サルバズ「城じゅうの通風孔を調べろ、魔女はどこからでも入り込むのだ!」セリム「……シロアリか何かかな」
逆鱗に触れないように気をつけていたのに、自分の逆鱗に触れられてしまったサリーム爺さん。
ザナドゥ? は何を語るのでしょう。
30年以上前の事。ザナドゥの両親はファルケの人間だったが、北大陸の西半分を巻き込んだ内戦、改革派戦争により、故郷に居られなくなった。口減らしの為里子に出されたザナドゥは巡り廻って旅芸人の一座に引き取られ、成人した後も長らく、一座と共に各地を放浪していたという。
「私の芸はこの大きな体だけでな。丸太や大岩を持ち上げて見せたり、牛と力比べをしたり……無論そんな芸はたいしてウケないから、実際には荷物運びや守衛など、一座の下働きをして飯を食わせて貰うわけだが」
それだけでは肩身が狭いので、ザナドゥは「殴らせ屋」という仕事もしていた。それは読んで字の通り、顧客から金を貰う代わりに、思い切り殴られるというものだ。
相手は客だけではない。一座には美人のダンサーや熟練の道化師、動物使いなどの人気芸人も居て、一座の生活は彼らが稼ぐ木戸銭が支えていた。時にはストレスの多い彼らに気持ちよく仕事をして貰う為、ザナドゥはタダで殴らせた。
そして当たり前だが、ザナドゥだって殴られれば痛い。時には腫れ上がった頬を濡れ雑巾で冷やしながら、物陰で泣く事もあった。
ユッタが現れたのは2年前、ファルケやフェザントよりずっと東のとある町での事だった。
町に一座がやって来た事はすぐに評判になり、大人も子供もたくさんやって来た。しかし集まって来る子供達の中には、金を持っていない者も居た。
―― 祭りを観るには入場料が要るよ、家に帰って、お小遣いを貰って来てね!
一座も商売なので、木戸銭が払えない者を入れる訳には行かない。
そしてザナドゥが初めて見た時のユッタは、教会の炊き出しと、裕福な家から出る食べ残しをあてにして生きている、路上で暮らす孤児だったという。
「あの子は食うや食わずでガリガリに痩せていたのに、何でかひどく一座の大テントを見たがっていてねぇ。毎日のようにやって来たんだ」
しかし彼らの座長は、ぼろぼろの服を着た泥だらけの孤児が、ショーの開かれる大テントに忍び込もうとするのを決して許さなかった。
座長は何度もテントに忍び込もうとするその浮浪児に怒り、ついには捕まえて蹴とばした。ザナドゥはさすがに少女が可哀想だと思い座長にささやかな抗議をしたが、座長からは逆に叱責されてしまった。
ユッタは。大人に蹴とばされ道に倒れても、泣かなかった。
「もうここには来ないようにと言ってみたんだが、彼女は聞かなくてね。根負けした私は一座から離れた市場の方に行き、そこで殴られ屋の営業をした、座長にばれないようにね。しかし悪い事は出来ないもんで」
ザナドゥが殴られ屋の口上を述べていると、筋骨隆々の木こりが名乗りでて、金を出すから思い切り殴らせろと言って来た。
普段こういう時は相方の道化師が間に入って誤魔化してくれるのだが、もぐりで営業していたザナドゥは一人だった。重量級のパンチをまともに喰らったザナドゥは昏倒し、痣が出来るくらいの怪我をしてしまった。
「それでも何とか自由に使えるお金が出来た私は、あの子にそれを渡そうとしたんだ、これでテントに入りなさいと言ってね。だけどあの子、今度はそれを受け取らないんだよ、そればかりか……」
―― パパ。
その少女、ユッタは今度はザナドゥを指差し、そんな事を言い出した。そして彼の周りから離れなくなった。
だけどその事に驚いている時間は、ザナドゥにはなかった。その日の夜。これまで病気などした事のなかったザナドゥが高熱を出し、倒れたのだ。
