三十二 木村
ナースステーションに戻ると、宇賀神はナースステーションの中にあったホワイトボード、シフトなどが書き込まれているそれを大雑把に消してしまうと、何かを一気に書き上げはじめた。
「な、なにを書いているのですか?」
「症状、特色、発病までの時間。」
「それで何かわかったのですか?」
「言ったでしょう。これは人工物だって。あれは試験管から逃げた虫だねえ。蛍光する生き物は数多いが、細胞の観察のために科学者が敢えて蛍光させてしまう事もある。」
ヒヒヒと笑っていた男は今やホワイトボードに次々に日本語じゃない何かを書き出し、変な数式で沢山の数字を増やしてもいる。
「君の亨君の発病は急すぎる。あれは異常だ。」
「え?」
「元々亨君の体の中にあったものだと考えて、君のキスが活動のトリガーになったと言った方が良いかもしれない。死体を動かす虫、か。怖いね。誰が作ったんだろう。」
「保土谷結良博士だよ。」
私と宇賀神は声の方に振り返った。
カウンターに腕をついてニヤついている男は小柄にも見えるが、実際はじゃかなりの長身であるはずという不思議な男だった。
元々背が高い男性は頬骨や顎、鼻の形にも、ごつっとしたところが見受けられるもので、とてもハンサムで癖のない高杉だって標準身長の亨君と比べれば線が太く感じる。
目の前の男は亨君よりも背が高いが、高杉や宇津木よりも背が低いからだろうか。
癖のない面長の輪郭に、癖のない鼻筋に口元だ。
目も二重だが彫りも深すぎず浅すぎず、さらに言えば大きすぎもしない。
よく言えば整った外見。
悪く言えば特徴のない外見だ。
「うわぉう!ヒヒヒ、木村さんだあ。」
宇賀神はLEDライトを木村と呼んだカウンターにいる男の顔に当てた。
LEDライトの光は目が痛いぐらいの強い光なのに男は目を細めることも無く、強い光で影を失った顔立ちは特徴が無いからかお面そのものに見えた。
「俺は化け物じゃあ無いですよ。」
木村は手を振って見せ、宇賀神はライトを切った。
「では、何でしょう。」
「憂国の愚連隊ですね。俺達は地獄になった町に送られて、ああ、新人を一人犠牲にしてしまった。感染した遺体ならば焼却処分でその地での埋葬となります。俺は連れ帰れなくてすいませんと遺族に頭どころか土下座して謝ったというのに、生きていたんですよ。生きていてね、実験材料になって苦しんでいました。」
木村は特殊部隊のベストのポケットの一つからスマートフォンを取り出すと、その画面を私達に翳して見せた。
私と宇賀神は飛び上がるほどに驚いた。
スマートフォンで見せつけられている画面は男性三人のスナップだ。
高杉と同じ年齢ぐらいの男二人が高杉を中心に笑顔で笑っているというものだが、屈託のない笑顔で笑うその男性こそリハビリルームにいた全裸の男だった。
「右側の人。」
「ああ、右側の人は……。木村さん。その高杉さんの右隣りの方はどなたです。」
木村はふうっと息を吐いた。
スマートフォンを彼は再びかたずけ、疲れ切ったように頭をがくりと下げた。
本当にがっくりと下げたので、まるで首吊り死体の様に見えた。
いや、私の脳みその中で首を吊った彼の姿が見えたのだ。
「木村さん?」
「熊谷だよ。」
「え?」
「熊谷悠太。可哀想な男。亨君が伝えたかった男の名前だ。」
「どうして?」
木村はごきゅっと音をさせて顔を上げた。
凸凹だらけの顔は虫に感染した人達と変わらないもので、木村だったそれはパジャマを着ているという別人になっていた。
「ああ、それで光が通じないのか。皮膚がアスファルトの様に硬質化している。」
「え!一瞬で?」
「いいや、違う。全部僕達の頭で起きた事だよ。この虫は意識を共有させる、だっけ?ヒヒ。僕も感染していたって事か。でも、動いて爆発するような症状を見せていない。それは何故なんだろう。」
「サナダムシのお陰なんでは無いですか?」
「君もお腹にいるのかな?」
「違います!」
「おたくらも一度死んだからじゃないの?」
バシュン。
木村の振りをしていたほとんど死体の感染者は、頭を爆発させるようにして砕けさせると、そのままカウンターの向こうに消えた。
そこに崩れ落ちたのだろう。
LEDライトは私達に眩しく照らされ、その明りを持つ者はゆっくりと私達の前にその姿を現した。
「高杉君!宇津木さんは?」
彼は私に銃を向けた。
防御服で顔など見えないはずなのに、私は彼が顔を歪めて泣いている表情が見えていた。
彼が泣いているのは、スティールが銀色に輝く世界。
銀色で、金属製の棚もいっぱいあって、大小さまざまな筒状の瓶もたくさんある部屋。
そこで彼は数人の仲間と泣いて、泣いて、泣いているのだ。
「僕は生きたまま殺され、殺されたまま生かされたんだ。すごく、すごく、苦しかったよ。ねえ、可哀想な僕を愛してくれるかなあ、美梨ちゃん。」
高杉の後ろから、パジャマ姿の亨君だったものが現れた。




