ししょーの教えを守ります!
「お嬢様、もう一度お願いします」
「はいっ!」
カンッ!
木剣がぶつかる乾いた音が、訓練場に響いた。
「今のはどう!?」
「先ほどより良くなっています。ですが、相手の剣ばかり見てはいけません」
「むむっ……」
「相手の動き全体を見ることが大切です」
「はい、ししょー!」
剣の修行を始めてから、少しずつだけど、できることが増えてきた。
最初は木剣を振るだけで精いっぱいだったのに、今ではアルヴィンの動きに合わせて足を運べるようになっている。
……ふふふ。
私、なかなか頑張ってるんじゃない?
「お嬢様」
「はいっ!」
「今、何か考え事をされましたね?」
「えっ!?」
「集中してください」
「はーい……」
……ししょー。
心の中まで読めるの?
隣ではリオンが真剣に木剣を構えていた。
「グランフォード卿、こちらでよろしいでしょうか?」
「ええ。姿勢が安定してきましたね」
「ありがとうございます!」
……リオン、すごいなぁ。
魔法もお勉強もあるのに、剣まで頑張ってるんだもん。
私も負けてられない!
「ししょー! もう一回!」
「その前に、少し休憩しましょう」
「ええっ!?」
「お嬢様」
「……はーい」
最近、このやり取りが定番になりつつある気がする。
* * *
その日の午後。
私はミアと一緒に、屋敷の庭を歩いていた。
今日はもう剣の修行もお勉強も終わり。
夕食までは自由時間だ。
「ねえ、ミア。あのお花、前より咲いてない?」
「はい。奥様も楽しみにしていらっしゃいましたよ」
「ママ、喜ぶね!」
庭師さんたちが丁寧に手入れしてくれている庭は、いつ見てもきれいだ。
……こういう時間もいいなぁ。
「お嬢様、あまり遠くへ行かれませんように」
少し後ろを歩くアルヴィンが声をかけてきた。
「分かってるよ、ししょー!」
「それならよろしいのですが」
……あれ?
なんだか信用されてない?
まあ、前に街で無茶したから仕方ないか。
そのときだった。
「きゃあっ!」
庭の奥から、小さな悲鳴が聞こえた。
「えっ!?」
振り返ると、庭師の手伝いをしていたらしい少年が、植え込みのそばで尻もちをついていた。
その目の前には、大きな犬。
首輪が外れたのか、低く唸りながら少年を見つめている。
「お嬢様、下がってください!」
アルヴィンの声が飛んだ。
けれど、その瞬間。
犬が少年に向かって飛びかかった。
「危ないっ!」
考えるより先に、足が動いていた。
近くに立てかけられていた庭仕事用の木の棒をつかむ。
……落ち着いて。
相手の動き全体を見る!
ししょーの言葉が頭に浮かんだ。
犬の正面に飛び込むのではなく、横から一歩踏み込む。
そして、少年との間に棒を突き出した。
「こっち!」
犬が棒に気を取られ、飛びかかる勢いがわずかに鈍った。
「今! 逃げて!」
少年が慌てて立ち上がる。
……よかった!
そう思った瞬間、犬がこちらを向いた。
「……え?」
低い唸り声。
次の瞬間、犬が私に向かって跳びかかってきた。
……まずい!
避けようと足を動かしたけれど、間に合わない。
「お嬢様!!」
鋭い声と同時に、目の前を赤い影が横切った。
アルヴィンだった。
彼は私を背後にかばい、犬の進路を遮る。
「下がってください!」
その声に、私は思わず後ずさった。
アルヴィンが素早く動くと、犬は勢いを失い、少し離れた場所へ着地した。
すぐに駆けつけた使用人たちが、犬を取り押さえる。
……終わった?
私は握りしめていた棒を見下ろした。
手が、小さく震えていた。
* * *
「お嬢様」
低い声がした。
顔を上げると、アルヴィンが私を見つめていた。
……あれ?
ししょー、なんだか怖い。
「お怪我はありませんか?」
「う、うん! 大丈夫!」
アルヴィンは私の腕や肩に目を走らせ、怪我がないことを確かめる。
そして、深く息を吐いた。
「……なぜ、飛び出されたのですか」
いつもの穏やかな声じゃなかった。
「だ、だって、あの子が危なかったから……」
「私が下がるよう申し上げたはずです」
「でも、間に合わないと思って……!」
アルヴィンの眉が険しく寄った。
「お嬢様。剣を習ったからといって、危険な相手に立ち向かってよいわけではありません」
「……うん」
「先ほども、私が間に合わなければ、お嬢様が怪我をされていたかもしれないのですよ」
……それは、分かってる。
さっき、犬がこっちを向いたとき。
本当は、すごく怖かった。
でも。
「……あの子、助かったよ?」
アルヴィンが言葉を止めた。
「私、ししょーに教えてもらったこと、思い出したの。相手の動きをよく見るって」
「……お嬢様」
「ちゃんとできたかは分からないけど……あの子が逃げる時間は作れたよ」
そう言うと、アルヴィンはしばらく黙っていた。
……あれ?
やっぱり怒ってる?
「……そうですね」
やがて、アルヴィンが静かに口を開いた。
「少年を守れたのは事実です。ですが、それとお嬢様が危険に身をさらしたことは、別の話です」
「……はい」
私はしゅんとうつむいた。
すると、アルヴィンが私の前に膝をついた。
「お嬢様」
顔を上げると、まっすぐな緑色の瞳が私を見ていた。
「どうか、ご自身のことも大切になさってください」
……あ。
その声は、さっきよりずっと優しかった。
「……うん。ごめんなさい、ししょー」
アルヴィンは小さく息を吐いた。
「本当に、あなたという方は……」
そうつぶやいた彼の表情は、少し困っているようにも見えた。
……ししょー。
やっぱり、怒ってるよね?
でも、どうしてだろう。
さっきのアルヴィンの声が、ずっと耳に残っていた。
* * *
その日の夕食。
私はパパとママに、たっぷりお説教された。
……うん。
予想はしてました。
「ティア。人を助けたい気持ちは立派だよ。でも、君に何かあったら、私たちはどうしたらいいんだい?」
「……ごめんなさい、パパ」
「無事でよかったわ。本当に……」
ママが私の手をぎゅっと握る。
……ああ。
また心配させちゃった。
「姉様、僕も心配しました」
「リオン……ごめんね」
私は小さく頭を下げた。
……次は、もっとちゃんと考えて動こう。
そう心に決めたところで、ふと思い出す。
あれ?
そういえば、ししょー。
最後まで、いつもの笑顔に戻らなかったなぁ。
……そんなに怒らせちゃった?
明日、もう一回ちゃんと謝ろう。
そう決めて、私はスープを口に運んだ。
けれど、その夜。
アルヴィンが私のことで何を考えていたのか。
私は、まだ知らなかった。




