181話 ワフ到着
「オオオオオォォォ!」
俺は未だに立ち上がることもできず、堕天使はすでにメイスを振りかぶっている。
ゲームだったら投了を選ぶ場面だった。だが、この世界で俺は学んだのだ。最後まで諦めずに、足掻くことの大事さを。
「うらぁぁ!」
振り下ろされるメイスの直撃をなんとか避けようと、俺は四つん這いのまま必死に手足を動かす。
だが、その程度でどうにかなるはずもなかった。堕天使のメイスが無慈悲に迫る。
「無駄よ! あははははははははは!」
エマは狂ったように笑っているが、俺はまだあきらめていない。
バインダーを開き、内容も見ずに全ての達成試練を有効化した。眼球だけを動かして手の甲を見ると、万能魔力が8も手に入っている。
だが、そこに驚くような無駄な時間をかける暇はなく、俺は即座に手札に目線を落とし――。
「オオォォ!」
しかし、間に合わない。もうメイスが直上だ。下を向いているせいで、角度的に目には入らない。
それでも、大きく濃くなるメイスの影と、鉄塊に砕かれる風の音が、迫りくる終わりを教えてくれていた。
「ああああ!」
何か、カードを――。
諦めと抗い。2つの気持ちを抱いたまま、俺は何故か叫ぶ。それしかできないが故に。
死。その言葉を意識した直後であった。
「ちょりゃああああ!」
「オォォォ?」
バチィッ! という音とともにメイスの表面で紫電が弾け、その軌道が変化した。
俺への直撃コースから外れたメイスが背後に叩きつけられ、凄まじい衝撃が俺を突き飛ばす。
前に大きくつんのめりながらも何とか転倒を免れた俺の目に入ってきたのは、大剣を構えた犬耳幼女の姿であった。
「主はやらせませんぞぉ!」
「ワ、ワフ!」
突っ込んできたのは、ワフだ。
どうやって追いついて来たのかと思ったが、今の強化されたワフであれば普通に走って間に合うのだろう。
電撃の大剣の能力を使い、堕天使を攻撃して俺を助けてくれたらしい。
「どりゃああああ!」
「オオオオオ!」
ワフが堕天使に斬りかかるが、堕天使がメイスを使ってその攻撃を防ぐ。
「ワフ! 無茶するな!」
「主はお逃げ下され!」
「オォォォ!」
堕天使もワフを敵と認識したらしい。理性があるのかないのか分からない茫洋とした瞳で、ワフを見つめた。
俺はその隙にカードを引き抜く。少しでも可能性があるなら、足掻くのだ。
「召喚! 灰色狼! あの女を殺せ!」
「ガウ!」
全力で駆ける灰色狼を見送る。そして、堕天使の顔が再び俺を向いた。
「堕天使! その小娘よりも、男を先に殺して!」
灰色狼から逃げながら、エマが叫んだのだ。向こうも、即座に灰色狼を排除するカードがないらしい。
堕天使を呼び戻すかと思ったが、堕天使が俺たちを排除する方が先だと考えたのだろう。
「オオォォォ!」
「にょわぁぁ!」
すると、堕天使が背中の翼を大きく羽ばたかせた。凄まじい風が発生し、ワフが後ろに吹き飛ばされる。ゴロゴロと地面を転がるワフ。
「くそぉ!」
俺は灰色狼が先にエマを殺してくれることに一縷の望みをかけ、走り出す。だが、堕天使の飛行速度は想像以上に速かった。
一瞬で前方に回り込まれてしまう。今度こそ、どうにもならない。すでに堕天使が横薙ぎに繰り出したメイスが、地面を削りながら俺に迫っていたのだ。
着地時に飛行の勢いを利用しながら回転し、攻撃を始めていたのである。
だが、諦めかけた俺と違い、諦めていない者がいた。
「主ぃぃぃぃ!」
「な……! お前……!」
ワフがヒップアタックするような勢いで、俺に突進してきていた。今のワフの力は超人的だ。そのワフに突き飛ばされ、俺は大きく弾かれる。
代わりに、俺の居た場所には入れ替わるような形でワフが残っていた。そこにメイスが襲い掛かる。
「ワフゥゥゥゥゥ!」
「主! 生き延びて下されっ!」
「オオオオォォォ!」
俺が空しい叫び声を上げる目の前で、ワフが手に持っていた大剣を槍投げのような形で投擲した。大剣がワフの手を離れた瞬間、その小さな体がメイスによって弾き飛ばされる。
「オォォォォ……!」
ワフの投げた電撃の大剣は、堕天使の首を見事に貫いていた。元々、雷鳴の精霊などからもダメージを受けていたのだろう。
堕天使が、その場に崩れ落ちた。ワフの攻撃が堕天使を仕留めたのだ。まさか、正面から攻撃して倒してしまうとは……。
大金星だ。だが、今の俺には喜びの欠片もない。
「ワフッ……!」
俺はワフの元へ走った。ツリーアーマーを着込んでいるんだ、きっとまだ間に合う!
