第46話 心地よい悪夢の中で
「元の世界……?」
ゆっくりと周囲を確認する。マグナが座るのは窓から三列目、前から三番目、ちょうど教室の真ん中あたりの席だ。黒板の上につけられた時計は、もうすぐ四限の授業が始まる時間であることを知らせている。
生徒たちは座席につき、次の授業である日本史の教科書を広げている。織田ハルト、稲葉イオ、佐々レイラといった面々が、まるで勇者召喚なんてなかったような顔で座っている。そしてマグナの前に座るのは――。
「ケンジ……? 前野ケンジなのか?」
「それ以外の誰に見えるんだよ」
「いや、でもアフロじゃないし喋り方は普通だし……」
「だからどんだけ寝ぼけてだよ……。オレはアフロどころか坊主頭だし、喋り方も別段面白おかしくねえ」
そう言って前野ケンジは、「何言ってんだこいつ?」と言わんばかりの不思議な顔をして前を向く。
(どういうことだ? 戻って来たのか? それとも本当に全部夢……?)
「はーい、授業始めまーす。級長の明智さん、挨拶お願い」
マグナがあれこれ悩んでいるうちに、日本史の担当教諭でもあり三年二組の担任でもある太田シズカ教諭が入ってきた。級長の【明智モモカ】が生徒に起立を促し、始業の挨拶をする。習慣というのは恐ろしいもので、マグナは混乱で頭の中がぐちゃぐちゃになりそうなこの状態でも、自然と起立し挨拶をした。
「はい今日は前回の続きからねー。教科書の147ページを開いてください」
ごく普通に授業が始まる。マグナ以外はこの状況に疑問を感じていないようだ。
悩んだ末にマグナは、とりあえず普通に授業を受けることにした。
☆☆☆☆☆
「ふわあ、やっと飯だな」
「あ、ああ……」
授業も終わり、昼休み。
坊主頭の前野ケンジはあくびをしながら、運動部員特有のデカい弁当箱をカバンから取り出す。それを見てマグナも、半ば無意識に弁当箱を取り出した。
三年前――つまり彼が元の世界にいるときに愛用していた弁当箱だ。
ふたを開けると何の変哲もない、けれどもひどく懐かしい弁当が現れる。
「「いただきます」」
マグナの頭は混乱している。これは夢なのか、それとも今までの事が妄想だったのか。そんな事を考えながら、ご飯を口に放り込んだ。
「美味しい……」
「そうだな。お前の弁当はいつも美味しそうだ……ってマグナ、お前もしかして泣いているのか?」
「え?」
自分自身でも気がつかなかった。マグナの目からは涙が零れ落ちている。
母親が作ってくれた何の変哲もない弁当が、とてつもなく美味しく感じる。冷凍食品のミートボールも、少し嫌いなほうれん草でさえ、とんでもなく美味しく感じる。
「変だな、なんだか懐かしくて……」
「いや、変っつーか……、お前はメンタル大丈夫か? 体調悪いなら言えよ?」
ボロボロ泣くというわけではないが、一粒二粒となぜか涙が流れる。
懐かしさ、安心、そんな感情がマグナの内側に巻き起こる。
「えーなになに? 前野が松平泣かしたん?」
「違えよ竹中。なんか飯食ってたら泣き出したんだよ」
そんなマグナの行動が注目を集めたのか、近くにいた何人かの生徒が寄って来た。
いつも笑顔で明るい竹中アヤネと、フォトゥリの街で見た姿とは違って健康的な斎藤ツバキだ。
「竹中……、それに斎藤……」
「はろー松平。どしたん? うちに話してみ?」
「前野がくだらねえこと言ったんじゃないの? それよりアヤネ、帰り買い物に付き合ってよ」
「おっけー。何買うん? コスメ?」
「そ、この動画で紹介されるやつ」
二人が仲良さそうに話をしている。それだけでマグナの中にある記憶が、なにか悪い夢だったんじゃないかと思えてくる。「そうだ。こういう感じだった」――もはや朧気になっていた元の世界がだんだんと蘇ってくる。
