴いたきり、ルゥは窓の外に顔を戻した。
……えええ。
無視!?
「お嬢様、ルゥはお外を眺めたいのかもしれませんね」
隣で片づけをしていたミアが、くすくす笑う。
「むぅ……。ルゥのいじわる」
そう言うと、銀灰色の耳がぴくりと動いた。
……あっ。
いじわるって言われたの、分かった?
私は思わず笑ってしまった。
* * *
夕食のあと、私はベッドの上で絵本を読んでいた。
前世でも、かわいい絵の描かれた本が大好きだった。
今世では十二歳になったけど、やっぱり好きなものは好き!
ページをめくるたびに、色鮮やかな世界が広がっていく。
……えへへ。こういう時間って、幸せだなぁ。
「お嬢様、そろそろお休みのお時間ですよ」
「はーい!」
私は本を閉じて、枕元に置いた。
すると、床に座っていたルゥが、ひょいっとベッドに飛び乗ってきた。
「……えっ!?」
ルゥが、自分から!?
「ルゥ! 一緒に寝てくれるの!?」
私は嬉しくなって、そっと手を伸ばした。
ルゥは私の手を避けることなく、枕のそばに腰を下ろした。
……っ!!
かわいい!!
「ミア! 見て! ルゥが一緒に寝てくれるって!」
「まあ。よかったですね、お嬢様」
ミアも嬉しそうに笑っている。
「ルゥ、寒くない?」
「……にゃ」
「じゃあ、毛布かけてあげるね!」
私は毛布の端をそっと持ち上げた。
するとルゥは、するりとその下から抜け出して、枕の上に座り直した。
……あれ?
毛布、嫌だった?
「ふふっ。猫は自分で居心地のよい場所を選ぶものですよ」
「そっかぁ」
私はルゥの頭をそっとなでた。
「じゃあ、好きなところで寝てね」
ルゥは目を細めると、ゆっくりと丸くなった。
……えへへ。
なんだか、幸せ。
「おやすみ、ルゥ」
「……にゃ」
その小さな返事を聞きながら、私は目を閉じた。
* * *
夜が更け、侯爵家の屋敷は静寂に包まれていた。
窓から差し込む月明かりが、寝台の上に淡い光を落としている。
セレティアは、穏やかな寝息を立てていた。
その枕元で、銀灰色の猫がゆっくりと目を開ける。
しばらく少女の寝顔を見つめてから、音もなく床へ飛び降りた。
青みがかった灰色の瞳が、月光を映す。
次の瞬間。
猫の輪郭が、淡い光に包まれた。
銀灰色の毛並みが揺らぎ、小さな身体が静かに姿を変えていく。
光が消えたとき、そこに猫の姿はなかった。
代わりに立っていたのは、一人の青年だった。
淡い銀灰色の髪。
月明かりを受けて透き通るような、青灰色の瞳。
整った顔立ちには、どこか人を寄せつけない静けさがあった。
青年は自分の手を見下ろし、ゆっくりと指を動かした。
「……久しぶりだな」
低く、落ち着いた声が夜の部屋に響く。
青年は窓辺へ歩み寄り、外を見つめた。
長い時間をかけて、ようやくたどり着いた場所。
あの日から、どれほどの年月が流れただろう。
何度も気配を追い、何度も見失った。
それでも、諦めることだけはできなかった。
「……確かに、感じた」
青年は小さくつぶやいた。
あの少女の中に、探し続けた魂の気配がある。
それだけは間違いない。
だが、どうして今になって現れたのか。
なぜ、あの少女なのか。
答えは、まだ見つからない。
青年は振り返り、眠るセレティアを見つめた。
「……お前は、誰なんだ」
問いかけても、答えは返らない。
少女は何も知らず、気持ちよさそうに眠っている。
その寝顔を見ていると、昼間の出来事が思い出された。
『ルゥ〜! こっちおいで〜!』
あの声。
何のためらいもなく、自分を呼ぶ声。
そして、初めて庭で出会った日のこと。
『ルゥ、ってどう?』
青年は、わずかに目を伏せた。
……ルゥ。
遠い昔、その名で自分を呼んだ者がいた。
もう二度と聞くことはないと思っていた呼び名。
それを、あの少女は何も知らずに口にした。
「……偶然、なのか」
月明かりの中で、青年はしばらく動かなかった。
やがて、静かに寝台へ近づく。
眠る少女のそばに立ち、その顔を見下ろした。
かつて知っていた面影は、どこにもない。
声も、仕草も、笑い方も違う。
それなのに。
「……不思議な娘だ」
思わず、そんな言葉がこぼれた。
何も知らずに笑いかけてくる。
勝手に名前をつけて、勝手に家へ招き入れた。
おまけに、毎日のようにかわいいと騒ぐ。
青年は小さく息を吐いた。
「……騒がしいこと、この上ない」
そう言いながらも、その声にはわずかな柔らかさがあった。
青年は寝台から離れ、再び窓辺へ向かう。
もう一度、淡い光がその身体を包んだ。
次の瞬間、そこには銀灰色の猫が座っていた。
猫は静かに寝台へ飛び乗ると、少女の枕元に丸くなる。
すると、眠っていたセレティアが小さく身じろぎした。
「……ルゥ……」
寝言だった。
猫の耳が、ぴくりと動く。
「……だいすき……」
小さな手が伸びてきて、銀灰色の毛並みにそっと触れた。
猫はしばらく動かなかった。
やがて、その手から逃げることなく、静かに目を閉じる。
月明かりが、少女と一匹の猫を優しく照らしていた。
長い旅の果てに見つけたものが、何なのか。
その答えを、彼はまだ知らない。
ただ今夜は、この小さな手の温もりを、もう少しだけ感じていたかった。




