ししょーが笑ってくれません!
翌朝。
「……よし!」
私は鏡の前で、ぎゅっと拳を握った。
今日は、ししょーにもう一度ちゃんと謝るんだ!
昨日はあのあと、パパとママにもたっぷり叱られた。
人を助けたことは間違っていないと思う。
でも、自分が怪我をしたら、みんなを悲しませてしまう。
……それも、ちゃんと分かった。
「お嬢様、そろそろ朝食のお時間ですよ」
「うん! 今行く!」
ミアに返事をして、私は部屋を飛び出した。
* * *
朝食を終えてから、私はアルヴィンを探した。
今日は剣の修行がない日だけれど、護衛のお仕事はあるはずだ。
「あっ! ししょー!」
廊下の向こうに赤い髪を見つけて、私は駆け寄った。
「お嬢様。おはようございます」
「おはよう! あのね、昨日のことなんだけど……」
アルヴィンは静かに私を見つめている。
……ううっ。
やっぱり、まだ怒ってる?
「昨日はごめんなさい。ししょーが下がってって言ったのに、勝手に動いちゃって」
「……はい」
「でも、あの子を助けたかったのは本当なの」
「それは、分かっています」
アルヴィンは少しだけ表情を和らげた。
「お嬢様が、誰かを見捨てられない方だということは、以前から存じております」
「……ししょー」
「ですが、今後は私を頼ってください。お嬢様をお守りするために、私はここにいるのですから」
……あ。
そうだった。
ししょーは、私の護衛なんだ。
「……うん。次はちゃんと頼る!」
「お約束ですよ」
「約束!」
私が元気よく答えると、アルヴィンは小さく息を吐いた。
「……本当に、困ったお嬢様です」
そう言いながら、ようやく少し笑ってくれた。
……やった!
ししょーの笑顔、戻った!
* * *
その日の午後。
私はリオンと一緒に、書斎でお勉強をしていた。
「……うう、難しい」
「姉様、こちらの問題ですか?」
「うん。領地の税についてなんだけど……」
リオンが教本をのぞき込む。
「これは、先ほどの説明をもう一度読むと分かりやすいと思います」
「ほんと? ありがとう!」
……リオン。
九歳なのに、なんでそんなに頼りになるの?
私がお姉ちゃんのはずなのに!
「姉様?」
「な、なんでもない!」
慌てて教本に目を戻した。
……よし。
お勉強も頑張らなくちゃ!
しばらくして、休憩の時間になった。
ミアが運んでくれたお茶を飲みながら、私は窓の外を眺めた。
「ねえ、リオン」
「はい?」
「ししょーって、もうすぐ護衛のお仕事が終わるんだよね?」
「そうですね。ひと月のお約束でしたから」
……そっか。
最初は、ちょっと怖い騎士様だと思ってたのに。
今では、すっかりししょーだもんね。
「……寂しくなるなぁ」
思わずつぶやくと、リオンが私を見た。
「姉様、剣の修行は続けられないのでしょうか?」
「えっ?」
「グランフォード卿にお願いしてみては?」
……あ!
そうだよね!
護衛のお仕事が終わっても、剣を教えてもらうことはできるかもしれない!
「リオン、天才!」
「えっ!?」
「あとでししょーに聞いてみる!」
「ふふ。僕も、また教えていただきたいです」
……うん!
やっぱりリオンは頼りになる弟です!
* * *
夕方。
私は庭の近くで、アルヴィンを見つけた。
「ししょー!」
「お嬢様。どうなさいましたか?」
「あのね、お願いがあるの!」
アルヴィンが少し首をかしげる。
「護衛のお仕事が終わっても、また剣を教えてくれる?」
「……剣、ですか」
「うん! 私、もっと上手になりたいの!」
アルヴィンはすぐには答えなかった。
……あれ?
難しいのかな?
「もちろん、ししょーのお仕事が忙しいのは分かってるよ! だから、時間があるときだけでいいの!」
「お嬢様……」
アルヴィンは少し困ったように笑った。
「お嬢様は、昨日あれほど叱られたばかりだというのに、もう次の修行のことを考えていらっしゃるのですね」
「えへへ……だめ?」
「いいえ。剣を学ぶこと自体は、決して悪いことではありません」
……おっ!
これは、もしかして!
「ただし」
「……はいっ!」
「ご自身を危険にさらさないこと。そして、無理をなさらないこと。その二つを守っていただけますか?」
「守ります!」
アルヴィンはしばらく私を見つめたあと、ようやく頷いた。
「では、任務が終わりましたら、ご当主様とも相談いたしましょう」
「ほんと!?」
「はい。私の都合がつくときに限りますが」
「やったーー!!」
嬉しくて、思わず飛び跳ねてしまった。
「ありがとう、ししょー!」
アルヴィンが目を細めた。
「……こちらこそ」
……ん?
「ししょー、何か言った?」
「いいえ。何でもありません」
そう言って、アルヴィンはいつもの穏やかな笑顔を浮かべた。
……ふふっ。
やっぱり、ししょーは笑ってる方がいいな!
* * *
その夜。
アルヴィン・グランフォードは、騎士団へ提出する報告書に目を通していた。
アストレイア侯爵家での護衛任務も、残りわずか。
昨日の出来事を思い返す。
少年を守ろうと飛び出した、小さな背中。
危険を前にして震えながらも、自分の行動を後悔しなかった少女。
無謀だと思った。
実際、あの行動は褒められたものではない。
それでも、教えたばかりの動きを必死に思い出し、誰かを守ろうとした姿が頭から離れなかった。
「……まったく」
アルヴィンは小さく息を吐いた。
騎士として、守るべき相手を危険にさらしたくない。
それは当然のことだ。
だが、昨日感じた恐怖は、それだけでは説明できない気がした。
間に合わなかったら。
そう考えた瞬間の、胸の冷たさ。
「……考えすぎか」
アルヴィンは報告書に視線を戻した。
そして、夕方のティアの言葉を思い出す。
『護衛のお仕事が終わっても、また剣を教えてくれる?』
あれほど叱られたのに、まだ自分を師匠と呼んでくれる。
その無邪気な信頼を、裏切るわけにはいかない。
「……次は、もっと慎重さも教えなければな」
そうつぶやくと、アルヴィンはようやく筆を取った。
任務が終わっても、あの少女の成長を見守る機会があるのなら。
それは、きっと悪くない。
そう思った自分に、彼はまだ深い意味を見いだしていなかった。