「お、集まって何の話してんの?」
「川尻……!」
日焼けした浅黒い肌と、短く刈り揃えた黒髪。川尻マサヤが立っていた。
マグナが反射的に立ち上がると、マサヤはぎょっとした顔をする。
「お、マグナ……? どうしたんだよそんな怖い顔をして……」
「う……あ、ああ。すまない。驚いただけだ」
「驚くのはこっちだぜ……。なんか恨みを買うようなことしたと思ったじゃねえか」
ケンジが「なんかこいつさっきからおかしいんだよ」とマサヤをなだめるのを聞きながら、マグナは心を落ち着かせる。大丈夫だ。この川尻マサヤは自分が殺した彼じゃない。サッカー部に所属する、ただの高校生の川尻マサヤだとマグナは自分に言い聞かせる。そして気が浮いた。
「斎藤や川尻が生きてる……!?」
「いや、川尻はともかく私は死んだことねえけど」
「俺だって死んでないよ」
「そうだったな。すまん。それはともかく、セイラは? 瀬名セイラはどこにいるんだ!?」
元の世界へと帰って来た。そして死んだはずの斎藤ツバキや川尻マサヤが生きている。ということは彼女もいるはず。そんな当然のことすら思いつかないほど混乱していたマグナは、慌てて前野ケンジに問いかけた。すると彼は指で後方の窓際を示して、
「どこって……。そこそこ。教室の後ろにいるじゃん」
「――! セイラ!」
振り向いた。――いた。彼女だ。
突然自分の名前を呼ばれた瀬名セイラは、サンドイッチを片手にフリーズしてマグナの方を見ている。そんな彼女に、マグナは衝動を抑えることができずにずんずんと近づく。セイラは驚いて、サンドイッチを机の上に引いていたハンカチの上へ落とした。
「セイラ!」
「え? え? えーっ!?」
ギュッと彼女の両手を包み込むように握る。温かい。あの日の温かさだ。間違いなく生きている。
「ちょっとちょっと松平! あんたセイラになにしてんのよ!」
セイラと一緒に食事をしていた佐々レイラが立ち上がり、マグナを止めに入る。そういったところでようやくマグナも冷静さを取り戻し、落ち着いて周囲を見渡す。
同じくセイラと食事をしていた生駒イレーネは目を見開いてフリーズし、後ろを振り向けば前野ケンジは「あちゃー」とでも言いたそうに坊主頭を押さえている。スマホでゲームをプレイして自分の世界に没入している中川ナリノブを除けば、他の生徒も概ね同様の反応だ。
「え、あ、うん。すまないセイラ」
「いや、別に大丈夫だけど……名前」
「名前?」
「うん。松平君、私のこと名前で呼んでたっけ?」
「――あ。そ、そうだよな。ごめん瀬名……さん」
マグナはもう一度「食事の邪魔をして本当にごめん」と頭を下げて、自分の席に戻る。前野ケンジは今度こそ、宇宙人を見るような目でマグナを見ていた。
(そうだよな。あれは俺の夢。悪い夢だったんだ――)
あれもこれも全部妄想。修学旅行でバスが事故を起こし勇者召喚されたのも、川尻マサヤと戦ったのも、セルマとクレアのことも、ヴィヴィのことも、レイドのことも、そして瀬名セイラが死んだことも全て妄想だ。
あんなの悪い夢以外のなんでもない。だってそうだ。こんなに普通に学校に通って、授業を受けて、ご飯を食べて、馬鹿な話しをして笑って、みんな普通に暮らしていたのに。だのに――。
「だからあれは、いやこれは悪い夢だ。なあセイラ」
瞬間、まるで鏡が割れるように周囲の景色が砕け散る。
舞台は変わり、マグナは真っ黒な空間へと投げ出される。
あれは夢だ。過去のことだ。だってマグナの両手には、瀬名セイラから流れ出る赤い血の温かさと、どんどん冷たくなっていく彼女の身体の冷たさが、今も鮮明に焼き付いているのだから。
