ユッタ「ここ、へんな臭いがするわ。私、外に出たい。サリームはまだ戻らないの!? 早く呼んで来なさい!」ナーディル「無理だよ俺姉ちゃん……」
ヘルムセン、ミラレス、サルバズ……マリーを追い掛ける敵も集まって来ました。
―― ガラン、ガラーン! ガラン、ガラーン!
サン=モストロ城の大吹き抜けに、階下から鐘の音が鳴り響く。
「各所の警備責任者は一階大ホールに集合しろ! 繰り返す、警備責任者は一階大ホールに集合しろ!」
そんな号令の声も、伝令役の兵士が廊下じゅうに伝えて来る。
城主部屋の警備を担当する兵士達は、全員が上級兵士だった。彼らは顔を見合わせる、こういう場合のマニュアルが出来ていないのだ、全員で持ち場を離れていいのだろうか?
「……行った方がいい、そもそもザナドゥ閣下は警備など必要ない程強いのだ」
やがて兵士の一人がそう言うと、他の三人も頷く。彼らは廊下から階段、そして階下へと駆けて行き、城主部屋の前はいきなり無人となる。
これはサリームにとって謎の好機となった。どうやって忍び込もうかと考えていたザナドゥの居室の前から、なぜか警備の者が居なくなったのだ。
「えー、掃除ィー、掃除でござーい」
箒と手桶を持ったまま物陰から這い出たサリームは、だみ声でつぶやきながら早歩きでその両開きの扉に近づき、その中へとするりと滑り込む。
◇◇◇
ザナドゥはリビングに居た。仕立ての良いジュストコールとベストを長椅子の背もたれに掛け、シャツとズボンだけという姿で腕組みをして歩き回っている。
「貴方、コホン、あー、貴様は確かサリームだったな」
今度はすぐにサリームの姿を見つけたザナドゥは、窓の前を往復するのをやめ、サリームの方に近づく。サリームも急ぎ足でちょこちょこと駆け寄る。両者の背丈は50cmは違うし、肩幅も倍はありそうだった。
「あ、あの……青いヨウム亭を見に行ったでげすけども、ユッタちゃんはその、そこには居なかったでげす」
サリームはたどたどしいターミガン語とニスル語の混ざった、妙な様子でそう話す。
「居なかった……? 何故だ? いや、まあ……そうか、見て来るだけでいいと言ったのは私だったな」
ザナドゥは一瞬眉間に皺を寄せたが、思い直したようにそう呟き、長椅子に掛けた上着の所に、約束の金貨を取りに戻ろうとする。
「だけどあの、近所の子供に聞いたら、船に乗るんだと言っていたらしいので、港の方へ見に行ったでげす」
サリームはそれを呼び止めるような口調で、顔を上げて少し声を張る。ザナドゥは立ち止まって振り返る。
「ああ、すみません、見て来るだけでいいとおっしゃるのを、忘れた訳ではないのでげすが……この先をお話ししても良いでげすか」
それを聞いたザナドゥは少しの間視線を宙に彷徨わせた後、サリームに体ごと向き直り、ゆっくりと戻って来る。
「そうだな。聞かせて貰おう。ユッタを見つけたのか?」
「はい、ユッタちゃんは港に係留されていたヨットに居られました、貴族の方が趣味で乗るようないい船でした」
当たり障りのない言葉を選んで話しながら、サリームは考えていた。
自分は大変な秘密を抱えている。その数は一つや二つではないし、どれをとってもこの覇王を激怒させるには十分なものばかりだ。何かにつけて後ろ向きなサリームの脳裏に、覇王の逆鱗に触れてしまい、その手刀の一振りで首を飛ばされる自分のイメージが浮かぶ。
そして自分は遊びでサン=モストロに来た訳ではない。仲間達の為、ラランジェの為、人々と平和の為、何としてもこの男との直談判を成功させなくてはならないのだ。
だけど自分はどうしても、これを言わずにはいられない。サリームはザナドゥをしっかりと見上げ、告げる。
「……お父さんに会いたいと、おっしゃっておりましたよ」
泰山のようなザナドゥの肩が、ぴくりと震えた。
「話したのか……彼女と」
ザナドゥはサリームに横顔を向け、そう呟く。サリームはザナドゥの横顔を凝視し、そこにある感情を読み取ろうとする。ザナドゥは、一体何を考えているのか?
