幽霊なんて、怖くありません!③
夜。
いつものように身支度を終えると、ミアが部屋の灯りを少し落とした。
「それではお嬢様、おやすみなさいませ」
「うん。おやすみ、ミア」
「……」
「なに?」
なぜかミアが、じっと私を見る。
そして――にこり。
「いえ。何でもございません」
……なに、その笑顔。
「では、失礼いたします」
扉が閉まる。
私はしばらく、その扉を見つめていた。
ミアの足音が遠ざかっていく。
……よし。
ベッドから降りた。
別に悪いことをするわけじゃない。
調査だ。
そう。これは立派な調査なのだ。
しばらく待っていると、コンコン、と小さなノックの音がした。
扉を開ける。
「姉様」
リオンだった。
「……本当に行くんですか?」
「行くー!」
「…………」
「なによ」
「いえ……」
なんなのよ、その顔。
「リオンだって来たじゃない」
「姉様を一人で行かせるわけにはいかないでしょう」
「さすがリオン!」
「褒めてません」
むぅ。
とにかく、これで一人目、確保!
「じゃあ、ノアを迎えに行こっか」
「……はい」
二人で廊下へ出る。
夜の屋敷は静かだった。
昼間なら使用人たちが行き交っている廊下も、今は人の姿がない。
私たちは足音を立てないように歩き、ノアの部屋の前で止まった。
コンコン。
少しして、扉が開く。
「来たか」
ノアはすでに準備をしていた。
「ノア、準備できてる?」
「準備って何の準備だ」
「幽霊退治!」
「調査じゃなかったのか?」
「そうとも言う!」
「……帰っていいか?」
「だめ!」
即答した。
ここまで来て逃げるなんて許さないんだから!
「さ、行くわよ!」
「姉様、声」
「あ」
私は慌てて口を押さえた。
危ない危ない。
ミアに見つかったら、調査どころじゃなくなる。
今度こそ静かに、私たちは三人で西棟へ向かった。
* * *
夜の屋敷って、こんなに怖かったっけ。
長い廊下を三人で歩く。
壁に掛けられた灯りが、ゆらゆらと揺れている。
昼間なら何とも思わないはずなのに、今日は廊下の奥までやけに暗く見えた。
コツ、コツ、コツ。
私たちの足音だけが響く。
誰も話さない。その静けさが、余計に怖い。
「姉様」
「な、なに!?」
「っ!」
今度はリオンが肩を跳ねさせた。
「姉様こそ、急に大きな声を出さないでください!」
「だって、リオンが急に話しかけるから!」
「普通に呼んだだけです!」
「……二人とも」
ノアが呆れたように私たちを見る。
「帰るか?」
「「帰らない!」」
私とリオンの声が重なった。
「……そうか」
ノアがため息をつく。
私たちは再び歩き始めた。
西棟へ近づくにつれて、人の気配はますますなくなっていく。
……気のせいかな。
さっきより、ノアが近い。
いや、ノアが近づいてきたんじゃない。
私が近づいてる?
ちらりと反対側を見る。
リオンもノアのすぐ隣を歩いていた。
「……なんで俺が真ん中なんだ?」
「たまたまよ」
「たまたまです」
私とリオンは同時に答えた。
ノアが何か言いたそうな顔をしたけれど、無視する。
そして、私たちは西棟の三階へ上がった。
一番奥の部屋付近。
昼間に聞いた話では、この辺りで声が聞こえたらしい。
廊下の突き当たりには、大きな窓がある。
しん、とした廊下。
窓の外では、木々が風に揺れている。
そのとき――。
「うぅぅぅぅ…………」
私は足を止めた。
隣で、リオンもぴたりと動きを止める。
ノアも廊下の奥へ視線を向けた。
……今。
聞こえたよね?
絶対、聞こえたよね!?
「……今の――」
ノアが口を開いた、その瞬間。
「「ぎゃあああああああ!!!」」
私とリオンの悲鳴が、廊下中に響き渡った。
「うるさい!」
気づけば私はノアの腕にしがみついていた。
反対側では、リオンがノアの服をぎゅっと掴んでいる。
「ノア! いた! 今いた!!」
「何も見てないだろ」
「声がいたの!!」
「声は『いる』とは言わない」
「そういう問題じゃないの!」
「姉様……」
リオンの声が震えている。
顔を見ると、少し青ざめていた。
「リオン?」
「……大丈夫です」
全然、大丈夫そうじゃない。
怖い。
私だって、ものすごく怖い。
できることなら、このままノアにくっついていたい。
でも――。
私はノアの腕から手を離した。
そして、リオンの手を握る。
「大丈夫よ、リオン」
「姉様……?」
「お姉ちゃんがいるから」
そう言って、ぎゅっと手を握った。
リオンが、私たちの繋いだ手を見た。
「姉様」
「なに?」
「手、震えてます」
「気のせいよ」
「震えてます」
「気のせい!!」
怖いものは怖いの!
でも、お姉ちゃんだもん。
リオンの前では、しっかりしなくちゃ。
「ティア」
ノアに呼ばれて顔を上げる。
「なに?」
「俺からも離れるな」
「……うん」
ノアが私たちより少し前に出た。
その背中を見ていると、不思議と少しだけ怖さが薄れた気がした。
やっぱり、ノアがいると安心する。
そのとき。
「うぅぅぅぅぅ…………」
「「ぎゃあああああああ!!!」」
「だから、うるさい!」
無理!!
