王太子のお気に入り
「ティア、リオン」
聞き慣れた声に振り向くと、ノアがこちらへ歩いてきた。
「ノア!」
「何かあったのか? 少し騒がしかったようだけど」
……あ。聞こえてた?
「何もないよ! ね、リオン?」
私はにっこり笑ってリオンを見る。
「はい、姉様」
リオンも笑顔でうなずいた。
よし! これで心配かけずに済む――。
「アストレイア侯爵令嬢」
「ひっ!?」
突然、背後から声をかけられた。
振り向くと、そこには金髪の美少年。
……ユリウス王太子殿下!?
どうしてここに!?
「王太子殿下!」
リオンが慌てて礼をする。私も急いでそれにならった。
「先ほどの件、護衛から報告を受けた」
……え。報告!?
「弟を庇い、自らの非も認めたそうだな。実に見事であった」
……なんで知ってるの!?
「お、恐れ入ります……」
「アストレイア侯爵子息」
「はい、殿下」
「よい姉を持ったな」
リオンが顔を上げた。そして、迷いなく答える。
「はい。最高の姉でございます」
……リオン!!
そんなこと言われたら、お姉ちゃん泣いちゃう!!
「ふむ」
殿下が満足そうにうなずいた。
その隣で、ノアだけが黙っている。
「……ノアは、ことの内容を知らぬのか?」
「……ええ」
ノアが静かに答えた。
「では、私が話してやろう」
「ちょっ!?」
待って待って!
もう終わった話だから!
わざわざ説明しなくても――!
「――ということがあったのだ」
……遅かった。
ノアは何も言わなかった。
ただ、さっきまで浮かべていた笑顔が消えている。
……あれ? 怒ってる?
「私はアストレイア侯爵令嬢が気に入った」
「……え?」
今、何て?
「ユリウス王太子殿下」
ノアが一歩前に出た。
「何だ、ノア?」
「僕たちは用事がありますので、これで失礼いたします」
「……ほう?」
「ティア、リオン。行くよ」
「えっ? う、うん!」
私とリオンは慌てて殿下に礼をした。
「失礼いたします」
「失礼いたします、殿下」
「うむ」
殿下はあっさりとうなずいた。
私たちが歩き出すと、背後から楽しそうな声が聞こえた。
「……まったく。せっかちなやつだ」
* * *
「ノア?」
少し離れたところまで来て、私はノアを見上げた。
ノアは小さくため息をつく。
「……まったく。面倒なやつに気に入られたな」
「え?」
「いや。それより、二人とも怪我はない?」
ノアが私とリオンを交互に見る。
「本当に何もされてない?」
「うん。大丈夫だよ」
「僕も大丈夫です、ノア兄様」
「……そう」
ノアはようやく少しだけ表情を緩めた。
「心配かけて、ごめんなさい」
私が言うと、ノアは首を横に振った。
「怪我がないならいい。でも、今日はミアもいないんだ。気をつけて」
「はーい」
「……ティア。ちゃんと聞いてる?」
「聞いてるよ!」
もう。ノアってば、心配性なんだから。
するとノアが、少し離れた場所に控えていたヴォルフィード公爵家の執事を呼んだ。
公爵家の随行者たちは、庭園の外縁で待機しているらしい。
「ここを出るまで、二人についていてもらう」
「えっ? 必要ないよ!」
「ダメ」
即答された。
「ええー!」
「それに、ティア」
「なあに?」
「お菓子、まだ食べてないんでしょ?」
「…………あっ!」
そうだった!!
あんなに楽しみにしてたのに!
「リオン!」
「はい、姉様!」
私たちは顔を見合わせた。
よし! 今度こそ、お菓子を食べに行こう!
「……おい」
ノアが呆れたようにつぶやく。
でも、私たちが歩き出すと、少しだけ笑った気がした。
* * *
ノアは二人の背中を見送ってから、控えていた執事に声をかけた。
「ティアとリオンから、絶対に目を離さないで」
「かしこまりました」
執事が一礼し、二人のあとを追う。
ノアは、そばに控えていたもう一人の使用人に視線を向けた。
「それから、さっきユリウス殿下が話していた件だけど」
「はい」
「誰が関わっていたのか、確認しておいてくれる?」
「承知いたしました」
「……まだ、何もしなくていいよ。まずは事実だけ」
「かしこまりました」
使用人が静かに頭を下げる。
ノアは庭園の向こうへ目を向けた。
そこでは、ティアとリオンが楽しそうにお菓子を選んでいる。
先ほどまでの緊張など、まるでなかったかのように。
二人に怪我がなかったことには安心した。
けれど、リオンが侮辱されていたことも、ティアが一人でその場に飛び込んだことも、簡単に聞き流せる話ではない。
ノアは小さく息を吐いた。
そして、いつもの穏やかな笑顔に戻る。
「……ティアには、知らなくていいことだね」
* * *
少し離れた花壇のそばで、一人の少女がその様子を見つめていた。
華やかなドレスに身を包んだ、公爵家の令嬢。
彼女は先ほど、偶然にもリオンを庇うセレティアの姿を目にしていた。
少年少女たちの前に立ち、堂々と向き合う姿。
そして、弟に向けた優しい笑顔。
そのどちらも、少女の目にはまぶしく映った。
「……素敵」
小さくつぶやく。
いつか、自分もあんなふうに堂々と振る舞えたら。
そして、できることなら――。
あの令嬢と、お話ししてみたい。
少女は少しだけ頬を染め、遠くにいるセレティアをもう一度見つめた。