覇王の顔色は決して良くはなかった。少なくとも愛娘の様子を聞く事を楽しみにしている、子煩悩な父親のそれには見えなかった。
「手紙を書くように勧めさせていただきましたが、それは断られました、手紙ではなく託けに行くようにと、私をパパの元に連れて行くか、パパを私の元に連れて来て欲しいと、ユッタちゃんはそう言って、泣いていました」
ザナドゥは。横顔を僅かに向こう側に背け、呟いた。
「嘘だな……サリームとやら、貴様は何故、そんな嘘をつく……」
サリームの背筋を、特大の寒気が走る。何故、いやどの嘘がバレたのか? そして自分は、やはりこの覇王の逆鱗に触れてしまったのか?
逃げなくては。今ならまだ間に合う、いやそれは出来ない、自分はこの男、ザナドゥともっと話さなくてはならない、だけど究極的に言って、自分は命が惜しい、首を取られる前に、今すぐ滅茶苦茶に走ってこの城、サン=モストロ城を脱出するべきだ。サリームはそう考える。
ザナドゥはただ、その雄大な肩を落とし、俯いて続けた。
「ユッタちゃんは、泣かないよ……私は彼女が涙を流すのを見た事がない、あの子は強い子なんだ。手紙を書くのを断られた? 当然だ、ユッタは読み書きが出来ないからね。だけど彼女はとても賢い子だから、大人に代筆なんか頼んだって、自分の気持ちをちゃんと書いてくれるとは限らないと思っているのだろう」
ザナドゥは。大きな傷のある恐ろしげな顔に、苦笑いを浮かべてサリームに向き直る。
「貴様はきっと、優しい人なのだろう。そうだな……もう一度頼まれてはくれないか、サリーム殿。ユッタに、私からの言葉を伝えて欲しい」
サリームはただ直立不動で頷く。次の瞬間、ザナドゥの彫りの深い眼窩から、一粒の涙が零れ、深い皺と傷跡に染み込むように消える。。
「ユッタ……お前は本当は私の娘ではない。その事はお前にももう解っているはずだ。私の事は忘れて、強く生きろ」
サリームはこの上なく目を見開き、放心したように口を開いていた。それは付け眉毛や付け髭のせいで、ザナドゥには見えなかった。
まるで自分が父親からそう言われてしまった娘であるかのように。サリームの瞳に、涙が浮かび出す。
「そう、伝えてくれ。それから」
茫然としているサリームを他所に、ザナドゥは上着を取りに行き、その懐を探りながら戻って来る。
「この金貨を彼女に渡して欲しい。貴様にも十分な手数料を渡すから、必ず届けてくれ、私の言葉と共に……サリーム?」
その数十枚の硬貨が入っている巾着をを渡そうとしても、俯いたまま顔を上げないサリームに、ザナドゥはほんの少しだけ腰をかがめて問い掛ける。
「いらないよ金なんか……! アンタねぇ! 6歳の女の子にこんな端金渡して、そんなんで幸せになれると思ってんの!?」
サリームはまるで少女のように甲高い声でそう叫び、ザナドゥが差し出した巾着ではなく、その服の袖を掴む。妙にきめ細かい肌を持つその手は、ぶるぶると震えていた。
「強い子だから泣かない!? ざけんじゃないよ泣かないのは我慢してるからだよ、お父さんの為にいい子でいようと思って、それをアンタ、何だよアンタ」
ザナドゥはサリームに押されるまま、後ずさり、尻込みをして言った。
「貴様の、いや貴方の怒りは尤もだ、あの、御願いだ、私の話を聞いてくれ」





