第3話泣き虫な悪役令嬢?
私は褒められることが好きであった。
両親から褒められるとどんなに辛いことでも頑張れた。愛が注がれることを認識することができるからだ。
「褒められるなら次期当主になるために勉強するなんてとても苦じゃないのに……」
社交界は次期当主としては、戦場と表す人が多いのではないだろうか。自分のアピールの場であり、自分がいかに相応しいかそして今後の交渉などを成功させる架け橋となるかを表現しなければならない。それを面白く思わないものたちは、相手に恥をかかせるためにいろんな嫌がらせをしてくる。それらを耐えるためにも立ち回り方や礼儀作法に隙を見せてはならない。
◇
父にエルリアと一緒に社交界へ出なさいと言われた時は耳を疑った。
私は何かいたしましたか。どうしてですか。私はまだやれます。あの子がいなくとも、私は次期当主として役目を果たせます。あの子は次期当主に相応しくない。どうしてですか。なぜ私を見てくれないのですか。
「私に…もう…価値が…ないのですか…?」
いえ、まだ私はできます。あの子さえ…あいつさえいなければ、比べられるものがないから、私はできると信用してもらえる。
「あいつさえ、いなければよかったんだ__」
その思考が頭を支配した瞬間、視界の端にあの忌々しい義妹の姿が映り込んだ。
「あ、レイカお姉様。お疲れ様です! お茶でもいかが__」
呑気に声をかけてくるエルリア。その無警戒で、どこか自分をバカにしているようにすら見える可憐な笑顔を見た瞬間、私の頭の中で何かがプチりと弾けた。
__パァンッ!!
静かな廊下に、痛烈な打擲音が響き渡る。
「……っ!?」
不意を突かれたエルリアは、勢い余ってその場にへたり込んだ。白い頬が見る見るうちに真っ赤に腫れ上がっていく。
「ふざけるな……! ふざけるな、ふざけるな!!」
振り下ろした自分の手が小さく震えているのを無視して、私は床に倒れ伏すエルリアを見下ろし、怒声を張り上げた。
「私の邪魔をするな! お前が……お前がこの屋敷に来てから、何もかも狂ってしまったのよ! お父様の視線も、私の立場も、全部……っ!!」
感情を抑えきれず、乱れた息のまま吐き捨てる。
「お前みたいな連れ子が社交界に出たところで、クラビオル家の恥になるだけよ!お前なんて、ここに必要ないの!!」
言い放った言葉は、廊下の壁に虚しくこだました。
叩かれた頬を押さえ、目を見開いて私を見上げてくるエルリア。その瞳を見つめているうちに、胸の奥から冷たい罪悪感がじわりと滲み出してくる。
(……私は、何をやって……)
だが、一度振り上げた拳を下ろす術を、今の私は知らなかった。
エルリアは抵抗せず、黙り込んでいた。でも私を見ていた。気味が悪かった。
「化け物め!お前のせいで私の家族は壊れたんだ…返してよ!私の家族を!!」
ここまでにどれほど時間が経ったのだろうか。5分?10分?あるいはそれよりも長いのだろうか。私は息を切らしていた。
あれほど怒鳴ったからか、喉が痛む。幸い父は今日屋敷にはいなかった。見られなくてよかった。次女たちは、エルリアみたいになりたくないと見て見ぬ振りをするものがほとんどだ。残りはエルリアの心配をしているようだが私になんの影響も出ないため、ほっといてある。
これ以上、あの真っ直ぐな瞳で見つめられたら、自分がどんどん惨めで醜い存在に思えてくる。
「……っ、あ……」
私は冷めやらぬ吐息を漏らしながら、床に伏せるエルリアに背を向けた。
逃げるように、弾かれたような足取りで自分の部屋へと走る。
廊下を駆け抜け、自室に入り、重い木製のドアをバタンと閉めて背中で寄りかかった瞬間、糸が切れたように膝から崩れ落ちた。
部屋の中はしんと静まり返っている。
自分の手が、まだじんじんと熱い。叩いてしまった感触が、手のひらに嫌なリアリティを持って残っていた。
(私……なんてことを……)
頭を抱え、床にへたり込む。
両親から惜しみない愛情を注がれ、「自慢の娘」と言われて育った過去の自分が脳裏をよぎる。
「あんなに温かかった家族を取り戻したかっただけなのに」
「お父様に昔みたいに振り向いてもらいたかっただけなのに」
私は、自分が一番嫌悪していた「理不尽に他人に当たり散らす愚かな人間」に成り下がってしまったのだ。
「う……あ……っ」
喉の奥から押し出されるのは、言葉にもならない掠れた声だった。
拭いきれない罪悪感と猛烈な自己不信に押しつぶされそうになりながら、私は膝に顔を埋め、暗い部屋で一人、声を殺して泣き続けた。
自分がこれからどうやってエルリアの顔を見ればいいのか、どうやって父の前に立てばいいのか。
一ヶ月後に迫った社交界のことなど、もう頭から完全に吹き飛んでいた。
◇
私は叩かれた所をそっと触ってみた。
「痛っ。うわっ、血が出てるじゃん」
「これ一応ヒロインだけど、これ綺麗に治るのかな?」
とかバカバカしいことを考えていたが時間とともに冷静になってきた。
私はすかさず立ち上がった。そして、レイカのあとを追いかけた。痛む頬を押さえながら、スカートを大きく揺らして廊下を疾走する。
『 何ぼーっとしてたんだよ!』
「叩かれた瞬間はあまりの衝撃と、彼女から溢れ出す言葉の圧に押されていたけど、去り際に見えたレイカお姉様の表情。あれは怒りや憎しみなんかじゃない。自分のしたことに怯え、絶望し、傷ついた子供の顔そのものだったわ」
「どこ行った……っ、部屋か!?」
足音を荒々しく響かせながら、屋敷中を駆け回りレイカの部屋の前にたどり着く。
重厚な木製のドアはぴったりと閉ざされ、まるで拒絶するようにそこにあった。
「レイカお姉様! 開けてください!」
前世の営業時代、プレッシャーに潰されて会議室に閉じこもってしまった若手社員の姿が、目の前のドアと重なった。
(まったく! 人をぶっ叩いておいて、自分までズタズタに傷ついて逃げ出すとか、不器用にもほどがあるだろ……!)
胸の奥がぎゅっと痛む。怒りなんてこれっぽっちも湧いてこなかった。
あるのは、この不器用すぎる少女を放っておけないという、元アラサーOLとしての妙な保護欲と使命感だけだ。
「お姉様! 聞こえてるんでしょ! 痛いのは私なんですだから、逃げてないでドア開けなさいよ!」
私はドアノブに手をかけ、ぐっと力を込めた。