――だからそう、これは悪い夢以外のなんでもない。
マグナはセイラを懐かしんではいけない。だって彼は選んだのだ。失われた選択肢を嘆くよりも、これから先に広がる無限の可能性を喜ぶと。だから彼は戦いを終わらせる真の勇者となったのだ。
「そうだ。お前の名前は――」
「あなたの名前は漢字でこうやって書くのよ。ほら、書ける?」
マグナの脳裏に優し気な男女の声が響く。おそらく両親の声だ。もう顔もはっきりと思い出せない、名前なんてまるでわからない、けれど心の奥底に染み付いている両親の声だ。
「そうだな。それが俺の名前だよな。いろいろ考えてつけてくれたんだよな。忘れてしまってごめんな、父さん、母さん……」
思い出した。思い出してしまった。思い出すことができた。だからもうマグナは止まらない。待ってくれている相棒がいる。倒さなければいけない相手がいる。
そんなマグナに、見たことのないイメージが思い浮かぶ。
「ようし完成だ。お前の名前はXXX――。いや、少し味気ないな。だから縮めて――」
☆☆☆☆☆
「えーっと、腕はもいでしまっていいのかな? あー、ったく殺すなって言われる方が面倒だよ」
【朝比奈ナツキ】は倒した敵魔錬機の処理に困っていた。
彼のギフト、闇属性魔法相当の催眠によって珍しい型の敵魔錬機――〈マグナレイド〉と呼ばれる機体はあっけなく沈黙した。きっと仇敵であるイライジャの姿を見つけて動揺していたからだろう。
ナツキはそのイライジャから、この敵は利用価値があるので殺すなという命令を受けていた。だから操縦席を見つけて騎乗者を引っ張り出そうとするが、肝心の操縦席が見つからない。
同性にも可愛らしいと言われる顔を歪めて困り果てた彼は、仕方ないので〈マグナレイド〉の両手両足をいったんもごうとした。その時だった――。
「――ぐふっ!?」
突如衝撃を受け吹き飛ばされる。目の前にはレモンイエローの魔錬機――〈マグナレイド〉が瞳に光を取り戻して立っていた。蹴り飛ばされたのだ。
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「バカな……僕の催眠魔法をうち破るなんて……」
「お決まりのセリフありがとよ。おいレイド、俺はどのくらい眠っていた?」
(ざっと五分と言ったところか?)
「えらく濃密な五分なことで。おいお前、勇者だな。なんでイライジャに味方する?」
マグナは手をグーパーして可動を確認しながら、蹴り飛ばした敵機に問いかける。するとやたら幼い声で返答があった。
「そんなもの決まっているじゃないか、お金も地位も手に入るからね」
「なんだそっちもお決まりの答えかよ。まあこの乱世じゃそれが一番なのかもな? ってかお前子どもか?」
「子どもって言うな! これでも僕は二十三――」
「なら安心した。じゃあ死んでくれ」
問答しながらも朝比奈ナツキがようやく機体を起き上がらせた頃、〈マグナレイド〉はその手に《武器錬成》によって造り上げた〈雷切〉を構えていた。
「名前も知らないが、お前には一つ礼を言っておく。俺の大切な記憶を蘇らせてくれてありがとよ。そしてそれ以上に――俺の記憶を弄んでくれた礼はさせてもらう。貫け――《雷光一閃》ッ!」
ナツキが何か答える暇もなかった。〈雷切〉から迸った蒼い稲妻は、的確に彼がいる操縦席を焼き切った。
(行こうマグナ。我々に立ち止まる時間も猶予もないのだから)
「ああ、待ってろイライジャ」
そして一人と一機の相棒は、かつて三年二組の生徒たちを召喚した神殿へと歩みを進める――。