「そして、私が座長の目のない所で営業をした事もばれてしまった」
これは彼らの世界では大変な掟破りだったのである。本来、芸で得た金は必ず座長に渡し、一座に再配分されなくてはならないのだ。その上。
「その地方には疫病に対する恐怖心が強く残っていて……旅芸人は特に疑いの目で見られやすい。一座に熱病の者が居ると知られたら、大変な事になるのだ」
座長はザナドゥに、夜陰に紛れて一座を去るように求めた。
熱病に呻き苦しみながら、ザナドゥはそれに同意した。一家離散から30年、ここまで生きて来れたのはこの一座のおかげだし、それを隠れ営業で裏切ったのは自分だ、この上は、一座の為ここを離れるのが人としての道だと。ザナドゥはそう考えた。
一座の者は皆ザナドゥ同様、ほとんど金を持っていなかったが、少しずつ出せる分を出し合って餞別をくれた。
そしてザナドゥは、熱にうなされ、縮こまって震えながら、一座のテントを離れて行った。だけどユッタは、まだついて来ようとする。
「私は仲間がくれた餞別と私の手持ちの金をユッタに持たせ、少しきつく言った。それを持って町に戻れと。彼女は町に戻って行った」
そして一人で歩き続けたザナドゥはやがて、川の畔に辿り着き、そこで倒れた。
「病に苦しんではいたが、私の気持ちは穏やかだった。私はもう十分生きたと思っていたからね。あとはここで死を待つだけだと」
しかし夜が明けてもザナドゥは生きていた。そしてあの頑固な少女は彼の元に戻って来てしまった。
少女は大きなパンの塊を抱えていた。ユッタはそれを朝買って持って来たのではなく、昨日のうちに買っていた。そしてすぐに戻るつもりだったのだが、藪の中に倒れているザナドゥを見つけられなくて、一晩中、辺りを探し回っていたらしい。
―― 何で戻って来たんだ、私に構うなと言っただろう……
―― ……パパ。
少女にあげた金はなくなっていた。この大きなパンと引き換えに、まるごと騙し取られたらしい。
靴も履いていない少女は、川の畔の藪の中を走り回ったせいで、手足を引っ掻き傷だらけにしていた。
ザナドゥは、とめどなく泣いた。だけど少女はその時も、一滴も涙を流さなかった。
◇◇◇
ザナドゥは豪華なリビングの床に、胡坐をかいて座ったまま話していた。
サリームは膝を折りたたんで座り、ポカンと口を開けていたが、ようやく、そのしわがれた声を絞り出す。
「それじゃ、あの……貴方とユッタちゃんは本当に、ぜんぜん、親子ではないんでげすか……?」
「当時、一座の仲間にもさんざん言われましたよ。本当は隠し子なんじゃないかってね、じゃなきゃそんなに懐く訳がないと……神に誓って、私にそんなものは居ません。だいたい私とユッタちゃん、髪の色も顔立ちも何もかも、少しも似てないでしょう?」
ザナドゥはまたため息をつき、肩を落とす。
サリームも困惑していた。ザナドゥの話は真実なのだろう。彼がわざわざこんな作り話を、自分のような下賤の者に聞かせる理由は全くない。
サリームは数か月前、カンパイーニャ港の近くの村で、ロイ爺の息子イサークに聞いた話を思い出していた。
―― あの、イサークさん。私そういうの解らないんですけど……自分が騙されて他人の子供を養育していたと知ったら、男の人はどう思うんですかね
―― 俺はそういう目に遭った事は無いが、多分男が人生の中で出会い得る災難の中では、最悪の五本の指に入ると思う
「あ、あの、ですが貴方は別に誰かに騙されてユッタちゃんを養っていた訳ではないですよね、それから2年は、本当の親子みたいに仲良く暮らしてたんじゃないんですか?」
◇◇◇
自分はもういつ死んでもいいと思っていたのに。ザナドゥは死ねなくなった。
