庭で出会った不思議な猫
アルヴィンが帰ってから、数日が過ぎた。
剣の修行は続けているけれど、やっぱり少し物足りない。
「……ししょー、元気かなぁ」
窓の外を眺めながら、ぽつりとつぶやいた。
「お嬢様、グランフォード卿が恋しいのですか?」
「うん! だって、ししょーだもん!」
ミアがくすりと笑う。
……あれ?
なんで笑ったの?
「今日はお勉強も終わりましたし、お庭を散歩されてはいかがですか?」
「そうする!」
私は椅子から立ち上がった。
* * *
午後の庭は、暖かな日差しに包まれていた。
花壇には色とりどりの花が咲いていて、風が吹くたびに甘い香りが漂ってくる。
「いいお天気だねぇ」
「はい。お散歩日和ですね」
ミアと並んで歩きながら、私は大きく伸びをした。
……こういう、のんびりした時間も大切だよね。
最近は剣の修行にお勉強に、毎日忙しかったから。
「あら?」
ふと、植え込みの奥で何かが動いた気がした。
「ミア、今、何かいなかった?」
「え?」
私は足を止めて、じっと目を凝らした。
葉っぱの陰に、ふわりと揺れるものが見えた。
……しっぽ?
「……猫?」
思わず声を上げると、植え込みの奥から一匹の猫が姿を現した。
「わぁ……!」
淡い銀灰色の毛並み。
毛先は雪みたいに白くて、陽の光を受けると、ふわふわと輝いて見える。
そして何より、目がきれいだった。
青みがかった灰色の瞳。
まるで、澄んだ冬の空みたい。
「……きれい」
私は思わず見とれてしまった。
猫は少し離れた場所に座り、じっとこちらを見つめている。
……えっ。
なに、この子。
かわいすぎない!?
「ミア! 見て! すっごくかわいい猫!」
「まあ、本当ですね。どちらから来たのでしょう?」
ミアも驚いたように猫を見つめていた。
首輪はついていない。
でも、毛並みはとてもきれいで、野良猫には見えなかった。
「ねえ、猫ちゃん。おいで?」
私はそっとしゃがんで、手を差し出した。
猫は動かない。
……あれ?
警戒されてる?
「大丈夫だよ。怖くないよ〜」
もう一度声をかけると、猫の耳がぴくりと動いた。
……聞いてる!
絶対、聞いてるよね!?
猫はしばらく私を見つめていたけれど、やがて静かに立ち上がった。
そして、くるりと背を向ける。
「あっ! 待って!」
思わず声を上げると、猫が足を止めた。
……え?
振り返った猫と、目が合う。
不思議だった。
初めて会ったはずなのに、その瞳を見ていると、なぜか目が離せない。
……なんだろう。
この子、普通の猫とちょっと違う気がする。
「猫ちゃん?」
私が首をかしげると、猫もほんの少しだけ首を傾けた。
……っ!!
かわいいーーー!!
なにそれ!
反則でしょ!!
「ミア! 今、首かしげた!」
「ふふ、見ておりましたよ」
「かわいい! かわいすぎる!」
興奮する私をよそに、猫は涼しい顔で座り直した。
……なんだか、ちょっと偉そう?
でも、それもかわいい!
私はもう一度、そっと手を伸ばした。
「ねえ、なでてもいい?」
猫は私の手をじっと見つめている。
しばらくして、ゆっくりと近づいてきた。
……えっ。
来てくれるの!?
どきどきしながら待っていると、猫は私の指先に鼻を近づけた。
くん、と小さく匂いを嗅ぐ。
そして、そのまま動かなくなった。
「……猫ちゃん?」
何かを確かめているみたいだった。
私はじっと待った。
やがて猫は顔を上げ、もう一度私の目を見つめた。
……あれ?
さっきまで少し警戒していたように見えたのに。
今は、なんだか……。
寂しそう?
「……どうしたの?」
思わず聞いてしまった。
もちろん、猫が答えるはずもない。
けれど、その子は逃げなかった。
私はそっと、銀灰色の頭をなでた。
……ふわっ。
「……っ! ふわふわ!!」
なに、この毛並み!
ずっと触っていたい!!
猫は一瞬だけ体をこわばらせたけれど、すぐに力を抜いた。
……よかった。
嫌じゃないみたい。
「ねえ、ミア。この子、うちの子じゃないよね?」
「はい。少なくとも、私は見かけたことがございません」
「そっかぁ……」
私は猫を見つめた。
こんなにきれいな子なのに、どこから来たんだろう。
お腹、すいてないかな。
帰るお家、あるのかな。
「ねえ、猫ちゃん」
猫の目が、私を見上げた。
「もし帰るお家がないなら……うちに来ない?」
ミアが少し驚いた顔をした。
「お嬢様、まずは旦那様と奥様にご相談しませんと」
「あっ、そっか! そうだよね!」
……危ない、危ない。
かわいすぎて、勝手に決めちゃうところだった。
「じゃあ、パパとママに聞いてみるね!」
私は猫に笑いかけた。
「だから、それまでここにいてくれる?」
猫は何も答えない。
ただ、じっと私を見つめていた。
……うーん。
やっぱり、不思議な子。
「そうだ! お名前!」
私は猫の顔をのぞき込んだ。
「名前がないと、呼びにくいよね」
銀灰色の毛並み。
きれいな瞳。
ちょっと偉そうで、でも、とってもかわいい猫。
……うん。
「ルゥ、ってどう?」
口に出してみると、なんだかしっくりきた。
「ルゥ!」
もう一度呼ぶと、猫の耳がぴくりと動いた。
「……あっ! 気に入った?」
猫は答えない。
でも、逃げもしなかった。
「ふふっ。じゃあ、ルゥだね!」
私は嬉しくなって、もう一度その頭をなでた。
「よろしくね、ルゥ!」
そのとき。
ルゥが、ほんの少しだけ目を細めた。
……あれ?
今、笑った?
まさかね。
猫だもん。
「ミア! 早くパパとママに聞きに行こう!」
「はい、お嬢様」
私は立ち上がり、もう一度ルゥを振り返った。
「ルゥ! すぐ戻ってくるからね!」
ルゥは、植え込みのそばに座ったまま、私を見つめていた。
その青みがかった灰色の瞳が、いつまでも私を追っていることに。
私は、気づかなかった。
* * *
少女の足音が遠ざかっていく。
銀灰色の猫は、静かにその背中を見送っていた。
長い時を越えて、追い求めてきた気配。
何度も見失い、もう二度と巡り会えないのではないかと思った。
それが今、確かにここにある。
なぜ、この少女なのか。
なぜ、今になって感じ取れたのか。
分からないことは、まだ多い。
それでも。
差し出された小さな手の温もりが、毛並みに残っていた。
――ようやく、見つけた。