やっぱり怖い!!
「二人とも、ここにいろ」
ノアが灯りを持ち直した。
「えっ、ノア!?」
「俺が先を確認する。何かあったら、すぐに戻る」
「一人で!?」
「危ないよ!」
リオンも慌てて声を上げる。
けれどノアは落ち着いていた。
「幽霊はいない」
「でも!」
「二人とも、そこから動くな」
そう言って、ノアは廊下の奥へ進んでいく。
「ノア……」
私とリオンは手を握ったまま、その背中を見つめた。
ノアが廊下の突き当たりまで行く。
そこには、大きな窓。
その前のカーテンが、風に揺れていた。
「……?」
ノアがカーテンへ近づく。
そして。
「窓……?」
小さく呟いた。
窓が、ほんの少しだけ開いている。
ノアが手を伸ばして――。
カタン。
窓を閉めた。
静かになった。
「……え?」
さっきまで聞こえていた声が、しない。
私はリオンと顔を見合わせた。
ノアも窓を見つめている。
そして、もう一度少しだけ窓を開けた。
「うぅぅぅぅ…………」
「「ぎゃあああああああ!!!」」
「……これだ」
「え?」
「窓だ」
「……窓?」
私とリオンは、手を繋いだまま恐る恐るノアのところまで近づいた。
ノアがもう一度、窓を閉める。
静か。
開ける。
「うぅぅぅぅ…………」
「ひっ!」
私とリオンは揃って飛び上がった。
「風が窓の隙間を通る音だ」
私は窓を見る。
次にノアを見る。
そして、もう一度窓を見る。
「じゃあ……」
恐る恐る、廊下の奥を見回した。
「幽霊は?」
「いない」
隣を見ると、リオンも私を見ていた。
そして――。
「「よかったぁぁぁぁぁ……!」」
思わず二人で抱き合った。
よかった! 本当によかった!
幽霊なんていなかった!
「だから最初から――」
ノアが何か言いかけた、そのとき。
廊下の向こうから、足音が聞こえた。
一人じゃない。
何人も、こちらへ向かってくる。
……あれ?
「ティア?」
聞き慣れた声。
私は固まった。
腕の中のリオンも、ぴたりと動きを止める。
ノアも、ゆっくりと声のしたほうへ顔を向けた。
灯りを手にした人たちが、次々と姿を現す。
パパ。ママ。ミア。
その後ろには、使用人や護衛までいる。
……そりゃそうだ。
夜中の屋敷であれだけ叫べば、みんな起きるよね。
逃げたい。
ものすごく逃げたい。
でも、逃げ道はない。
ママがにっこり笑った。
「ティア?」
「……はい」
「リオン?」
「……はい」
「ノアくん?」
「……申し訳ありません」
「ちょっと待って!」
私は慌てて声を上げた。
「ノアは悪くないの! 私が行くって言ったから、ノアはついてきてくれただけで――」
「姉様」
「なに?」
「僕もです」
「リオン?」
「姉様を止められませんでした」
「それは――」
「ティア」
ママの声。
「……はい」
私は背筋を伸ばした。
「あなた、自分が何をしたか分かってる?」
「…………夜中に、西棟へ来ました」
「それだけ?」
「……ミアに黙って、部屋を抜け出しました」
ちらりとミアを見る。
笑ってる。
ミアが笑ってる。
怖い。
幽霊より怖いかもしれない。
「お嬢様」
「はいっ!」
「朝から、何か企んでおられるとは思っておりましたが……」
ミアの笑顔が深くなる。
「まさか夜中に西棟まで向かわれるとは思っておりませんでした」
「……あはは」
笑ってごまかしてみる。
……だめだ。
全然ごまかせてない。
ママが大きく息を吐いた。
「三人とも」
「はい……」
私が小さく返事をする。
「はい」
リオンも続いた。
「……はい」
最後にノアが答える。
「好奇心を持つことが悪いとは言わないわ。でも、危険なことをするなら話は別よ」
ママの表情が少しだけ曇る。
「もし本当に誰かが入り込んでいたら? もし三人の誰かが怪我をしていたら?」
さっきまで浮かれていた私の気持ちが、しゅんと小さくなる。
ママは怒ってる。
でも、それ以上に心配してくれてたんだ。
「……ごめんなさい」
「申し訳ありません」
「すみません」
私、リオン、ノアの順に頭を下げた。
「もう……本当に」
ママが、もう一度ため息をついた。
怒らせちゃった。
明日は絶対、お説教の続きだ。
そう思っていた、そのとき。
ふわり。
身体が温かいものに包まれた。
「……え?」
ママだった。
私とリオン。
そして――ノアまで。
三人まとめて、ぎゅっと抱きしめられている。
「何事もなくて、本当によかったわ」
「……ママ」
さっきまで怒っていた声とは、全然違った。
優しくて、少しだけ震えていた。
心配、かけちゃったんだ。
「……ごめんなさい」
もう一度そう言うと、ママの腕に少しだけ力が入った。
隣では、リオンも大人しく抱きしめられている。
そしてノアは――。
何も言わなかった。
ただ少し驚いたような顔で、私たちと一緒にママの腕の中にいた。