しかし、俺がワフの元へたどり着く前に、その体が光の粒となって消え始めた。それは、赤のカード使いの従者を、ワフが斬った時と全く同じ光景だ。
「ワフゥゥ!」
そして、ワフが横たわっていた場所に辿り着いた時には、その痕跡は何も残ってはいなかった。いや、戻ってくるツリーアーマーのカードが唯一の痕跡か。
「ワ……フ……」
呆然と立ち尽くす。視界が何故かぼやけてきた。
ああ……。涙か……。どうやら、俺は泣いているらしい。
俺が妙に客観的な気持ちでそんなことを考えていたら、再びカードが戻ってくるのに気付いた。
カードが飛んできた先を見ると、荒い息を吐くエマの姿がある。その手には剣を構えていた。その剣で、灰色狼を退けたらしい。
その姿を見た瞬間、俺の視界が真っ赤に染まった気がした。脳が沸騰するような、深い怒り。いや、これはもう憎しみだ。
あの女が、ワフを殺した。
自分があの女の仲間を殺した? 殺したんだから、殺される覚悟も持て? ああ、俺が傍観者ならそう思うのだろう。当事者じゃないから、そう言えるのだろう。
だが、そんな綺麗ごと、糞くらえだ! 俺は確かにあいつの仲間を殺した。だが、それがどうした? 知るか! ワフを殺されたことは、絶対に許さない!
それが偽らざる俺の気持ちだった。
いや、何をゴチャゴチャと考えているんだ俺は! とりあえずあの女を殺す! まずはそこだろう!
エマがバインダーのページをめくるのが見えた。試練を達成したらしい。
「力強き巨岩よ! 我が敵を打ち――」
詠唱を続ける俺の前で、エマがカードを取り出した。
「風の癒し!」
ライフを2点回復させるカードだ。だが、もう遅い!
「ストーンキャノン!」
「ぎゃぁ!」
巨大な岩の砲弾により、エマが大きく吹き飛んだ。さらに距離が離れてしまったが、これは計算通りだ。これほど怒り沸騰の状態で、これだけ冷静に行動できている自分が驚きである。
「巨兵! 殺せ!」
「ゴゴォ!」
「え?」
間抜けな顔で振り仰いだエマの体を、巨大な岩の塊が押し潰していた。ボゴンという音が聞こえ、エマの姿が岩の下に消える。
それは、石の巨兵の拳であった。ストーンキャノンで吹き飛ばすことで、エマを巨兵の攻撃範囲内に誘導してやったのだ。
殺したか? そう思ったのだが……。
その拳が持ち上げられると、そこには無傷のエマがいた。どうやらライフバリアがその身を守ったらしい。
だが、それだけだ。
エマが立ち上がる前に、巨兵が再度拳を下ろす。
「ゴコ!」
「あああああああああ――」
大きく振りかぶる勢いがなかった分、その速度は非常にゆっくりだ。しかし、そのせいでエマにはより恐怖と絶望を与えられたらしい。
地面にゆっくりと沈んでいく巨兵の拳の下からは、数秒間ほどエマの悲鳴が聞こえ続け、急にプツリと途絶えた。
「勝った……殺したか……」
バインダーに、勝利の文字が浮かんでいる。だが、勝利など空しいだけだ。
「ワフ……」
自分の呟きのせいで、何を失ったのか思い知ってしまった。そう。ワフだ。こっちの世界にきてから、ずっと一緒に居てくれた相棒。
ワフがいなければ、俺は今日まで生き延びることはできなかっただろう。だが、もうワフはいない。俺の前で消えてしまった。
「ワフッ……! ワフゥ……!」
自然と両膝が折れた。
だが、その時だった。無意識に目の前に浮かぶバインダーの文字を追っていた俺の目が、ある文字を捉えたのだ。
「聖霊の……復活……。聖霊の復活!」
それは、新たに解放されたバインダーの機能を表示する項目であった。
「保有ポイントが100を超えた結果、新しい機能が解放……。100ポイントを使い、聖霊を復活、もしくは新たに作り出す!」
そう。それはつまり――。
「ワフが、生き返るってことか!」
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