家族との朝
「……ん……」
ゆっくり目を開けると、窓から柔らかな朝の光が差し込んでいた。
大きな窓に、淡い色のカーテン。壁際には本棚があり、見慣れた家具が並んでいる。昨日まで何気なく眺めていたはずの部屋が、今日は少し違って見えた。
……なんだか、すごく気分がいい。
昨日までの私は、いつも何かに追われているような気がしていた。リオンへの嫉妬や、自分への苛立ち。そんな気持ちで、周りを見る余裕もなかったのかもしれない。
でも、今は――。
「……すっきりした!」
ベッドの上で、大きく伸びをする。
「おはようございます、お嬢様」
「わっ!?」
すぐ横から声がして、思わず飛び上がりそうになった。
「ミ、ミア!? いつからいたの!?」
「先ほどでございます。お嬢様がお目覚めになる頃かと思いまして」
ミアはいつもの穏やかな顔で答えた。すでに着替えの準備まで整っている。
「本日は皆様で朝食を取られる予定でございます」
「え?」
「お嬢様が昨日、皆様と食事をしたいとおっしゃっていましたので」
「……覚えてたの?」
「もちろんでございます」
さすがミア。私が何か言えば、だいたい先回りしている。
「じゃあ、早く行こう!」
「はい。ですが、まずはお支度を」
ミアがブラシを手に取った。
「……準備早くない?」
「お嬢様のお世話が私の務めでございますから」
その笑顔に、私は思わず笑ってしまった。
* * *
食堂へ向かう廊下には、朝の光が差し込んでいた。窓から伸びる光が床に四角い模様を作り、使用人たちが忙しそうに行き交っている。
すれ違うたびに、皆が丁寧に頭を下げてくれた。
昨日までの私なら、こんなふうに周りを見ていなかった気がする。
食堂へ入ると、お父様とお母様、そしてリオンが席についていた。
「おはようございます、姉様」
「おはよう、リオン!」
私を見るなり、リオンが嬉しそうに笑った。
「待っていてくれたの?」
「はい! 姉様と一緒に食べたかったので」
「……リオン」
なんだか、それだけで嬉しくなる。
「私もだよ」
四人で食卓を囲む。焼きたてのパンに温かなスープ、色鮮やかな果物。侯爵家らしく整えられた朝食だけれど、今の私には料理よりも、目の前の家族のほうが気になった。
昨日までとは何かが違う。
いや、違うんじゃない。私が変わったんだ。
前世の記憶を思い出して、ようやく気づいた。この人たちは、私の大切な家族なんだって。
「ねえ、パパ、ママ」
「……!」
二人が同時に私を見た。
「パパ……?」
「ママ……?」
お父様とお母様が顔を見合わせる。突然の呼び方に驚いたのだろう。
「あのね……」
少しだけ恥ずかしくなって、私は膝の上で手を重ねた。
「これから、そう呼んでもいいですか?」
「もちろん、公の場ではお父様、お母様って呼ぶけど……家族だけのときは、パパとママって呼びたいの」
しばらくの沈黙。
やっぱり、急すぎたかな……?
「いいに決まっているだろう!」
お父様がぱっと笑顔になった。
「もちろんよ。とっても嬉しいわ」
お母様も優しく微笑む。
「……よかった!」
胸の奥が、じんわり温かくなる。
私は、この家族と今度こそ幸せに暮らしたい。
* * *
朝食を終えたあと、私はふと思った。
「……まずは、屋敷を見て回ろうかな」
「姉様?」
「うん。ちょっと確認したいことがあるの」
ここは、前世で何度も遊んだ乙女ゲームの世界。だったら、ゲームに出てきた場所や人、覚えている設定を一度整理しておきたい。
「ゲームのこと、ちゃんと確認しておきたいの」
「ゲーム?」
リオンが首を傾げる。
「あっ、なんでもない!」
危ない危ない。つい口に出ちゃった。
「ちょっと、屋敷の中を見てみたいなって」
「僕も一緒に行きたいです!」
「もちろん! 一緒に行こう!」
すると、ミアが穏やかに口を開いた。
「では、お庭からご案内いたしましょう。ただし、昨日のお怪我もございますので、無理はなさらないでくださいませ」
「はーい!」
「お疲れになりましたら、すぐに休憩いたしましょう」
ミアの言葉に、リオンもこくりと頷いた。
二人とも心配してくれているんだな。
私はなんだか嬉しくなって、二人の手を取った。
* * *
「広ーい!」
庭に出た瞬間、私は目を輝かせた。
侯爵家の庭には色とりどりの花が咲き、きれいに整えられた花壇が続いていた。少し離れたところには木々が並び、その向こうには小さな噴水も見える。
「お花、きれい!」
「こちらは季節のお花でございます」
ミアが説明してくれる。
「へえー!」
私は庭を見回した。
――ここ、ゲームにも出てきた。
確か、イベントの舞台になった場所だ。
でも、何のイベントだったっけ……?