甲斐甲斐しく川の水を汲んで来てくれるユッタの為、ユッタが持って来た大きなパンを分け合って食べながら、ザナドゥは必死に熱病と戦い、これを克服した。
その町からは離れる他なかった。ユッタはついて来たが、ザナドゥはもうそれを止めなかった。彼は誰にでも、ユッタを娘として紹介した。
ザナドゥはそれまで恥ずかしがり屋で内向的な男だったのだが、ユッタの為に必死で働くようになった。だけど殴られ屋はもう辞めた。ザナドゥは一座の他の芸人を見て覚えていた、あらん限りの芸を披露しながら旅を続けた。
ユッタはすぐに、そんな父の仕事を手伝う意思を見せた。ザナドゥは自身も子供の頃に一座に売られて芸を教えて貰ったので、ユッタにも手に職をつけてあげたくて、一生懸命、芸の基本と心構えを教えた。
二人ぼっちの旅芸人キャラバンは貧しく、その生活は常にギリギリだったが、孤独を感じる事はなかった。ザナドゥとユッタ、二人は本当の親子のように仲が良かった。
内海の東の果てのとある町で、二人は別の旅芸人一座と居合わせた。彼らは前に居た一座よりずっと大きな、ターミガンのキャラバンだった。長い目で見れば、キャラバンは大きい方がいい。ザナドゥはユッタと二人、所属を申し出た。
新たに属した一座は交易キャラバンを兼ねていて、ハマームを経由し、南大陸の内陸の交易路へと進んで行った。
◇◇◇
「そして今は、こちらで覇王をやってらっしゃるわけですか……事情は解るんですけど、その、そんなに偉くなったんならですね、養子の一人くらい、手元に置いておく訳には行かないんですか」
ザナドゥの話が一段落するのを見計らい、サリームはそう切り出す。ザナドゥは。肩をすぼめ、少しでも体が小さく見えるよう縮こまって答えた。
「信じて貰えないかもしれないけど、私は辞めたいんです、こんな事。本当はね」
それは実際、サリームでなければ信じられないような話だった。けれどサリームは直感的に、それは真実なのだろうと思った。
それは例えば、アイビスの田舎生まれの貧しいお針子が風紀兵団に追われて故郷を離れ、古い小さな小船で海へと逃げ出し、船尾の柵に捕まり泣きながらげろげろ言っていた結果、気づいたら海賊共からは頭領のように扱われ、幼い王子からは元帥と呼ばれていた、そのような話なのではないかと。
このおじさんもまた、ただ自分の生活を守りたくて必死に働くうちに、奴隷貿易の元締めで悪の海洋帝国の総帥になっていた。そういう事なのではないか? サリームは、そう理解した。
「そして私は今、恐ろしい魔女に命を狙われているんです。先日はこの城にも現れました、こんな厳重な警備を掻い潜ってですよ……きっと魔法を使うのでしょう」
サリームの肩が大きく震える。
「へっ!? え、ああ……そ、それじゃあの、ユッタちゃんを遠ざけているのは、魔女に対する用心の為……なんですか?」
ザナドゥは目を開き、天井を見上げた。
「私はここを離れられない。そして魔女はいつまた来るか解らない……私がいつ殺されるのかも。何なら今この場に現れて!」
ザナドゥはそこまで言うと、突如立ち上がり両腕を広げサリームに襲い掛かる、いや、そのような素振りをする。入道雲のように視界を覆うザナドゥを見上げ、サリームは一歩も動けずただ唖然としていた。ザナドゥはただ、元の胡坐に戻り、肩を落として俯きがちに続ける。
「魔女は私を、炎で焼き殺すかも、心臓ごと凍らせて殺すかもしれない……サリームさん。貴方は義侠心のある誠実な人とお見受けします。ユッタにこの金を渡し、私の言葉を伝えてはいただけませんか。御願いです、貴方の他にこんな事を頼めそうな人は、一人も居ないんです」
そう言ってザナドゥはもう一度金貨の入った巾着を差し出すと、両手を揃えて床に突き、大きな体を縮こまらせ、深々と頭を下げた。





