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ルーテリラ  作者: すんあ
3/5

陶酔の廃墟と、見えない「出口」

 俺たちはこのルーテリラの住人たちに声をかけ続けたが、彼らの言葉はどれも歪んで聞こえた。


「あっちの道は……色が……」

「戻るには……鍵が……必要……」


 何を言っているのか理解できない。俺たちが近づくと、彼らはまるで伝染病患者を見るような目で俺たちを避け、その場から逃げ去る。そんな疎外感に打ちのめされそうになる度、隣にいる秋帆奈の明るさが救いだった。

 一体ルーテリラに迷い込んでから、どれだけの時間が経ったのか。ここには時計がない。空に浮かぶ二つの月が満ち欠けを繰り返すのが、唯一の時間の指標だった。


 住人たちへ聞き込みを続けていると「出口がある」とされる場所の情報を入手した。


 情報を頼りに向かってみるとそこは、巨大な蔦に覆われた廃墟だった。かつては図書館だったのか、それとも教会だったのか。朽ち果てた石造りの建物からは、毒々しいほどに甘い花の香りが漏れ出している。


 建物の扉を押し開くと、そこには三十人ほどの人間たちがいた。


 彼らは皆、口々に聞いた「元の世界に戻る方法」を探して彷徨い、ここに流れ着いた者たちだという。


「やあ、また新入りか。君たちも『扉』を探してるのか?」


 声をかけてきたのは、背の高い男だった。かつては会社員だったというその男は、今や身なりも整えず、虚ろな笑みを浮かべていた。


 廃墟の中は、異様な空気に満ちていた。壁という壁には極彩色の落書きが施され、床には焚き火の跡と、無造作に散らばった薬包紙のようなものが積み重なっている。


「ここにはね、何もないよ。だって、最初から『戻る』必要なんてないんだから」


 男はそう言って、空中に何かを掴むような仕草をした。その指先が空を切るたびに、周囲にキラキラとした光の粒子が舞う。


 俺と帆奈は、その場に留まって情報を集めることにした。しかし、聞けば聞くほど、彼らの話は支離滅裂だった。ある者は「北の虹の橋を渡ればいい」と言い、ある者は「歌いながら月の光を浴びればいい」と言う。彼らの瞳はどれも、現実という重力から解放された後の、壊れたガラス玉のように濁っていた。


「……ねえ、工藤さん。彼ら、本当に戻れるのかな?」


 夜、廃墟の一角で帆奈が不安げに尋ねてきた。


 俺は彼女の肩を抱き寄せた。以前の俺なら、こんな大胆なことは到底できなかった。だが、この世界では「不安」という感情さえも、彼女と共有することで快楽へと変換されていくような錯覚があった。


「大丈夫だよ。俺たちならちゃんと見つけ出せるから」


「うん。工藤さんがいてくれると、なんだかすごく安心する」


 彼女が俺の胸に頭を預ける。心臓の音がうるさい。この時、俺はふと、廃墟の片隅で座り込んでいる中年の女を見た。彼女は熱心に、何もない床に向かって「お母さん、ただいま」と語りかけている。その横で、別の男が自分の腕に赤いインクで複雑な模様を描きながら、うっとりと笑っていた。


 ――異常だ。


 頭の片隅で、冷めた自分が囁く。彼らは戻ろうとしているのではない。この狂った楽園の中で、自分たちの脳を溶かして、現実から逃げ切ろうとしているだけだ。


 俺も、そうなりかけているのか?


「工藤さん? どうしたの、怖い顔して」


「……ううん、なんでもないよ」


 俺は彼女の髪に触れた。彼女の指が、俺の作業着のポケットを探る。そこには、彼女が以前くれたあの飴の包みが一つ、残っていた。


 その時、突然、廃墟の入り口で怒号が響いた。ガラの悪い獣人の一団が、乱暴に扉を蹴破って入ってきた。彼らはこのコミュニティの人々が持っている「宝物」――つまり、彼らが幻覚を見るために使っている怪しげな薬物を奪いに来たのだ。


「いいもん持ってんだろ! 全部出せよ!」


 獣人が女の髪を掴み、引きずり回す。悲鳴と笑い声が混ざり合い、カオスな光景が広がった。


 帆奈がその光景を見て、怯えたように俺の後ろに隠れた。


「……怖い?」


 俺は聞いた。

 彼女が小さく頷くのを見て、俺の中で何かが決壊した。

 怒りではない。恐怖でもない。ただ、自分の「守るべきもの」を汚されたという、歪んだ所有欲に近い衝動。


 俺は近くにあった重い金属の棒を拾い上げると、無我夢中で獣人に突進した。


 殴りかかるなんて、一生縁がないと思っていた。だが、今は違う。獣人の顔に棒を叩きつけると、手応えが手に伝わり、黒い液体が飛び散る。獣人が怯み、仲間たちが呆気にとられる。


「こいつ、やるじゃねえか……!」


 俺は獣人を追い払い、秋帆奈の手を引いて廃墟を飛び出した。


 血の匂いと、花の甘い香りが混ざり合い、俺の視界は真っ赤に染まっていた。


 走り抜ける風の中で、帆奈が俺を見上げる。その瞳に映る俺は、きっと英雄のように見えているはずだ。現実世界では、誰からも期待されず、誰の役にも立たなかった俺が。


 この時、俺は確信した。ここが現実か幻覚かなんて、もうどうでもいい。たとえこの世界が崩壊するとしても、この「特別な俺」でいられるなら、ずっとここに居座ってやろうと。


 ――そんな決意が、俺をさらに深い奈落へと引きずり込んでいく。


 帰り道を探す旅は、いつの間にか、「現実を忘れるための旅」へと塗り替えられていた。

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