思い出そうとしたところで、ミアに声をかけられた。
「お嬢様、何か気になることでも?」
「ううん! ちょっと考えごと!」
ミアはそれ以上聞かず、静かに微笑んだ。
庭をひと回りしたあとは、屋敷の中も見て回った。普段はあまり足を運ばない客間や、長い廊下。改めて歩いてみると、自分の家なのに知らない場所がたくさんある。
「お部屋、多すぎない?」
「侯爵家でございますので」
「そんなにいらないよー!」
リオンが隣でくすくす笑った。
廊下では、何人もの使用人とすれ違った。
私はそのたびに笑顔で声をかける。
「いつもありがとねー!」
「……え?」
使用人たちが驚いたように足を止めた。
「お、お嬢様……?」
「ん? どうしたの?」
「い、いえ! ありがとうございます!」
慌てて頭を下げる姿に、私は首を傾げた。
そんなに驚くことかな?
私が歩き出すと、後ろから小さな声が聞こえた。
「……お嬢様、変わられましたね」
ミアもその言葉を聞いていたようだけれど、何も言わずに私の後をついてきた。
* * *
「姉様、こっちです!」
リオンが私の手を引いた。
「ん?」
「僕の魔法の練習場があるんです!」
「あ、見てみたい!」
屋敷から少し離れた場所に、魔法の練習場があった。周囲には余計なものが置かれておらず、安心して魔法を使えるようになっているらしい。
「ここで、いつも練習しています」
「リオンが?」
「はい! 見ていてくださいね」
リオンが手を前に出すと、小さな光が生まれた。
「わぁ……!」
光がふわりと揺れたかと思うと――。
ぽっ。
指先に、小さな炎が灯った。
「すごーい!!」
私は思わずリオンに抱きついた。
「いつも可愛いのに、魔法までできるなんて! かっこいい! リオン、大好き!」
「お、お姉様……!」
「えへへ」
「く、苦しいです……!」
「あ、ごめん!」
慌てて腕を緩めると、リオンは頬を真っ赤にしていた。
……かわいい。
以前の私なら、この魔法を見て素直に褒めることなんてできなかっただろう。でも今は、リオンの才能が自分のことのように嬉しい。
「姉様は、魔法を使わないんですか?」
「私?」
少し考えてから答えた。
「今までは、魔力がほとんど感じられないから、魔法は使えないって言われてたの」
「そうなんですか?」
「うん。でも、ちょっと試してみたいな」
前世の記憶を思い出したからといって、魔法が使えるようになったわけじゃない。
それでも、この世界には私の知らないことがまだあるのかもしれない。
「姉様も、一緒に練習しますか?」
「いいの?」
「もちろんです!」
「じゃあ、やってみる!」
リオンに教えてもらいながら、指先に意識を集中させる。
けれど、何も起こらなかった。
「……うーん」
「もう一回やってみましょう!」
「うん!」
もう一度試してみても、やっぱり何も起こらない。
「難しいねぇ」
「大丈夫です。僕も最初はうまくできませんでしたから!」
「そっか。じゃあ、もう一回!」
結局、何度試しても魔法は使えなかった。
それでも、リオンと一緒に練習する時間は楽しかった。
「お二人とも、そろそろ休憩になさいませんか?」
少し離れたところで見守っていたミアが、声をかけてくれた。
「はーい!」
私はリオンと顔を見合わせて笑った。
* * *
練習を終えた私たちは、庭でお茶を飲むことにした。
用意されたお菓子を頬張りながら、私は隣に座るリオンを見る。
「ねえ、リオン」
「はい?」
「リオンは……何歳のときに、この家に来たんだっけ?」
「五歳です」
「五歳……」
まだ、そんなに小さかったんだ。
「寂しくなかった?」
リオンは少し考えてから、ふわりと笑った。
「姉様ができるって聞いて、すごく嬉しかったです」
「……リオン」
思わず、ぎゅっと抱きしめてしまった。
「かわいい……! 大好き!」
「姉様……僕も大好きです」
「ふふっ」
この子といると、すごく安心する。
これからは、もっとたくさん一緒に過ごしたいな。
しばらくして、リオンが遠慮がちに口を開いた。
「……あの、姉様」
「ん?」
「ティア姉様って、呼んでもいいですか?」
私は目を丸くした。
「もちろん!」
「……本当に?」
「うん。リオンの好きなように呼んでいいよ」
リオンは少し照れたように笑う。
「じゃあ……」
ほんの少し間を置いて、私を見上げた。
「ティア姉様」
……!
なんだろう。名前を呼ばれただけなのに、胸の奥がきゅっと温かくなった。
「……もう! 可愛すぎる!」
私はまたリオンを抱きしめる。
「姉様、苦しいです!」
「だって可愛いんだもん!」
「ふふっ……!」
リオンの楽しそうな笑い声が、庭に響いた。
少し離れたところでは、ミアが優しく微笑みながら、私たちを見守っていた。




